飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(古い順)

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「来京」ということばがあるかないか、といえば歴史的にはあり、現在も使われる場合がある。「上洛」ほど時代がかっていないので使いやすいという面はあります。ただ、現在多用されるとは言えないので、『大辞林』は現状でもいいとして、現代語重視の『三省堂国語辞典』は手を加えたい気がしますね。
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ホットコーヒーを「ホット」と略す人を描いた青木ぼんろさんの漫画、私も「なるほど、紅茶などもあるもんな」と納得したのですが、若い世代だと、この略し方自体が驚きらしいですね。すでに指摘がありますが、方言差、世代差が見られるようです。私も実は、普通の状況ならホットコーヒーと思う人です。
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『三省堂国語辞典』では旧版以来「ホット」の項目に〈[二]←ホット コーヒー〉という説明を引き継いでいますが、これは少し古い感覚かもしれない。昔は「ホット」と言えばホットのお茶でも紅茶でもなく、まさにホットコーヒーを指す場合があったことを踏まえつつ、今の用法も記すべきだと思います。
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Togetterにまとめてもらいました。ホットコーヒーを「ホット」と当たり前に略す世代・地域と、「ホット」では意味が分からない世代・地域の言語感覚のズレを、私は純粋に興味深く思うのですが、「客と店員のどっちが悪いか」というような趣旨のコメントが多いのは草ですな。▽togetter.com/li/1953287
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自分にとって完全に当たり前のことばが、他人にとっては未知のことばであることが珍しくない(自分と他人を入れ替えた場合も同様)という、その不思議さに、私なんかは感嘆するわけです。Togetterのコメント欄では、そっちのほうにはあまり話が広がっていない模様で、少し寂しい。
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「座り込み」の「定義」を国語辞典に求めることは違和感があります。辞書は、物事を観察して、「おおむねこう捉えられる」と説明するものだからです。各辞書を見ると、長い間座ることに重点を置くもの、要求貫徹まで動かないことに重点を置くものなどがあり、説明のしかたはさまざまです。
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「座り込み」についての各辞書の説明の違いは、このデモンストレーションをどう捉えるかに幅がありうることを示しています。法律の条文とは違って、「これこれの条件を満たせば座り込み」と辞書が決めるわけではありません。まず先に現実の言語使用があって、辞書はそれを後追いしているのです。
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『広辞苑』の引用中、「すわりこんで」が「すわりこで」になっていました。私の転記ミスです。失礼いたしました。
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辞書がことばを後追いする例。飲料の「茶」は本来、茶葉に湯を差した飲み物でした。紅茶もウーロン茶もそう。ところが、麦茶や梅茶やグアバ茶がある。そこで「植物を煎じた飲み物」と修正してみる。それでも「昆布茶」が漏れる。アジの骨茶なんてのもある。さあ、辞書はどうしますか、というわけです。
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「忖度」の新用法が話題になった頃、私はネガティブな意味が加わった(「言葉が汚れてしまった」)とコメントしましたが、その意味で使うなとかも使えとも言っていないんです。辞書の作り手は「こういう用法が広まってきたな」と観察し、必要に応じて辞書に記述するだけです。buzzfeed.com/jp/kotahatachi… twitter.com/SugiShine/stat…
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何分以上を「座り込み」と言うかは現在の辞書にも書いていないので、修正ポイントにはならないと思います。手元の資料では1時間未満の例も結構あるようです。今回、「座り込み」はどういう意味で使えとも使うなとも私は言っていないので、もっとことばの意味を大切にせよとのご指摘には当惑します。 twitter.com/tanetokio/stat…
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「座り込み」の意味について、ツイッターでどういう議論になっているのか、もはや全体像がつかめないのですが、少なくとも辞書に関わる部分については、すでに述べたところでほぼ必要十分だと思っています。辞書はことばを定義するのではなく、観察結果を説明するというのが原則です。
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現在は「違和感」が多数派ですが、「異和感」を用いる作家としては三島由紀夫・田辺聖子・筒井康隆・井上ひさし・大江健三郎らがおり、日本語学者でも大野晋・山口仲美らが使っています。「差異」「差違」がどちらも使われているのと同様に考えて差し支えないでしょう。
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このことは『三省堂国語辞典』第8版の「違和感」に注記をしました。けっこう簡潔な説明になっていると思います。「もう認められている」というよりは、昔からことばにうるさい言語学者も〈抵抗感が感じられない〉〈緊迫感を感じる事無く〉などと使っています。『三国』もぜひご活用ください。 twitter.com/maki_shippo/st…
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「SmartFLASH」にもコメントしましたが、私が「辞書にあるのは定義でなく語釈、説明です」と繰り返すようになったのは5年ほど前からで、それ以前はけっこう「定義」「定義」と普通に言っていました。「用語に気をつけないと」と自覚したきっかけのひとつは『広辞苑』編集者の増井元さんの文章でした。
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先ほどの「SmartFLASH」の記事では、せっかく辞書の説明について真面目に語ったので、再リンクします。写真を別に用意すれば、元記事の派手な写真は表示されないのでは。▽「座り込みの時間を辞書は定義できない」“ひろゆき騒動”に国語辞典編纂者が感じた“違和感” smart-flash.jp/entame/204532/1
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「私が」の「が」は鼻濁音で発音するのが美しいと、年配のアナウンサーなど(一括りにできない)は言います。一方、鼻濁音にかえって違和感を持つ人もいます。人によって規範意識が違う典型的な例です。有識者が主張する規範は重んじられがちですが、その人の個人的な規範にすぎない場合もあります。
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「『悩ましい』は『官能的だ』の意味が本来で、『悩ましい問題だ』という使い方は間違いだ」と、一時期、有識者が発言していました。ところが、歴史的には「悩ましい問題」のような用法のほうが本来的です。規範意識というのはあくまで「その人の規範意識」であることが分かります。
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「毎日ことば」で「行かれません」について〈現在では「行ける」という可能動詞を使って「行けません」とするのが普通です〉と書いているのは、『三省堂国語辞典』の説明に拠ったのでしょう。あることばを「普通」と言うと「他は異常なのか」となる。辞書の表現も見直すべきかもしれません。 twitter.com/yukikonosu/sta…
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〈本当にこのような意味なのか気になり、調べてみた〉(学生レポート)のような「気になる」の使い方、たしかに手元の例ではここ十数年で増えています。学生の気質の問題というより、こういう語法が勢力を延ばしているということかな。「現代日本語書き言葉均衡コーパス」では2000年以降の例が圧倒的。 twitter.com/gorotaku/statu…
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「ご苦労さま」「お疲れさま」の用法がまた少し話題になっているようです。どちらも世代・職業などによって受け止め方が異なることばですが、礼儀正しく心を込めて使われてきた歴史があります。自分が使いたくないことばは使わないとしても、他の人の使い方は尊重するというのが平和な態度でしょう。
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記事中(そば粉を使わず)小麦だけで作る「沖縄そば」も「そば」と名乗れるとあって、なるほど。茶葉でなくても「昆布茶」、発酵食品でなくても「甘納豆」というのまで含めたら類例は多そうです。▽麦みそに「みそと名乗るな!」 老舗店あぜん、行政の不可解な指導 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20221…
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私は『NHKわかる国語読み書きのツボ』という本で「ですます体」「である体」の違いは「聞き手を意識しているかどうか」と書きました。これはもともと橋本進吉の「対話体」「独語体」という表現に触発されたのです。この表現は橋本の著書にメモ的に出てくるもので、ほとんど知られていないと思います。
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あす11/8午後8時57分からTBS系「#マツコの知らない世界 」で、ネット時代に国語辞典を作る苦労と楽しみを語ります。前半は絶品うなぎ、こだわりのうなぎの話です。こちらの話が弾んだ場合、辞書の話はカットになるかもしれません(それはないか)。どうぞご覧ください。
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「おてんば」は『三省堂国語辞典』では「手早い」の意味の「てんば」からと説きますが、いずれにせよ「お転婆」は当て字。これがだめなら「麻婆豆腐」はどうなの、というリプライが本質を突いていると思う。「娑婆(しゃば)」「卒塔婆(そとば)」「湯湯婆(ゆたんぽ)」もありますな。 twitter.com/R1zZu/status/1…