エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(いいね順)

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親もなく、コネもなく、頼れるのは腕一つ。そんな立場から身を立て、高みに至る。 アメリカンドリームの体現者となった騎手達はそれぞれ、ポニーエクスプレス社の騎手であった事を看板に、それぞれの夢へと走る。 彼らもまた、歴史の浅い国アメリカの建国神話の一部。
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ロンドン警視庁をスコットランド・ヤードと呼ぶけど、これは警視庁本部が設けられた建物の正面玄関が狭く、出入りする際には間口の広いグレース・スコットランド・ヤード通り(中世にスコットランド王家の宿泊施設があったことに由来)に面した門を使ったから。 日本でも桜田門は警視庁の別名ね。
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1789年、フランスでバスティーユ要塞襲撃が起こり、フランス革命が始まる。 その時、我らがイギリスはライバル国で起こった革命騒ぎを一様に祝していた。 「フランスも遂に絶対王政の非合理さに目覚めたぞ!」 何せイギリスは革命に関しては先達で、清教徒革命・名誉革命で経験済み。
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ヴァイオレット・ジェソップ(以下ジェソップ)はアルゼンチン出身の客室乗務員。 9人きょうだいの長女で、幼少期の殆どを弟妹の世話に費やす。16歳の時に父親が亡くなると、母親に連れられて一家はイギリスに移住した。
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これを改善したのがガスコンロ。つまみを捻ってガスの出力をいじれば火加減は思いのまま、すぐに望みの火力も出る。 この発明者がアレクシス・ブノワ・ソワイエ。イギリスの料理人で、また、食史に巨大な一歩を記した戦うシェフ。 その生涯は波瀾万丈だった。
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ww1でイギリスは甚大な人的コストを支払った。英国本土だけで111万5000人。更に植民地から88万7000人 今でもヨーロッパを旅するとどんな田舎でも戦没者の名が刻まれた慰霊碑を頻繁に目にする。5人いた息子が全滅した家もあった しかし奇跡的に全員が帰還した村もある。それは『感謝の村』と呼ばれた
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1854年10月25日、クリミア戦争の真っ只中。670名から成るイギリス軽騎兵旅団はラッパの音と共に一斉に騎乗し、整列した。 「抜刀!」 号令一下、騎兵達はサーベルを抜き放つ。 「前へ、進め!」 そして隊列を保ちながら馬を駆り、徐々に速度を上げていく。 イギリス史上最も無謀な突撃が始まった
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ドイツに帝国アハト(追放)刑と言う刑罰があった。 これは死刑より凄まじいもので、対象を『法の保護の外に置く』というもので、正に国家による保護から一人の人間を追放する極刑。 人間ではなく狼とか死人として対象は扱われるので殺そうが何をしようが構わない。
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街の家々は全て壁を共有していて、すし詰め状態で建っていて、家の中に入るための出入り口は天井にしかない。 つまり住人たちは梯子を伝って屋根の上に登り、屋根と屋根を行き来して街を歩いた。地面には街路がないからね。 こうした独特の街ができたのには理由がある。
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ヘレン・ビアトリクス・ポターは1866年、ロンドンに生まれた。 母親と同じファーストネームだったので周囲は彼女をビアトリクスと呼び、親しい人は単にBと呼ぶ。階級としてはミドルクラスながら、資産家の両親を持つ彼女はアッパー・ミドル。即ち貴族でないだけで、ほぼ上流に近い家の娘だった。
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「そのノートは燃やしなさい。それから、この事は誰にも言わない事。聖書に誓いなさい」 こうしてオーバーロード作戦はクロスワードパズルが発端であわや頓挫するところだったのが実行に移された。 人の口に戸板は立てられぬ。最大級のプロテクトをしても、運用してるのは結局、人間だからね。
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北欧神話における天国をヴァルハラと言うけど、ここは神々の住まう城で、戦場で斃れた戦士のみがこの門をくぐる事を許される。 戦女神ワルキューレからお酌を受けて、尽きる事ない肉食を楽しみ、朝になるとひたすら夜になるまで殺し合いの戦闘訓練をやって生き返ってまた宴会。
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ダンケルク撤退。いわゆるダイナモ作戦はイギリスの士気を高め、負けて撤退したにも関わらず『ダンケルク魂』はイギリスの不撓不屈を示す合言葉になった。 一方で余り話題にならない撤退作戦もある。それがダイナモ作戦の後で行われたエアリアル作戦だった。
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英仏海峡の狭間、フランス寄りに位置するチャンネル諸島は中世来の自治権を有し、現代でも国王の私有地、即ち王室属領となっている。イギリス領ではなく国王の領地な訳ね。なのでイギリス法は適応されない。そんなちょっと変わった島。
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オリンピック級三隻の海難全てを生き延びた彼女は『ミス不沈艦』と称され、もっと有名なタイタニックサバイバーとなる。 とは言え整然の彼女はこの異名に苦笑いした。
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何故イングランドのサッカーチームは犬を飼う事を許されないのか? リードを保てないから。
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なんだこれは。たまげたなぁ。美的センスのかけらも無い。きっと考案した人はよほどの野蛮人だと思ったらイギリス製だった。
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14世紀から19世紀半ばにかけて地球は小氷河期にあり、現代とは大幅に気候は異なった。 ロンドンを流れるテムズ川は流れがゆっくりな上、無数の橋脚によって支えられるオールドロンドン橋によって流れが阻害されており、一度冷え込むと忽ち凍結した。氷の厚みは30センチになった事もある。
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まず壁を共有するのは建物の強度を増すためと、建築資材の節約。家々が壁を共有しあって街全体で一つの建物になる事で、少ない資材で頑丈な街を作れる。 そして地面の高さに出入り口がないのは侵入者対策。もし敵や、猛獣が来ても、梯子を外せば家の壁は城壁に早変わり。
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中々美しい意匠をしたシルバーのメダルだけど、第一次世界大戦期においてこのメダルは多くの男性が安全なはずの銃後の郷里で身を守るのに必要な盾だった。これ無しに外を出歩けば、耐え難い恥辱を与えられた このメダルは、国家に貢献した事を示すものであり、即ち、後ろめたい事が無いことの証だった
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17世紀、インドと東南アジアにそれぞれ進出したイギリスとオランダはマラリアに苦しめられた。夏季に死亡率はピークに達し、毎年駐在員の1/3が死亡する。 その対策として作られたのが、ジンだった。
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おはよう。今朝のTIPS。 ガチガチの階級社会であるイギリスでは合理性より体面を重んじる事がよくある。 それは合理性を重視する軍隊でも同じで、兵卒や下士官はともかく、20世紀に至っても士官、特に高級将校は紳士たる事が求められ、貴族的な生活を過ごすよう求められた。
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イギリスではクリスマスディナーの際、紙の王冠を被って食事を取る伝統がある。これは王族と言えども例外ではないとされ、エリザベス2世女王もクリスマスの時には被っていたとか。 この帽子、何処から出てきて何故受け入れられたのか。
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妻売りはなんと20世紀まで続けられたと言うけど、1857年、離婚がそれまでより簡単になるとほぼ終息する。19世紀の初めごろには流石にその光景は悪趣味なものとも捉えられていた。 一見酷い光景に見えても、それは過度に道徳的で現実に即さない法に対する逃げ道だったのね。
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ナチスドイツの親衛隊の将校服は格好いい。 現代から見ても格好いいので、当時だと敵軍からも憧れを買った。 そんな訳でドイツ軍を打ち破った連合軍兵士が状態のいい制服を見つけると、テンション上がって着用して味方陣地に走って見せびらかしにいったそう。 大体は撃ち殺されたとか。