エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(新しい順)

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1905年、3月27日。ロンドンのデプトフォードで痛ましい事件が起こった。塗装店を営む老夫婦が殴打されて亡くなったのだった。通報を受けて警察がやってくる。 「金庫がカラだ。金品目的の強盗で決まりだろう。だが、厄介な事になったぞ」 当時、現行犯以外で犯人を捕まえるのは困難だった。
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帆船が航海の主役だった時代、船の操作は全て手作業であり、動揺し、しばしば波を被る甲板の上で水夫達は帆を操作した。数人がかりで大きな綱を引いたりすることもある。 こうした際、皆で呼吸を合わせるために使われたのがシーシャンティ。舟歌ね。
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アレクサンダー・ラムゼイはスコットランド貴族ダルハウジー伯爵の三男として生まれる。いわゆるヤンガーサンで、兄達が死なない限り継承権はなく、庶民ではあるけど庶民の仕事には就けない厳しい身分だった。 ヤンガーサンは軍人か政治家になるしない。ラムゼイは海軍軍人を選んだ。
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第一次世界大戦時、イギリス領だったカナダは本国の参戦によって自動的に参戦義務を負った。 しかし建国以来アメリカと多少小競り合いをした程度のカナダは軍隊をあまり必要としない国で、ましてや外征軍など思いもつかない。 そんな中、真っ先に派遣されたのが、パトリシア王女立軽歩兵連隊だった。
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まだ弱体だった頃のローマ教皇をフランク帝国の皇帝、カール大帝は何度も救ったけど、どれだけ感謝されても彼と彼の軍隊がローマ市に入る事は許されなかった。 これは古代ローマ時代からの決まりで、軍隊は市壁の内側に入れず、それは将軍ですら同じだった。
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1830年代のイギリスは産業革命を経験し、社会は豊かになっていたものの、貧富の差が拡大してもいた。 殆どの農民は囲い込みによって土地を失って零落し、地元の地主の土地を借りて働く安価な農業労働者となる。彼らは産業革命の恩恵に浴せず、にも関わらず物価は上昇し続けた。
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時代の変わり目は価値観に激震が走る。そんな時、保守的な道徳や倫理観は馬鹿馬鹿しくなり、若い人達はしばしば無軌道にも見えるカウンターカルチャーを形成した。 1920年代から1940年代までのイギリスでそうした反権威的なムーブメントを担ったのが、ブライト・ヤング・シング(明るい若者達)。
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これは屋外の劇場? ではなく、これは映画館。豪華で精巧な内装が施されたこうした映画館は1910年代から1940年代まで全盛期を極めたピクチュア・パレスと言う形式で、文字通り映画を楽しむための宮殿だった。
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木こりの事をランバージャックと言うけど、その女性系がランバージル。 かつてその名で知られた『女性部隊』があった。
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ヴィクトリア朝時代のイギリスではとある植物が人気を博していた。それがシダ。 半世紀に渡るシダ流行はプテリドマニア(シダ狂い)と呼ばれるマニア達をイギリス中に産み、ありとあらゆるモチーフにシダが使われるようになった。
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フォロワー数が何千何万とあるアカウントはアジテーター的な性格があるから、言ってる事は話半分で聞いたり、眉に唾つける事にしようね。 支持者向けに思ってもないような事を言うよ。わたしが保証する。
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前線で戦うだけが名誉や義務ではない。危険な工場で二度にも渡って勤務し、負傷してもなお身を奮い立たせて国家と戦勝に貢献した彼女もまた、イギリスの英雄の名に相応しい存在でしょう。
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「こんなに生きるなんて思いもしなかったけど、今はとても嬉しい気持ちです。  大英帝国勲章を授与された時の事は、今でも一番大事な思い出で、今でも私はこれをとても誇りに思っています」 二度の大戦を労働者として戦った女傑は堂々たる大往生を遂げた。
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戦後、工場は閉鎖され、彼女は大学の食堂の厨房スタッフになり、平和な日常に復する。夫は1954年に亡くなったけど、彼女は100歳まで生き、1995年に亡くなる。イギリスで最も有名な女性労働者の一人である彼女の誕生日には同じく戦友とも言えるエリザベス女王からメッセージが来た。
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1943年、爆発事故が起こり、モードは重傷を負った。顔、胸、手、腕に重度の火傷を負ったモードは五ヶ月の入院を余儀なくされる。彼女はイギリスで整形手術を受けた初めての女性の一人となった。 それでもモードは怯まず、退院すると工場に復帰し、終戦まで遂に働く。
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しかし1940年、第二次世界大戦が始まると、モードは再び工場労働者として軍需工場にいた。既に46歳だったけど、グレトナの工場と変わらぬ危険な化学物資を扱う工場に彼女は勤める。薬品の影響で視力は低下し、彼女は特殊な青いメガネをつけなければならなくなった。
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この事はモードの一生の思い出になった。モードは働く女性達のヒロインとされ、幸運な軍需工場のお嬢さんと呼ばれる。 「とてもスリリングな経験だったわ。これほどの幸運は滅多にない事よ」 と、彼女は後に述懐した。 1920年、モードは傷痍軍人と結婚し、工場を退く。
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「英雄的な行為が私の工場労働者、特に女性によっても行われている事は非常に喜ばしい」 働きに感銘を受けて地元大貴族のバックルーシュ公爵が彼女を表彰した。 「戦地での兵士の活躍と何ら変わらない。大英帝国勲章を授与しよう。あなたは素晴らしい労働者だ」
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ある時工場で火災が起きた。コルダイト工場における火災は致命的な被害を齎す。自衛消防団の一員だったモードは怯まず駆け出し、ポンプを操作して水を浴びせる。 「消防隊を呼んできて!」 彼女は2度、自ら率先して火災を喰い止めると言う英雄的な働きを示した。
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もちろん爆発事故も起きた。死者も出る。 そんな危険な現場で22歳のモードもまた働く。彼女は周囲より僅かに歳上で、30人の女の子を率いる職長だった。真面目な仕事ぶりは上からも下からも評価されており、大変人気のあるスタッフで、責任感が強い模範的な労働者だった。
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コルダイトの製造は機械任せにできない危険な作業で、どうしても人力を必要とした。 不安定な爆発物ニトログリセリンをかき混ぜ、他の化学物質と混合させる作業は有毒ガスが発生し、多くの女性が髪や歯を失ったり、健康被害に悩まされる。その光景はコナン・ドイルをして、『悪魔の粥』と称させた。
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その労働力の殆どを占めたのが北イングランドと南スコットランドの労働者の娘達だった。 彼女らは『グレトナ・ガールズ』と呼ばれ、危険なコルダイトの製造に携わる。当時、軍需工場で働く女性は珍しくなかったものの、彼女らは特段に若く、そして貧しい村娘だった。殆どが18歳未満だったと言う。
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グレトナは元々、親の同意なく結婚するには男女21歳以上でなくてはならぬと言うイギリス法を厭って、15歳以上なら誰でも結婚できるとするスコットランド法の下に避難する駆け落ちカップルの聖地として有名な長閑な農村地帯だったけど、拡大する砲弾需要に必須の無煙火薬コルダイトの最大の工場が建設。
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1914年、第一次世界大戦が始まると、イギリス中の男子が兵士となり、工場から男は消え、その穴埋めに女が補填される。 それは危険な物資を扱う軍需工場でも同じ事だった。前線で砲弾が大量に消費され、需要は拡大するばかり。南スコットランドのグレトナに巨大な工場が作られた。
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モード・エレン・ブルースは20世紀をほぼ生きた女性。 労働者階級に生まれた彼女は一般的な家事メイドに最初就き、何事も無ければやがて伴侶を得て、普通のお嫁さんとして一生を送るはずの普通の女性だった。 しかし彼女を取り巻く環境は時代の大波によって激変する。