226
パルマンティエは職場である医院の畑で個人的にじゃがいもを栽培し、患者に栄養をつける安価な薬代わりとして処方していたものの、反対運動が巻き起こり、お陰様でパルマンティエは出世が妨げられた。しかしそれで折れるパルマンティエではない
「じゃがいもは名医より大勢の人を救う食べ物なんだ!」
227
パルマンティエ同様、科学的見地からじゃがいもを擁護する人たちがたちまち賛同する。中にはアメリカ建国の父の1人であるベンジャミン・フランクリンもいた。
しかしコロンブス交換以来250年間、毒とみなされていた偏見はその程度では覆らない。
228
帰国して後、パルマンティエはじゃがいもの安全性と効能を声高に訴えた。
「我が国において無視されているこの野菜は、全く安全であるのみならず、美味であり、また栄養豊富で、そして痩せた土地でも豊富に実る万能の野菜です! どうかじゃがいもを可食物として認可されたし!」
229
230
「お前、じゃがいもを食べるなんて……。ハンセン病に罹るぞ」
捕虜仲間からそう言われるパルマンティエだけど、まるで意に介さない。プロイセンは貧しい国で、国民に満足なパンを支給できないからじゃがいもを仕方なく奨励してる。まして捕虜ならパンなど出ない。
231
18世紀のフランスは天下の美食大国であり、じゃがいもなんて鼻から無視する。パルマンティエも家畜の餌か、貧民の窮余の食べ物みたいなのを食べさせられる捕虜の惨めさと共にじゃがいもを嫌々食べる。ところが表情が変わった。
「……美味いじゃないか」
パルマンティエはじゃがいもを完食。
232
とは言え、やがてヨーロッパ人もじゃがいものポテンシャルに気づく。痩せた土地でもよく育つ。栄養価が豊富で、しかもありとあらゆる料理に合わせやすい。
「貧民のパン」
やがてじゃがいもは密かにそう呼ばれ出した。一方で偏見も根強い。マトモな人の食べるものではないともされる。
233
じゃがいもはアメリカ大陸からいわゆるコロンブス交換でもたらされたものの一つだったけど、当初、食用とは見做されなかった。
一つには根菜に対するヨーロッパ人の偏見。地に埋まってる物は邪悪に違いない。
もう一つは、よく知られてるようにじゃがいもの芽が猛毒を実際持っていたから。
234
235
237
238
1935年、北アフリカで2人の女性が一台のオートバイと、それに接続されたサイドカー。そして牽引するトレーラーと共に鷹のような目で南を見据えていた。
「もう後には引けない。行くよ」
「ええ、目指せケープタウン」
前代未聞の大冒険。女2人、バイクによるサハラ砂漠縦断への旅の始まりだった。
239
ある日、ケント州の小都市パドックウッドで一人の巡査がのんびりと自転車を漕ぎながら警邏していた。
「今日も街は平和で長閑だな」
そんな事を考えていると、彼の正面に自動車が現れ、瞬く間に接近し、その傍らを猛スピードで通り過ぎて行った。
「ス、スピード違反だ! 止まれ! 止まれ!」
240
241
242
243
「これでは渇いて死ねと言っているようなものではないか……」
こうした状況に心痛めた人物が銀行家で国会議員のサミュエル・ガーニーだった。
ガーニーは1859年、メトロポリタン水飲み場協会を結成し、安全な飲み水を確保する事を決意する。コレラは井戸水から広がった。公共の水飲み場が必要だ。
244
大規模な下水処理システムが構築される一方、安全な飲み水の確保が求められた。それこそ水が信用出来ないために多くの人がビールを飲む。低賃金の労働者はそれも買えない。コーヒーも紅茶も気軽に飲むには高い。
245
「中世人は水が汚染されているから代わりにビールを飲んでいた」
わたしも数年前までは信じてた神話だけど、これは事実ではない。正しくは19世紀中頃のロンドン市民の話で、例によって近代は中世よりはるかに汚く、テムズ川の水を飲めばほぼ確実に死んだ。 twitter.com/elizabeth_munh…
246
247
248
「新年明けましておめでとう!」
「えっ、いやまだ明けてないけど……」
なんて事になったら混乱するけど、18世紀半ばまでのイングランドでは新年が他所の国どころか連合王国内のスコットランドとすら異なり、何かと混乱の種となっていた。
1752年まで彼らにとって新年とは、3月25日を指した。
249
1680年代以降、人口が増大するロンドンの治安は悪化の一途を辿った
犯罪者を取り締まるべき警察は存在せず、無給のボランティア頼みだったため、巡査や夜警はやる気がなく、犯罪者の追跡には賞金稼ぎじみた民間人、泥棒捕り(シーフテイカー)が当たる事となる
そんな中でも大物と称されたのが2人いた twitter.com/elizabeth_munh…
250
17世紀から18世紀、ロンドンは退廃の魔都と化し、都市は犯罪で渦巻いた。
急速に成長し、大都市として伸びゆくロンドンは無秩序に人々を受け入れており、貧しい人と富める人は隣り合って生活する。やっては来たものの仕事がなくてあぶれた人達は泥棒に身を持ち崩した。