永田泰大(ほぼ日)(@1101_nagata)さんの人気ツイート(いいね順)

ゲストを招いてインタビューするラジオ風コンテンツ、本日更新しました。二人目のゲストは『スマブラ』や『カービィ』をつくったゲームクリエイターの桜井政博さんです。いやあ、これおもしろかったです! 全4回の1回目。Podcast、Spotify、YouTubeなどで無料で聴けます。 1101.com/kiku_hobonichi…
みんなが知らないことをみんなが知ってるものだと思い込んで話すくせのある同僚平野の今日の第一声は、「桑マンがツイッターはじめたじゃないですか」。いや、知らない。
観たぞ投稿フォーム、オープンしました。はじまりのご挨拶も。よろしくお願いいたします。 #mitazo のタグが英文字表記なのも年季を感じますね。日本語ハッシュタグって当時不安定だったんですよ。思えばぼくら17年前から自宅観戦派。約18日間、みなさん体調に気をつけて。 1101.com/tokyo2020/2021…
アクシデントで一時的に困った状態に陥っているのではなく、もうこういう環境に移り変わったのだととらえたほうが、これからもっと状況や居心地をよくしていこうという気になる。9年前の震災のときもそうだった。仮に平穏が訪れたとしても、私たちはもとの日常ではなく、新しい日常に戻っていくのだ。
休日にカフェなどで仕事をしてる風景は、大変だなあというふうに映るかもしれないけど、ぽっかりできた時間に自分のペースで仕事を進めておくというのは、嫌じゃないどころか楽しかったりなんならちょっと爽快だったりもするんだよ。つまり、楽しさはその人が決める。あらゆる趣味がそうであるように。
外出自粛や在宅勤務は、いろんな境目をちょっとずつ曖昧にする。仕事と休み、平日と週末、公と私、昼と夜、三度の食事‥‥。きっとそれはこれまで経験したことのない負荷になっているから、上手に自分を甘やかしたほうがいいのだろうと思う。今日は天気も曖昧で、午前中は嵐だったのにいまはこんな空。
肯定的な意見が面白いのは、人としてどうこう以前に情報量が多いからだと思う。何かを嫌いな場合は第一印象とかある一面を嫌いなことが多いのでどうしても表層的で共感がしづらい。一方、何かを好きな人は全体をとことん味わうので、そこから生まれる「ここが好き!」は必然的に情報量が多く、面白い。
あなたが多忙なのは重々承知だが後々のことを考えると今のうちに少しでも進めておくべきではないか必要なら締切と会議を設定するぞでも無理なら無理と言え、と敏腕進行役からたいへん真っ当な二択を迫られ、正しさと厳しさの狭間で揺れながら自分が返した回答は「わかる。」だった。答えになってない。
西野監督「(世界との差はどこ?)‥‥すべてだと思いますけど、わずかだと思います。」 #mitazo
このたびの台風と地震で被災された地域の方々に、直接役立てることではないのですが、2017年につくったコンテンツを紹介します。東日本大震災と阪神淡路大震災のときに、ライフラインをつないだ人たちへの取材です。 1101.com/fukushima/2017…
外苑前ドトールの2階で丸テーブルにPCとコーヒーを並べて黙々と作業する会社員の一人がいまコーヒーを派手にひっくり返したが、周囲はまず自分に被害が及ばぬようサッと避け、大丈夫気にするなと軽く意思表示した後、当事者の荷物を遠ざけたり紙ナプキンを渡したりと無言で連係プレイ。謎の戦友感。
学校から帰るやいなや、大量の友チョコづくり、ラッピング、交換会(女子オンリー)と、超ばたばたしてる小6の娘に、父親の分はないのかと聞いたところ「足りるかわかんないから!」と即答され、不服そうに見ていたら、梱包からこぼれたチョコのかけらをぺっと渡された。ハ、ハッピーバレンタイン…。
運をよくすることはできないけれど、運や縁が近づいてきたときすぐに気づけるようにする、ということなら少しはできるんじゃないかと思う。意識するときの手がかりは、たとえば、いまの自分をつくってきた運や縁を思い返すこと。そういうことは日々のあちこちにあるに決まってるんだから。
トライのあとの「なんら偶発的なことはありません!」勝利が決まった瞬間の「もう奇跡とは言わせない!」実況の方の冷静な熱さが、観ていてうれしかった。しっかりと勝利をつかんだ日本、強かったです! ああ、どきどきした。 #mitazo
若い頃に友だちといてさえ感じる孤独感にはそれこそが青春だという先人からの大きな肯定があるけれど、ある程度キャリアを積んだ中高年が日常にふと抱える疎外感にはなんだか受け皿がなくて時々途方に暮れる。いや、だからこそ年長者は自分の未来を自分で切り拓くのだろう。見るべきは畑ではなく荒野。
伝わったかな。こう言えばよかった。傷つけなかっただろうか。しゃべりすぎた。そんなことを気にせずいられたららくだろうけど、それを気にしない自分になっても仕方ない。それでつまり、伝えて、気にして、また伝えることをくり返す。というこれも、のちに気にするかもしれないけど、しょうがないさ。
照れくさいことを正直に書くと、「自分のいい文章を読みたくて書く」という気持ちが書くときのはじめの動機としてうっすらある。それは自己愛じゃなくて、最初のお客さんとして自分に期待しつつちゃんとやれよと叱咤するような感じ。何かをつくるとき自分の中に最初のお客さんがまず必要なんだと思う。
同じ場所で同じ人と同じ時間を過ごしていると、どれだけ健全な気持ちでいても、周囲との溝や段差は自然とできていく。淀みや沈殿は自然に起こる。だから、いまの場所から移動する意味が見出せなくても、ひょいと動いて違う風景を見るくせをつけた方がいいのだと思う。新しさって、不自然なものだから。
違和感は、入り口。いいことにも悪いことにも違和感がある。ここはいいなも、ここが嫌だなも、次の何かにきっと役立つ。いま自分が引っかかったでっぱりは何か、立ち止まって確認すること。違和感を逃さないこと。違和感の原因を分解してストックすること。そして何より違和感をチャンスだと思うこと。
いざとなったら自分は冒険できるし飛び出せるし枠だって超えちゃうし、とか思いながら安定した環境に長く座っていると、自分からは動かないうえに何かできるつもりだから焦りもしないという、一番周囲を鈍化させる人になってしまう。俺だけは違うと思っているのも俺だから、俺は俺に気をつけなければ。
何かのパスワードがうまく通らなくて、これだと思うものをいくつも試しても失敗するときに、リセットして新しくパスワードを登録するのは別に構わないんだけどさ、そのときにさ、あのさ、お願いだから正解を教えてほしいんだよ、ほんとはこれでした、って。もう、ぱっと一回表示されるだけでいいから。
あの人はあのときなぜああ言ったのだろう、というとき、相手はそんなに複雑なことは考えてなくて、ただたんに、目に、違う景色が映っていただけだったりする。じぶんのことでも、そういうことはある。そのとき目に何が映っていたかということが、ぜんぶの鍵だったりするんだ。
この時期にオリンピックを観てると、町田樹さんのソチでのコメント、「明日、逆バレンタインできるようにがんばります」を思い出すなぁ。詩人だ‥‥。 #mitazo
大阪桐蔭、優勝! 才能に甘えず努力を重ねた人たち、ほんとに強かった。おめでとうございます。試合終了の挨拶のあと、笑顔の大阪桐蔭の選手たちが金足農業の吉田選手を囲んで声をかけていたシーンが心に残りました。ああ、終わってしまった。すばらしい大会でした。
スケートボード、超フランクでタメ口だけど知識と愛を感じる瀬尻稜さんの「やっべー」解説と、丁寧で礼儀正しいんだけど情報量と興奮を感じるアナウンサー(どなただろう)の組み合わせ、最高だった。 #mitazo