エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(いいね順)

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コーヒーハウスが初めてロンドンにできたのは1652年だった。 この頃はハイソな飲み物扱いで、大学生や銀行家、保険会社のビジネスマンなど、排他的な知的エリートの溜まり場で、普通の人は入れなかったけど、彼らはたちまちコーヒーの魅力にハマる。 「酒と違って酩酊しない! 頭がクリアになる!」
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巨大な前輪は何よりもスピードを出すためのもので、チェーンもなく、前輪が駆動輪。35キロは出た。高い座席はまるで乗馬中のような心地よさを感じさせる。正にスポーツサイクルそのもので、労働者階級よりお金持ちだけど、上流階級程にはお上品さを求められない中産階級の若い男性は熱狂した。
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16年の余生のうちにポテイトーズは172頭の馬の父となった。 サラブレッドの始祖と称される最強馬、エクリプスの子の中でも最優と目されたポテイトーズはやがてポテイトーズ系と呼ばれるサラブレッドの始祖となる。 当然、彼らはよく走った。ポテイトーズ系はやがて競馬界を席巻する。
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お昼のTIPS。 1725年、オーストリア支配下のセルビアで奇妙な事件が起こる。 墓から蘇った農民が夜な夜な人を殺して回り、9人が犠牲になったと言う。 18世紀ともなれば教育を受けた層はもう相当に科学的な思考ができる時代で、村人の迷信を慰撫するために役人と聖職者が派遣された。
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英文記事に機械翻訳かけて見てたら、アメリカの歴史サイトで『イギリスとイギリスとイギリスの違いはなんですか』って書いてて、何の事かと思ったらイングランドとグレートブリテンとユナイテッドキングダムってそれぞれ書いてた。 アメリカ人でもそう言う事思うのね。
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ガリポリ作戦の総司令官であるハミルトン将軍も「極めてミステリアス」とコメントを残した。 彼らに何があったのかをE中隊、通称サンドリンガムズの視点から話して行きましょう。 サンドリンガムズは元々、イギリスのパートタイムな軍隊であるテリトリアル部隊に属した。
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セントヘレナに流された後のナポレオンはエルバ島時代と異なり、明確に囚人として貶められたので、やる事がなくなって回想に励むしかできる事がなくなり、その過程でかつての部下達に自分の失点をなすり付けたりした。 そんな中、最上級に高い評価を得たのがランヌ。
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時代の変わり目は価値観に激震が走る。そんな時、保守的な道徳や倫理観は馬鹿馬鹿しくなり、若い人達はしばしば無軌道にも見えるカウンターカルチャーを形成した。 1920年代から1940年代までのイギリスでそうした反権威的なムーブメントを担ったのが、ブライト・ヤング・シング(明るい若者達)。
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炎上したらすぐ消すけど、取り敢えずわたしの知るところを簡単に。 まずのっけから言うと、現在のイギリス王家は万世一系を号する皇室と異なり、かなりの紆余曲折と変遷をしてきている。 twitter.com/suzuken0524/st…
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戦後、工場は閉鎖され、彼女は大学の食堂の厨房スタッフになり、平和な日常に復する。夫は1954年に亡くなったけど、彼女は100歳まで生き、1995年に亡くなる。イギリスで最も有名な女性労働者の一人である彼女の誕生日には同じく戦友とも言えるエリザベス女王からメッセージが来た。
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同意に基づく警察行為。 twitter.com/elizabeth_munh…
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馬は自分より小さな生き物を見ると安心するそうで、猫と相性いいみたいね。 気象の荒い馬に猫を友達として送ると、性格が良くなることがあると聞くわ。 twitter.com/livedoornews/s…
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これは屋外の劇場? ではなく、これは映画館。豪華で精巧な内装が施されたこうした映画館は1910年代から1940年代まで全盛期を極めたピクチュア・パレスと言う形式で、文字通り映画を楽しむための宮殿だった。
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『スティーム』と聞くとスコットランド人はニヤリとする。その言葉はスコットランド人にとって、ちょっとした背徳的な楽しみを意味した。 プロテスタントはカトリックに比べて禁欲的な性格の宗派で、スコットランド人は南のイングランド人より信心深い。しかし彼らは酒呑みだった。
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「芋学者が!」 とエリート層はパルマンティエを馬鹿にする。しかし熱心で、しかも見返りを求めず、ただじゃがいもの普及に努める彼の姿にやがて大勢が絆されていった。 「凡人は華やかな悪党を持ち上げる。しかし、パルマンティエ氏は飽くまで純粋で、等しく人類のために身を捧げている……」
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3歳から10歳までの7年間、ポテイトーズは重賞を含む40戦に出走し、28勝、ないしは34勝を挙げる堂々たる名馬ぶりを見せ付けた。 「エクリプス最優の子だ。最も血が濃いぞ!」 引退後、ポテイトーズは父エクリプスと同じように種付け依頼が殺到する。
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やがてオムニバスは省略され、単にバスと称される事になる。 誰にでも開かれた公共の足は、17世紀の時点では早すぎた発明だったけど、都市が拡大する19世紀から20世紀、欠かせぬものとして復活を遂げ、そして今では日常にありふれたものとして、わたし達の生活を支えている。
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わたしはいつも通りやるよ。明日も働くし、歴史知識も流すよ。 皆も、普段通り振る舞おう。
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マシュー・ウェッブは19世紀のプロスイマー、また、スタントマン。 彼は水泳に魅せられたイギリス人で、生涯を水泳に捧げ、水泳に生き、水泳に死んだ。
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帰国して後、パルマンティエはじゃがいもの安全性と効能を声高に訴えた。 「我が国において無視されているこの野菜は、全く安全であるのみならず、美味であり、また栄養豊富で、そして痩せた土地でも豊富に実る万能の野菜です! どうかじゃがいもを可食物として認可されたし!」
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滅多に人を褒めないので有名な哲学者ヴォルテールは手放しでパルマンティエを賞賛した。 「貴殿の如き栄光は純粋で、人類を愛する全ての人々の賞賛に値するものであります」 パルマンティエは全く無私の心でじゃがいもの普及に努めた。 「地位も年金も要らん。じゃがいもは人々を救う」
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村の仕立て屋はロンドンから取り寄せた反物を受領した時、それが湿っていて、異臭がするのに違和感を覚えた。 「オイオイ、管理はしっかりしてくれよ……。これで上等の服を仕立てるんだから。仕方ない。暖炉で乾かすか……」 しかし程なく仕立て屋は体調不良に悩まされるようになる。
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後にフランス革命で断頭台の露と消えるルイ16世はパルマンティエを猛烈に応援した。 「気候変動で不作が激しい! どうかフランスのためになってくれ。余が出来ることは全てやろう!」 こうしてフランスは国家を挙げてじゃがいもを普及させる事に。
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もっとも他の利用者との兼ね合いからベンチに寝そべる事は出来なかった。そうなると当然うつらうつらとしても、ベンチから滑り落ちてしまう事にもなる。 それで出来たのが『2ペニーの二日酔い』で、ベンチの前に横たわるためのロープが張られる。食べ物は提供される事もあったけど、保証はない。
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こうしてじゃがいもは毒物から貧民のパンに、そして、フランス料理の定番として定着し、ヨーロッパ料理の基礎の一つである高貴な野菜になる。 今やその高カロリーは嫌われる事が多い。しかし貧しい頃、どれだけ多くの人の命をじゃがいもが救ってきたか。