飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(リツイート順)

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日本語の誤用に関する一般書というと、「間違えると恥ずかしい」「間違えるとバカにされる」に類する書名が目につきますが、なぜこうもセンセーショナルなものばかりなのか。要するに、ことばの正しさなんてのは、そういうレベルでしか議論しようがない話なのではないか。私はそう疑っています。
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つまり、当初、同情的な人々の陰で沈黙していた人々が、批判的なインフルエンサーに呼応して批判を強めたということでしょう。同一の人々が、短期間に意見を変えたわけではないと考えます。ただ、ちょっとしたきっかけで、発言する人々と黙る人々が入れ替わるんですね。ネット世論の恐ろしい部分です。
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国語辞典の特長の違いが鮮やかに分かる良記事。『三国』を取り上げてくださったからというわけでなく、お勧めです。なるほど「文化」「平気」「桜」を引き比べてみればよかったのか。なお、どのアプリも23日までセール中とのことですよ。▽物書堂の辞書アプリはこれを買え(1) note.mu/nishinerima/n/…
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「男は度胸、女は愛嬌」をことさら出題したクイズ番組に疑問を呈したところ、1000を超える「いいね」をいただいた一方、「問題ないのでは」との声も見受けられました。今の社会は、男は度胸が、女は愛嬌が求められる傾向があるのは事実です。ただ、それが個人の正当な評価を妨げている側面もあります。 twitter.com/IIMA_Hiroaki/s…
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私の主張はごくシンプルです。「汚名挽回」に違和感があり、自分は使わないという自由は誰にでもあります。しかし一方、「誤用とは言えない」という筋の通った別の考え方がある場合、そのことばを使う人を一概に批判したり、さらには罵倒・嘲笑したりするのはおかしいということです。単純でしょう。
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学問的に「誤用」を扱おうとすれば、たとえば一般人にアンケートを取って「この語は誤用と感じますか、感じませんか」と聞いてみる方法はあります。ただ、誤用と感じる人が多い語はそもそも普及しないので、「識者」が批判するまでもなく消えていきます。ことばは自律飛行に任せるのが望ましいのです。
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「宇津毛大学の田分抜作教授」で吹いた、と言ってくださる方が多い。名前自体そう面白いわけではないけど、直前のコメントにイラッとしたところで「宇津毛……」と続くのでウケてくださったということでしょう。記事の意図が通じた。一方で抜作の発言に神妙にうなずいている方もいるようで困っちゃう。
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「自粛要請」については、すでにbokukouiさんの調査があります。1950年代の新聞までさかのぼれるとのこと。さらに「自粛要望」なら1930年代までさかのぼれるとのことです。「自粛」を人に求める考え方自体は、かなり以前からあるのは確かです。 bokukoui.exblog.jp/31082328/
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「○○の次に高い」は、従来どんな場合に使われたか、探してみました。残念ながら「高い」の例は出てこず、「多い」「大きい」等の例しかありませんでした(調査不足です)。どれも「一番程度の高いもの」をまず示し、「その次」で「2番目」を表しています。私はこの言い方が頭にあったのでしょう。
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何事も断言調で言うのは難しく、「ねぎ取る」という動詞が「ない」という不存在の証明はできません。しかし、「こそげ取る」の意味で使った「ねぎ取る」の確実な例がなく、「こそげる」を「ねぐ」「ねぎる」と言う例も見当たりません。実例がない動詞を基に語源説を立てるのは無理があります。
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最後に「おふくろの味」について。これは、「お母さん」以外が作った食事、つまりインスタント食品などが普及した戦後に広まったことばですね。土井勝の死亡記事に〈「おふくろの味」という言葉を生み出し〉とありますが、土井が発案者だったかはともかく、ことばを広めたひとりだったのでしょう。
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▽山田詠美「快楽の動詞」(1992)〈別の言葉について考えようとひとりごちる私であった〉▽水上勉「茄子の花」(1993)〈私のひとりごちる言葉が〉▽小林信彦「イーストサイド・ワルツ」(1994)〈(まさか……)と私は独りごちた〉――これらはすべて「ひとりごちる」の例と考えられます。〔続く〕
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もうひとつの関心事は、こうした結果によって、辞書の記述を見直す必要はあるか、ということです。同様の研究がいろいろと行われ、分析が進めば、あるいは記述見直しもあるでしょう。ただ、今のところは、まあもう少し様子を見てみたい、と思います。ともかく「へえー」という情報でした。
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前回の新元号発表時は、NHKでは午後2時に元号関連のニュースが始まり、30分ほどで小渕長官から「平成」の発表がありました。当時TVを見ていた私も、あれよあれよという感じで、緊張の高まる暇もありませんでした。今回はタメにタメての発表なので、妙に緊張しました。街角の騒ぎもすごいようですね。
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ドラマ「相棒」で、先生が街角に出て、少女の会話を観察している場面がありました。私なんか身につまされます。公道から店先をカメラで撮影していて不審がられ、声をかけられることもあります。「実は辞書を作っていまして……」と名刺を出すと、さらに不審な顔をされるというわけです。
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『三省堂国語辞典』に、いまだに「ナウい」が載ってるのってどうなんだ、という声もときどき聞きます。「コギャル」より「ナウい」を先に削るべきでは? ところが、「ナウい」は現在のSNSでもいろいろな場面で(ギャグ的に)広く使われます。意外に使い勝手がよく、重宝されていることばです。
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「いよいよ1年前に迫った東京2020オリンピック・パラリンピック」という広告の文言について、ネットで議論があったそうですね。これについて、ネットニュースから見解を問われました。短い記事の中では、必ずしも私の真意が反映されていない部分もあるので、改めてここにメモしておきます。
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KAT-TUN「Real Face #2」で〈退屈な夜にドロップキックしたつもり〉と出てくる「ドロップキック」は、新しい『三省堂国語辞典』第8版にはありません。でも、たとえばMr.Children「everybody goes」にも〈秩序のない現代にドロップキック〉と出てくるなど、反抗する意味で多く使われている気がします。
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新しい用法は、その欠陥を補うべく生まれたとも考えられます。Cよりも一段階低いBのことは「Cの次に背が低い人」、Cよりも一段階高いDのことは「Cの次に背が高い人」と言えば、両方とも表現できます。日本語が進化したわけです。
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昨年1月に『精選版 日本国語大辞典』iOS用アプリが物書堂から4800円で発売され(現在は7800円)、私は「即買い以外にない」と力説しました。今回ネットで無料版が公開になったので、私は「無料版出ちゃいました、すみません」と陳謝のほかありません。今後のiOS版には、何らかの付加価値を期待します。
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ことばについて、言語学(日本語学)のどの先生に質問しても、「それは誤用です」と言われることはほとんどないだろうと思います。「姿勢」ということばをあえて使うなら、研究者の姿勢は、結果的にことばに優しくなるわけです。「誤用」は定義できず、学問的にどうこう言うことができないからです。
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ところが、Cがクラスで中ぐらいの背の高さだった場合、それよりも一段階高いDのことを「Cの次に背が低い人」とは言えませんでした。つまり、Dのことを指す言い方がない。言いたいことを言えない(言いにくい)とすれば、それは日本語の欠陥と言うしかありません。
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松任谷由実「卒業写真」では〈悲しいことがあると開く皮の表紙〉とあります。「皮」も「革」も動物のかわですが、今ではなめし皮は「革」が一般的です。「卒業写真」は1975年リリースとのことで、当時の「当用漢字」では「革」は「カク」とだけ読み、「かわ」とは読まなかったんですね。
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えーと、お分かりいただけると思いますが、私が授業で、辞書が同性愛を無視していることに触れたのは、もちろん笑いを取るためではありません。にもかかわらず学生が笑った、という話です。「そう、同性愛で笑いを取るときは気をつけなくてはね」という反応もあったようですので、付言しておきます。
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「させていただく」は長く嫌われてきたことばです。私は、ほどほどに使えばとても効果的なことばだと考え、愛用しています。なぜこうも使われるのか、本書を読めば分かります。ガチな研究書ですが、読みやすい所からでもどうぞ。▽椎名美智『「させていただく」の語用論』yomiuri.co.jp/culture/book/r…