エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(新しい順)

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HMSテメレールは1793年に起工し、1798年に竣工したイギリス海軍の二等戦列艦で、三層の砲列甲板と98門の砲を備える強力な軍艦だった その名はフランス語で『豪胆』を意味し、かつて鹵獲した同名のフランス艦が活躍した事から、その武勲に肖り名を継承する。 またの名を『トラファルガーのヒロイン』
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それが蔑ろにされたと感じた時、民衆による私的制裁のスイッチが入るし、一度入れば民衆にもそれは止められない。行くところまで行って暴力を振るって発散するまで止まる事はないし、終わった後も懲罰的な事をやれば再度燃え盛る。 法は民衆のバランス感覚の後追いをしているのね。
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暴動が終わると、群衆は自分達のやっていた事があまりにアホらしい事に気づき、この事を忘れたがった。渦中のチョーサーも2度とドリッピングに関して口にしたいとは思わなかった。暴動の参加者で逮捕されたのは1人で、僅か一週間で釈放される。 法は法として、民衆には独自のバランス感覚がある。
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「お前らもあのドリッピング野郎の味方か!」 完全に暴徒と化した群衆は警察にも投石を始め、衝突した。 「抑えられません! 軍隊の投入を!」 リーズ市長は最早警察ではどうにもならないと、近くに駐屯していた第8騎兵隊に救援を要請し、何とか暴動は収まった。死者1人、負傷者多数の大騒動だった
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チョーサーの家の周りは既に700人ほどの群衆に囲まれて雪玉をひたすら投げられていた。そこに本体が合流すると、もうタダでは済まない。投石が始まる。家の中でチョーサーはガタガタ震えた。 「殺される! ドリッピングのせいで殺される!」 流石に看過できないと警官隊が駆けつける。
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しかしスタッフォードは午前7時に釈放されており、リーズを後に彼女の故郷に向かっている最中だった。 肩透かしを食らった群衆は振り上げた拳のおろしどころに困る。 「ドリッピング野郎の家に行くぞ!」 ヒロインを迎えて大騒ぎする予定だった群衆は別の方向にシフトした。
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ドリッピングの代償は高くついた。チョーサーの家の壁にも落書きがされ、外出してもしなくてもドリッピング野郎と大声の合唱に彼は追われる。今や彼は街一番の嫌われ者だった。 そしてスタッフォードが釈放される日、15000の群衆が午前9時から刑務所の前で待機する。
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街中にチョーサーを侮辱する文言が書かれ、すれ違う人達から彼は侮辱を受けた。ドリッピング! ドリッピング! と彼はからかわれたり、囃される。 「何でこんな事に! 私が何をした!」 リーズは貧富の差が激しい街で、富める者が貧しい者にお目溢しをするのは暗黙の了解。彼はそれをしなかった。
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黙認されてる慣習とは言え、大真面目に盗難で訴えられたら確かにそれはそうなので、スタッフォードは有罪となり、禁錮一ヶ月となった。 このニュースはリーズじゅうに広まり、主に貧困な階層の人達を激怒させた。 「ドリッピングひとつで労働者を刑務所にぶち込むとは、なんてケチ臭い野郎だ!」
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ところがチョーサーはこれを見てカンカンになった。 「泥棒メイドめ! 訴えてやる!」 こうしてスタッフォードは起訴される事になった。彼女からしたら理不尽極まりない。 「職務上の謂わば副産物です! 皆やってる事ですよ!」 「黙れ! 小さなことでも何度もやれば多額の損失だ!」
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1865年、イングランド北部ヨークシャーの大都市リーズの治安判事チョーサーに仕えていた女料理人、エリザ・スタッフォードは、料理の副産物として得られるドリッピング0.9キロを地元の洋裁師に売った 使用人がこうした役得にありつく事は当時珍しくなく、たとえば執事なんかはワインをがめてたりする
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牛肉を焼いた時に出る脂肪をドリッピングと言い、イギリスではこれを貯蔵してパンに塗りつけたり、料理用の油として再利用する習慣がある。 ところがこのドリッピングが元で大騒動になった事があった。それが、リーズのドリッピング暴動。
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1809年11月。オーストリアでイギリスの外交官が煙のように消えた。秘書や従者の見ている前での事だった。以後、彼の行方は杳として知れない。 ドラえもんでも取り上げられた有名な神隠し事件のひとつ。さて、この外交官の身に何があったのか、今日は話しましょう。
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スコットランド北西の島々、フラナン諸島は航海上の難所として知られており、1899年、船舶の安全のために最大の島であるアイリーン・モア島に灯台が設けられた 同島は無人島であり、6週間のサイクルで3人の男が灯台に常駐する事になる。島には不吉な伝説があった 『この島の妖精は、人間を好まない』
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ヘンリー8世もエリザベス1世も家臣団を引き連れて王宮大移動を繰り返してたけど、これは娯楽や忠誠心の刺激と言う目的はもとより、単純に彼らが住まう宮殿が過密状態で、すぐに不衛生になるから掃除のために逃げ出さないとならなかったと言う事情もあったみたいね。
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1796年のこと。ロンドンの芝居小屋の支配人であるシェリダンはシェイクスピアの未発表の台本とされる『ヴォーティガン』を19歳の青年アイアランドから受け取り、上演した。 台本を一読したシェリダンははじめ思った。 「妙に稚拙だな?」 しかし彼には余裕がない。劇場のために借金がある。
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前も話したけどクリスマスの原型は冬至の祭りにある。一番古いのだとミスラ神の祝いの日とも言われてるけど、ローマ神話にも同様の祭りがあって、農耕の神サトゥルヌスを祝うサトゥルナリアがそれ。 このお祭りの際は皆が同じ被り物をして、身分をごちゃ混ぜにした。
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イギリスではクリスマスディナーの際、紙の王冠を被って食事を取る伝統がある。これは王族と言えども例外ではないとされ、エリザベス2世女王もクリスマスの時には被っていたとか。 この帽子、何処から出てきて何故受け入れられたのか。
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サンタさん、あちこちにプレゼントをたった一日で運んで……。とは聞くけど、NORADの発表によると、サンタさんはわたし達とは異なる時間を過ごしてるみたいだから大丈夫みたいね。あ、サンタトラッカー動いてるわよ。
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少し遡って8世紀ごろの話から始めましょう。 この頃のイギリスは現在とは全く違う姿をしていた。ローマ軍が引き上げた後のイングランドは土着の民族であるケルト系ブリトン人と、侵入してきたゲルマン系民族アングロ・サクソン人による群雄割拠の混迷とした時代を経た後、最終的に七王国に落ち着く。 twitter.com/gxe10i6_use20v…
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トイレの話です。 他人に用足ししてる所を見られるのは嫌だし、他人の用足しを見るのも現代人なら普通は嫌だと思うんだけど、テューダー朝期から19世紀の終わりまでイギリスには国王のトイレ係、グルーム・オブ・ザ・スツールがいた。
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ジャローマーチは普通の人達が政治に物申し、市民が抗議をする権利を持ち、政府はそれを聞き入れる義務を持つ事を確認させ、1930年代の忘れられ、失敗に終わったほとんどのハンガーマーチの中で、今でも変わらぬ輝きを持ち、地元の誇りとなっている。
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1920年代の終わりから1930年代にかけて、イギリスは大不況に晒された。大勢の人達が職を失い、産業は冷え込む。1932年に登録失業者は350万人に達した。 こうした中、イギリス共産党は失業者を組織化し、ロンドンまで行進して議会に抗議するハンガーマーチを始める。
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ネル・グウィンは17世紀のイギリス王、チャールズ2世の寵姫(ロイヤル・ミストレス)の1人で、そしてその中でも最も有名な女性。 彼女はスラムの生まれで、父親は物心ついた頃にはすでに他界し、母親は売春宿で働いてどうにか娘を養うくらいに貧しかった。ネル自身も幼い頃から給仕するなどして働く。
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エセックス伯はノルマンコンクエスト以来、9度に渡って創設された貴族位だけど、中でも有名なのが16世紀から17世紀のエセックス伯、ロバート・デヴァルー 長身で眉目秀麗な彼はエリザベス1世のお気に入りの寵臣で、祖母と孫ほども歳の差がある女王を讃美することで成り上がった。