飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(古い順)

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辞書編集者の神永曉さんも以前、「ひとりごちる」という語形はあるかと疑い、国語辞典に載っていたことに衝撃を受けたと言います。神永さんでさえそうなのだから、「ひとりごちる」に違和感を持つ人は多いのかもしれません。〔続く〕japanknowledge.com/articles/blogn…
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神永さんは、尾崎紅葉「多情多恨」にある「独語(ひとりご)ちたので」という例も「ひとりごつ」の連用形と解しています。でも、「ひとりごつ」の連用形なら、「勝つ―勝った」と同様「ひとりごった」になるはず。「ひとりごちた」は「ひとりごちる」の例で、すでに明治時代にはあったのです。〔続く〕
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明治文学では古すぎるので、戦後文学から「ひとりごちる」の例を拾ってみましょう。▽遠藤周作「沈黙」(1966)〈わざと私に聞えるように一人ごち、〉▽筒井康隆「俗物図鑑」(1972)〈〔……〕と、享介がひとりごちた〉▽中上健次・重力の都(1981)〈運のめぐり合わせだと独りごちた〉〔続く〕
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▽山田詠美「快楽の動詞」(1992)〈別の言葉について考えようとひとりごちる私であった〉▽水上勉「茄子の花」(1993)〈私のひとりごちる言葉が〉▽小林信彦「イーストサイド・ワルツ」(1994)〈(まさか……)と私は独りごちた〉――これらはすべて「ひとりごちる」の例と考えられます。〔続く〕
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『三省堂国語辞典』では、「独りごちる」を、1974年の第2版から載せています。すでに使われていることばでも、辞書が収録し忘れているということはしばしばあるのですが、この「独りごちる」もそのひとつだったと言えるでしょう。〔続く〕
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ちなみに、「ひとりごつ」のような五段活用(古文では四段活用)と、「ひとりごちる」のような一段活用が、互いに変化する例は多くあります。「足る」と「足りる」、「済ます」と「済ませる」、「任せる」と「任す」など。現象としてはさほど珍しくないことなのです。〔続く〕
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新聞でも、この1年の全国紙の使用例を見るかぎり、「ひとりごちる」は、ぱらぱら使われています。結論として、このことばは文学などでも現に使われていて、辞書に載っておかしくない。多くの辞書が、この語を収録し、解説するようになれば、人々は安心するでしょう。
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補足訂正です。先ほどの遠藤周作「沈黙」の例は、「一人ごち、」と後に何も助詞がつかないので、「勝ち、」と同様に五段活用かもしれず、「ひとりごつ」の可能性もあります。この例は除外しておきます。ただし、古文でない使用例ではあるわけです。
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五段活用と一段活用のふたつの形がある動詞はさほど珍しくないと書きましたが、そのうち多くは五段と下一段に活用します。「合わせる―合わす」「くらます―くらませる」「澄ます―澄ませる」(前者が優勢)など、辞書にはざっと数十あります。一方、五段と上一段に活用する動詞は比較的少ないです。
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五段と上一段に活用する動詞は、「飽きる―飽く」「借りる―借る」「足りる―足る」「ほころびる―ほころぶ」「報いる―報う」などがあるぐらい。また、「射る」も上一段・五段の両方に活用します。「独りごつ」と「独りごちる」も、同じく五段と上一段のペアということになります。
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「ひとりごちる」が現代語であるのは動かないと思います。ところが、『岩波国語辞典』では「ひとりごちた(て)」は(「ひとりごちる」でなく)「ひとりごつ」のイレギュラーな連用形である、といった意味の説明をしていて、どうも気になります。でも、この説明はやはり苦しいでしょう。
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「満ちた」は「満ちる」の連用形です。同じく「落ちた」は「落ちる」の連用形。そして、「ひとりごちた」は「ひとりごちる」の連用形と考えるのがすっきりします。なるべくイレギュラーな説明をしないですませるのが、文法の説明としては望ましいはずです。
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冒頭の『岩波国語辞典』の原文を添付しておきます。「ひとりごつ」を〈今も気取って言う人がある〉と言うのは、ちょっと厳しすぎるような。「ひとりごちた」などは「ひとりごつ」を活用させたものと捉え、上一段の「ひとりごちる」と区別しています。でも、「ひとりごちた」は上一段でいいでしょう。
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衝撃なき事実。
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フレンチトーストは1660年初版の『The Accomplisht Cook』という本に「French Tostes」として出てきます。「フランスパンを切り、網でトーストし、ワインに砂糖、オレンジ果汁を加えたものに浸して供する」というので、卵には浸していませんが、現在のそれの原形と思われます。google.co.jp/books/edition/…
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1843年が初版の『The Southern Planter III』では、フレンチトーストについて「この街(米国リッチモンド)のフランス人から次のレシピを得た」として、今とほぼ同じレシピが紹介されています。ネット辞書のMerriam-Websterで初出例1844年とされているのはこの例でしょうか。books.google.it/books?id=BfEjA…
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「フレンチトーストは1724年にニューヨーク州の居酒屋のフレンチさんが名づけたから」という説は、英語版ウェブサイトでも疑わしい説、せいぜい「諸説」のひとつとされているようです。それ以前に「フレンチトースト」と称する似た調理法もあり、フレンチをフランスと解して矛盾はありません。
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「大辞泉」の辞書アプリはすでに持っていますが、物書堂の辞書アプリは、他の辞書と串刺し検索(一括検索)ができて便利なので、改めて買い直しました。同社の新学期セールは終わっていますが、まだ5月10日まで1600円で買えるそうなので、この機会にいかがでしょう(回し者ではない)。 twitter.com/monokakido/sta…
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物書堂などの努力のおかげで、好みの辞書をスマホに入れて比較できる「串刺し検索」の時代が来ました。各辞書の記述を比較して読むと、ことばへの理解が飛躍的に高まります。「辞書アプリは高い」と言う学生にも、自信を持って「高くても買ったほうがいいよ」と言える時代になりました。
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「取り急ぎお礼まで」というメールの結びは失礼という意見について。私も、失礼というのは可哀相だな、と思います。「略儀ながらメールにてお礼申し上げます」がよりよいとする意見の理由は、「~ます」と言い切る形だからでしょうか。でも、丁寧な礼状でも「取り急ぎお礼まで」は常用されます。
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過去5年間、私が受け取ったメールを調べると、研究者、編集者、記者など多くの人々が「取り急ぎお礼まで」を使っています(初めて仕事をする人を含む)。私も違和感を持ったことはありません。これで十分だと思いますが、後に「何とぞよろしくお願い申し上げます」と加えればなお丁寧ではあります。
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近藤泰弘さんが指摘していますが、「取り急ぎ(取りあえず)御礼まで」は昔の手紙の決まり文句で、戦前までの手紙文ではふつうに使われました。渋沢栄一あてに年下の肥田景之から出された手紙にも「先ハ不取敢御礼迄(まずはとりあえずおんれいまで)」という部分があります。eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/di…
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渋沢栄一あてのこの手紙は「先ハ不取敢御礼迄如斯ニ御坐候(かくのごとくにござそうろう)」と下に文句が続いています。格式張った言い方としては、このように言い切りの形にするほうが端正な感じはします。でも、「まずは取りあえず御礼まで」で止めても十分丁寧です。
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私は夏目漱石の手紙文を調べました。漱石から見て非常に目上への人への手紙、というのは少ないのですが、少し年上の狩野亨吉には〈右御れいまで 早々拝具〉だけだったり、〈右御礼まで勿々如此に御座候 草々不一〉と長く続けたりしています。「如此に御座候」があると収まりがいいのは確かです。
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現在に話を戻すと、普通の社交上のメールでは「取り急ぎお礼まで」で十分でしょう。一身上のことで非常に世話になった場合は、ややもの足りないかもしれず、前述のように「何とぞよろしくお願い申し上げます」と続ける方法はあります。これも常用すると重いと感じる人もいるかもしれませんね。