飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「エモい」の多用を識者が批判することに、私はもちろん疑問を呈したいわけです。「エモい」は「いとおしい」「懐かしい」など種々の感情語の上位概念です。「桜」「コスモス」に対する「花」のようなもの。上位概念は意味が広いので、いろいろな場面で使い、使用頻度が多くなるのは当たり前です。
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「誰もが間違う日本語」「日本人のほとんどが誤る日本語」といった趣旨の本が多く出ています。思わず「それは大変だ」と手に取ってしまう。でも、冷静に考えると、誰もが間違うとは、私たち皆が使っている日本語ということ。「よく通じるスタンダードな日本語」であり、不安に思わなくていいでしょう。
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「いやだ」が「やだ」になるのと同じ現象も、昔からありましたよね。「いだく(抱く)」を「だく」と言ったり、「いばら(茨)」を「ばら(薔薇)」と言ったり。というわけで、語頭の「い」が落ちるのも、昔からの伝統です。心配なさいませんように。
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エリザベス女王に哀悼の意を表します。 「女王」は「じょおう」か「じょうおう」か、見坊豪紀は1975年、女王来日の際に放送を観察し、アナウンサーも昭和天皇も「じょうおう」と発音することを記録しています。「女」の「ニョ」の音が慣用で「女房(ニョウボウ)」となるようなものと考えられます。
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憂慮するのは、他の教養バラエティー番組でも、このように無茶苦茶な内容(事実に反する、または、個々の部分は事実でも誤解を招く構成になっている)が増えていることです。「事実でためになるが、つまらない」よりも「事実でなくても、面白い」ものを私たちが求めている結果なのでしょう。
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大臣の「がっかり」発言から教訓を得るとすれば、病気の人に対して、自分側の期待外れの気持ちは言わないほうがいい、ということです。病気でコンサートが中止になった歌手に対し、どれだけ公演を楽しみにしていたとしても、「楽しみにしていました。がっかりです」とは言わないほうがいいです。
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ある種のまとめサイトでは、広告収入を目的に、何でも書き殴っていると聞きます。1ミリも関心のないことについて書くのはさぞ苦痛でしょう。授業でいやいやレポートを書くことは誰にもありますが、せめて「可」を取ろうと努力する。まとめサイトには、その努力もない「不可」の文章があふれています。
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「完全に正しいことだけを書いてある書物」を想定することは困難です。『広辞苑』を含む国語辞典も例外ではありません。高等教育で教えられる基本のひとつに、「書物には必ず誤りがある」ということがあります。ものごとを考える場合には、複数の文献を比較して判断することが必要になります。
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辞書に誤りがあるのは困るし、作り手も必死で誤りを正します。それでも誤りはなくならない。なぜか。弁明めきますが、「人間が作っているから」としか言えません。読者が誤りを指摘し、それが訂正されるのは健全です。ただ、一部の誤りによって辞書全体を否定することのないよう、願うばかりです。
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近藤泰弘さんが指摘していますが、「取り急ぎ(取りあえず)御礼まで」は昔の手紙の決まり文句で、戦前までの手紙文ではふつうに使われました。渋沢栄一あてに年下の肥田景之から出された手紙にも「先ハ不取敢御礼迄(まずはとりあえずおんれいまで)」という部分があります。eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/di…
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すでに述べたように、蔑視は軽蔑の心を表すことなので、「蔑視のつもりはなかった」と言われると追及しにくい面があります。一方、差別というのは実害を与えるものです。この場合は女性理事にまさしく「ガラスの天井」を設ける発言であり、蔑視発言というよりは差別発言というほうが正確です。
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放送では、青森県むつ市の高校や街頭でインタビューが行われていました。若者も年配の人も「わい」を使っているという当事者の証言がありました。これは情報として価値があります。ただ、だからといって〈自分を“わい”と呼ぶ女子 ルーツは青森の女子高生!?〉というのは飛躍です。
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「とんでもございません」は「とんでもないことです」が正しいと言われます。でも、文化審議会の「敬語の指針」(2007)では、「とんでもないことです」は「許し難い」の意味、「とんでもございません」は謙遜の意味で、用法が違うとされ、後者でも〈問題がないと考えられる〉と記されています。
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「パセリ」ということばは、英語のparsley(パースリ)が日本語の「芹(せり)」の影響でなまったものらしい。このことはよく言われますが、ほんまかいなと思っていました。ところが、大正時代の料理本を見ると、「葉芹」「ハセリ」「パセリ」などが混在していて、確かに「芹」の意識があるようです。
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お教えください。 「『眺望』は『ながめ』よりもかたい表現だ」 という文の「かたい」を漢字で書く場合、あなたはどの字を使いますか。感じたままお答えください。 1. 固い 2. 堅い 3. 硬い
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うれしさのあまり突飛な行動で周囲を驚かせた人が、最後に祝福される――という話が、驚異的に感動を呼んでいるようです。私たちは、人を祝福したがっているのか、祝福されたがっているのか。実話というよりはパターン化された物語のようですが、元はどこまでさかのぼれるのでしょう。
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「れいわ」などの「エイ」の音を「エー」と言うのは今に始まったことではなく、遠く江戸時代後期からのことです(松村明『江戸語東京語の研究』)。方言では「エイ」の発音は九州や四国西部、紀伊半島の一部に残りますが、大半の地域では「エー」と発音します(『日本方言大辞典』の「音韻総覧」)。
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現在、「『了解』は目上に使うな」という説は根拠がなく、2010年代にメールのマナー本から広まったことが明らかになっています(参考・菊池良さん liginc.co.jp/246919 )。私はこれらマナー本の説に当初から疑問を持ったのでなく、むしろ当初は無批判に紹介していました。不明を恥じます。
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「させていただく」についての議論の盛り上がりを、ツイッターで目にしました。くしくも『文藝春秋』1月号の「日本語探偵」に書いたばかりです。動詞の中には、謙譲語の形にできない動詞が非常に多くあります。「させていただく」は困った時のお助けマンなのです。詳しくは雑誌をご覧ください。
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「文春オンライン」に久しぶりに文章を書きました。読点の打ち方に世代差はあるか、伝わりやすい読点の打ち方とは、についての考察です。文章を書き慣れた人にとっては今さら感があるかもしれませんが、お時間のある時にご覧ください。 bunshun.jp/articles/-/465…
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読書をすることは、学校の国語の成績を上げる特効薬だと考えています。でも、世の中には、「本は読まなかったけど、国語の成績はよかった」という人も少なくないはず。そんな人にお尋ねします。理由は何だと、ご自分では思われますか。よろしければ「#読書と国語」のタグで教えてくださいませんか。
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『三省堂国語辞典』第7版の阪神タイガース仕様ができました。な、なぜ阪神?と言われそうですが、シャレが分かる、お祭り好き等、こういう企画に乗ってくれるファンが多いと思います。本体の表紙は真っ黄色。中身も変えてあり、虎ファン、辞書ファン必携です。続報にご期待を。prtimes.jp/main/html/rd/p…
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「これは区別であって、差別ではない」という論法があります。しかし、「差別」はもともと差をつけて区別することで、特定の人々に不利益・不平等が及ぶのが一般に言う差別です。したがって、「区別であって、しかも差別である」という場合はあります。区別が不当であれば、それはイコール差別です。
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島津亜矢「糸」で「逢うべき糸に 出逢えることを/人は 仕合わせと呼びます」というのは語源的にも正しいんですね。もともと巡り合わせのことを「仕合わせ」と言い、巡り合わせがいいことを「仕合わせがいいなあ」、縮めて「仕合わせだなあ」、さらに漢字を当てて「幸せ」となった。考え抜かれた詞。
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ある表現が「辞書に載っていない」という理由で使えないならば、私たちの言語生活はきわめて狭いものになります。現実には3つも4つも言い方があるのに、辞書が1つしか載せていないからといって、それだけで通すとなると、とても不自由です。辞書はあくまで、現実のことばを後追いする存在なのです。