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こうしてサンドリンガムズはテリトリアル部隊時代の組織をそのままにノーフォーク連隊に所属した。 当時、こうして仲間同士で集まって一緒に志願した兵士は非常に多く、彼らはパル(友達)兵士と呼ばれた。気心が知れてて円滑に動ける一方、上から下まで友達なので馴れ合いもあり、実践経験は、ない。
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大戦が始まった時、サンドリンガムズには出征義務はなかった。テリトリアル部隊は敵が本土上陸を果たした際の最後の盾であり、外征部隊ではない しかしテリトリアル部隊ですらない民衆ですら競って志願する中、曲がりなりにも軍属で、かつ国王の警護団であるサンドリンガムズが出ない訳にはいかない。
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彼らは社会的身分によって軍隊の階級が割り当てられており、サンドリンガムズの中隊長はサンドリンガム・ハウスの管理人。以下、ファーストフットマンやコーチマン、ガーデナーが下士官で、それ以下の使用人は兵士、と言う具合に使用人のヒエラルキーがそのまま軍隊に適応された。
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彼らは国王エドワード7世のお気に入りの別荘であるサンドリガム・ハウスの警護や管理、維持・運営のために集められた部隊で、軍隊というよりはシーズン中、イギリス王に仕える別荘の使用人団だった。 twitter.com/elizabeth_munh…
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ガリポリ作戦の総司令官であるハミルトン将軍も「極めてミステリアス」とコメントを残した。 彼らに何があったのかをE中隊、通称サンドリンガムズの視点から話して行きましょう。 サンドリンガムズは元々、イギリスのパートタイムな軍隊であるテリトリアル部隊に属した。
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戦場の神隠し。1915年、第一次世界大戦中、トルコの領するガリポリでの戦いで、ロイヤルノーフォーク連隊の第五大隊が丘を登って敵軍に向かったところ、奇妙な形の雲に包まれ、1000人以上が失踪した。 彼らの行方は杳として知れず、トルコ軍も彼らを捕虜としていない。 実際、何があったのか?
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ブリティッシュ・レストラン、と言うと、イギリス料理でも出してくれるのかな? と思う。もちろんそうなんだけど、1942年のそれはイギリス国民最後の生命線だった。
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マーシャル。その名は国王の最高の軍事代理人である元帥を意味する。 父親からも見捨てられるような貧しい子供にすぎなかった彼は、イギリス最強の騎士、また司令官、最大の貴族、事実上の副王にまで上り詰め、栄光に満ちた生涯を終える。 最強の騎士とは誰か。 それを論じるなら、彼は外せない。
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騎士道物語を一つ。 ウィリアム・マーシャルは12世紀、地方の吹けば飛ぶような男爵の四男として生まれた。 彼が生まれた頃、イギリスは内乱状態で、マーシャルは追い詰められた彼の父がいっときの休戦を要求する際の人質として敵軍に送られる。
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生前の名声にも関わらずマーシャルはしばらくの間、忘れられた人となる。 しかし飯の不味い国と自虐するイギリスに美食を提供し、食事を食べる喜びを復活させた他、多くの女性労働者達に仕事を教えた功績は大きい。 今、彼女の名はソワイエらイギリスの名コックと並んでイギリス人に記憶されている。
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また、彼女のビジネスモデルは美食を求める中流階級とキッチンメイド、或いは豪奢な料理を周りに誇示したい働き者の奥さんで成り立っていた。 1914年、第一次世界大戦が勃発。イギリスは没落し、またメイド達もメイドではなく工場労働者になる。 ヴィクトリア流の豪華な料理は時代遅れになった。
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しかし自分の運命は予測できない。1904年、マーシャルは乗馬中に落馬し、重傷を負う。彼女はキッチンに立てなくなった。 「まだ、やりたい事があるのに……!」 翌年マーシャルは亡くなる。49歳だった。彼女のバイタリティによって成り立っていた彼女のビジネスは急速に崩壊する。
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「いつの日か、自動車に冷凍庫が搭載され、どこにいても新鮮な食材が使われる日が来るでしょう。  やがて、大型の生鮮食品店が庶民の生活の柱になる日が来る。私には分かる」 マーシャルは最新の科学技術に興味津々で、それが社会にもたらす変化を正確に予測した。
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マーシャルは自らの広報誌である週刊誌、『ザ・テーブル』を発刊。レシピに加え、簡単な読み物や最新の科学技術への考察、マーシャル自身のコラムを掲載。 更にマーシャルは全国各地を駆け回り、自ら料理する姿をイベント化するツアー、プリティランチョン(可愛い昼食会)を開催。
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マーシャルは当時のどの冷凍庫よりも高性能な冷凍庫を発明し、それを使ってアイスを急速に造り、販売する。巧妙なマーシャルは冷凍庫そのものも売りつけて回った。 「レシピは公開してます。私の冷凍庫さえあれば、誰でも私のアイスは作れますよ」 憧れのアイスに大勢が殺到。
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「チャンス! アイスクリームはまだ殆ど誰も手をつけてないわ」 マーシャルは177種類のアイスクリームとデザートのレシピを収録した『氷の書』を著し、アイスクリームブームを作り出す。手持ちで気軽に食べられるよう、アイスをコーンに乗せるのも彼女のアイデア 彼女は『アイスの女王』と呼ばれた
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マーシャルは次のビジネスチャンスを捉える。ノルウェーから氷が輸入され、冷凍設備が普及され出した頃、アイスクリームが静かに流行っていた。 アイスクリームそのものは遥か昔からあるけど、冷凍庫もない時代、それを食べるのは貴族の特権。しかしそれが庶民にも降りて来た。
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学校には腕を上げたいメイドがやってくる。いい料理人は引っ張り凧。賃金交渉のチャンス。マーシャルは週に5回講義し、自ら料理を実践する、彼女の学校は最大時、2000人の生徒を抱えた。入学できなかった女性は彼女のレシピ本を買った。
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マーシャルはヴィクトリア時代の中流階級憧れの高級料理を彼女の生徒達に仕込む。アンチョビビスケット、カメのスープ、子牛の頭のエスカロップ、アスピックのウサギのクリーム。 レシピは簡略化され、動作をパターン化し、誰でも作れるようマニュアル化される。 料理学校は大評判となった。
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しかし料理人であると同時に、マーシャルは当時の女性としては異例の野心家だった。 「美味しい料理に需要はある。なら、料理学校を開いて生徒を育て、彼女たちを各家庭に斡旋すれば、大きなビジネスになるわ」 こうしてマーシャルは夫と共に料理学校を開き、雇用斡旋企業まで作る。
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少しでも腕のいいメイドは引っ張り凧になる。そんな状況を見て一人の女性が閃いた。 「これは、ビジネスになるわね」 アグネス・バーサ・マーシャルは中流の家庭に生まれた女性で、幼い頃から料理に特別の関心があり、やがて男性に混ざってイギリスやフランスの高級料理を学んだ料理人だった。
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19世紀、イギリス料理はまずかった。 上流階級への憧れから主婦を働かせる事は恥と考えられ、メイドを雇って調理させるけど、キッチンメイドとして雇われた女性でさえマトモな料理が作れず、まして雑役メイド(家事全般をこなすメイド。最も数が多い)なら尚の事だった。家庭料理は崩壊する。
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マシュー・ウェッブは19世紀のプロスイマー、また、スタントマン。 彼は水泳に魅せられたイギリス人で、生涯を水泳に捧げ、水泳に生き、水泳に死んだ。
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ランブイエ侯爵夫人カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌは17世紀、在ローマ・フランス大使の娘で、母はイタリアきっての名門貴族。英仏名門のサラブレッドだった。 ルネッサンス最盛期の文化的土壌のもとに大貴族の家に生まれた彼女は幼少から豊かな会話文化に親しむ。
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妻売りはなんと20世紀まで続けられたと言うけど、1857年、離婚がそれまでより簡単になるとほぼ終息する。19世紀の初めごろには流石にその光景は悪趣味なものとも捉えられていた。 一見酷い光景に見えても、それは過度に道徳的で現実に即さない法に対する逃げ道だったのね。