226
元農水次官が、複雑な経緯の末に息子を刺殺し、先般、懲役6年の実刑判決が下りました。ネットでは当初「量刑が重すぎる」と同情の声が上がった。ところが、弁護人が控訴すると風向きが変わり、今度は批判の声が強まった――そう受け止める人が多いようです。実際はどうなのか、少し調べてみました。
227
228
キラキラネームを積極的には勧めたくない、と思っていた10年前の私を論理的に叩きのめしたのは、大学のある授業で提出された学生のレポートでした。「名前らしい名前」はどの時代も常に変動しているのだという趣旨。たしかに「頼朝」は大昔のキラキラネームでした。▽毎日新聞 mainichi.jp/articles/20230…
229
「てめえ、このペテン師が!」などとけんかを売られた側が、「何っ、どういう意味だ?」と問い返すことがある。これは要するに「ペテン師では抽象的すぎて意味が分かりませんので、具体的に言ってください」ということですね。人を抽象的に非難しても伝わらない、ということを端的に示すやりとりです。
230
231
「座り込み」の意味について、ツイッターでどういう議論になっているのか、もはや全体像がつかめないのですが、少なくとも辞書に関わる部分については、すでに述べたところでほぼ必要十分だと思っています。辞書はことばを定義するのではなく、観察結果を説明するというのが原則です。
232
西野カナ「トリセツ」は、2015年の紅白の実況ツイートでも取り上げましたが、改めて読むと、夫として配慮しなければならない項目が多く、震えが来ます。これ、さだまさしさんの「関白宣言」のような曲に対するアンサーソングなんでしょうね。
233
234
松平健「マツケンサンバⅡ」、リリースは2004年だそうで、ずいぶん前ですが、私にとってはつい数年前の感覚。サンバにボンゴは出てこない、「オレ!」はフラメンコ、などとよく指摘されますが、徳川吉宗が白塗りで歌ってるのも含めて、計算ずくのハチャメチャでしょうね。曲も歌声も大好きです。
235
司会者の弁。〈「れーわ」って読んでも間違いではないんですね。経済を「けーざい」って読むように。ただ「元号は何ですか」と言われたら答えは「れいわ」なので、私たちアナウンサーも元号をきちんと強調したいときには「れいわ」を強調して言うように〉。どうも発音と表記を混同している模様です。
236
鈴木雅之「夢で逢えたら」は、ロマンチックな曲調で酔わせますが、あなたに会う方法が夢を見るしかないというのだから、とても悲しい歌とも言えます。〈あなたに逢えるまで 眠り続けたい〉なんて、絶望的な状態かもしれない。それを絶望的に捉えず、美しい曲にしたのが大瀧詠一さんの魔法です。
237
福山雅治「零」の「真実はいつもひとつ」「正義は そう 涙の数だけ…」というのはことばの違いの説明として秀逸ですね。数か国が戦争をするときも、それぞれの国に都合のいい正義がある。それから、「事実」と「真実」もまた別のもの。違いをじっくり考えてみたい。
238
「反社会的勢力」の定義をすでに示しているのに、「定義は困難」とする今回の決定は意味不明です。今回のが有効なら、従来のは自動的に無効となる。ただ「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して…」という従来の指針は、もはや事実上、社会の共通認識です。辞書作りの上ではこちらに従いたい。
239
「日本語には川上から桃が流れてくるとき専用の擬態語がある」と紹介されたりしますが、当たらずといえども遠からずです。「どんぶらこ」を使うときは、まず「桃太郎」が頭に浮かぶからです。でも、元来〈生田川あつたらものをドンブラコ〉(柳多留)と、水に飛び込む場合などにも使われていたんです。
240
「Pretender」ではまた「もっと違う関係で出会える世界線 選べたらよかった」と「世界線」ということばが使われている。ゲーム用語ですね。「歴史の進む路線」とでも説明すればいいでしょうか(雑ですみません)。こうして歌詞に出てくるということは、一般語に近くなっているのかもしれません。
241
Sexy Zone「ぎゅっと」では、今はつらくても自分を待ってる人がいることが歌われる。〈いまもぎゅっと抱いて/それをぎゅっと抱いて〉というのは、その人を抱くように聞こえますが、「それ」と言っているから、必ずしも人ではないのでしょうね。その人の横顔の思い出、なども含むわけだ。
242
三省堂「今年の新語2016」の選評で、私たち選考委員は〈「いとあはれ」と言っていた昔の宮廷人は、今の時代に生まれたら、さしずめ「超エモい」と表現するはずです〉と指摘しました。その後、この指摘を肯定する意見が多いので、私たちは間違ってなかった、と満足しています。dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo20…
243
「『お母さん食堂』がダメなら『おかあさんといっしょ』『カントリーマアム』はどうなんだ」という意見があります。どれも「ダメ」ではありません。ひとつひとつはダメではないが、少しずつ性役割の固定化に貢献しています。こうした無数の事例が集まり、性役割のイメージを強固にするのです。〔続く〕
244
「がっかり」でなく「残念」はどうかとも問われました。「(相手が風邪で)映画に行けなくて残念」よりも「映画に行けなくてがっかり」のほうが、「せっかく期待したのに、あてが外れて落胆」という感じが強い。相手をいっそうすまない気持ちにさせます。でも、「残念」も言わないほうがいいですね。
245
EXILE「Heads of Tails」の歌詞では、「半座を分かつ 運命を今生き急ごう」の「半座」というのも難しいですね。『大辞林』では「半座を分く」を「浄土で一つの蓮の台(うてな)に一緒に座ること」と説明しています。仏教的な歌詞なんですね。
246
247
248
学校の国語で「古典は本当に必要なのか」という議論がネット上にあることを知りました。大学受験で古典が最も貴重な得点源だった高校生の私にとっては、かりに古典の配点が減らされるようなことがあれば、悪夢でしょう。志望校に通らなかったかもしれない。そうなると非常に困るのは事実です。
249
小ネタ、雑学に関してデマが拡散されたからといって、ただちに危険につながるわけでありません。でも、「まあ面白いからいいじゃないか、真偽はどうでもいい」という考え方を助長することにはなります。神は細部に宿る、というとちょっと違うけど、小さなことでも真偽は重視したいものです。
250
伊藤園の新しいCMでは、若い女性が、晴れた茶畑に向かって「おーいお茶」と爽やかに呼びかけていました(この映像を探しているのですが、出てきません)。「おーい」と人を呼びつけていたことばが、お茶に爽やかに挨拶することばに変わったのです。商品名のコンセプトの鮮やかなシフトが行われました。