飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(古い順)

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「私、東京は神田の生まれです」という「は」の用法は独特ですが、指示対象を絞る、つまり「東京の中でも神田の生まれ」と解釈されます。18世紀の洒落本にも「お前がたはお江戸は何処でござります?」と尋ねるせりふが出てくるので、けっこう古いですね。現在演じられる狂言にも同様の表現があります。
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「お母さん食堂」問題について、鎌田和歌さんが論説記事を書いています。情報が多く勉強になります。最後に私のツイートも引用され、お恥ずかしい限り。ことばに携わる多くの人々の意見を聞きたい気はしますが、たしかに発言しにくい雰囲気はあるかも。▽DIAMOND online diamond.jp/articles/-/259…
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2010年代半ば、大学の授業で辞書の「恋」の項目にある「特定の異性に強く惹かれ……」という解説を示し、「でも、同性愛もありますよね」と言うと、学生たちは笑いました。それが10年代後半になると、学生のほうから、同性愛に言及がないことを指摘するようになりました。人々の意識は変わるものです。
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この授業のクラスは外国人留学生など日本語学習者を対象とするもので、学生はいろいろな国、地域から集まってきます。2010年代半ばに私が「(恋愛の中には)同性愛もありますよね」と言うと学生が笑ったのは、当時、「恋愛=異性間の感情」という意識が日本だけのものではなかったからでしょう。
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現在、主要な辞書は「恋」「愛」「恋愛」などの解説を見直し、男女に限らない説明にしています。『三省堂国語辞典』の場合、2014年の第7版で関係項目を大幅に見直しました。編集委員で話し合った当初、私は「旧版のままでいいのでは」と思っていたことは著書に記しました。私の意識も変わったのです。
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1988年、児童書『ちびくろ・さんぼ』が黒人差別との指摘があり、版元が相次いで絶版にしました(その後、別の版元から復刊)。当時学生だった私は、幼い頃から親しんだ本書を、差別図書とまでは言えないと考えました。その考えは2010年代半ばまで変わりませんでした。今も絶版の必要はないと思います。
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『ちびくろ・さんぼ』の絶版は、版元が圧力に屈した結果だと、学生時代の私は受け止めました。しかし、版元の一つ岩波書店の安江良介社長は、社内討議を経て、明確に差別的と意識して絶版にしています。安江へのロングインタビューを含む資料は『『ちびくろサンボ』絶版を考える』にまとまっています。
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現在の私は、この本の原著者に差別的意図はなかったと思いますが、今の子どもに与えるにあたっては配慮が必要だと考えます。現代ではSamboが「(侮蔑して)黒人」の意味になることひとつを取っても、小学校高学年ぐらいから、背景説明とともに与えるのが理想的ではないか。私の考えも変わりました。
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なお、この本の差別性を指摘したのは、親子3人の一家でした。指摘は各出版社に宛てた手紙から始まりました。岩波書店はこれを受け、明確な意識をもって絶版にしました。この限りでは圧力があったとは言えません。ただ、指摘者の活動はその後も続き、すべての活動が妥当だったかは分かりません。
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えーと、お分かりいただけると思いますが、私が授業で、辞書が同性愛を無視していることに触れたのは、もちろん笑いを取るためではありません。にもかかわらず学生が笑った、という話です。「そう、同性愛で笑いを取るときは気をつけなくてはね」という反応もあったようですので、付言しておきます。
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吉村大阪府知事が8日の記者会見で、560人の感染が出たことを「一挙にガラスの天井が突き抜けた」と表現、誤用ではないかと指摘が出ています。私はどう思うかというと、「誤用です」と言えば話は早いのですが、そう簡単にはいかない。私の注目点は「辞書に②の意味(派生の意味)が必要かどうか」です。
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『辞典語辞典』という楽しい本が刊行されました。国語辞典のファンなら知っておいていい事柄(辞書を扱ったドラマなども)が解説されています。著者はイベント「国語辞典ナイト」にも出演する見坊行徳・稲川智樹の2人。いのうえさきこさんのユーモラスな、それでいて正確なイラストは必見です。
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大阪府知事の「ガラスの天井」の用法は、定着していない時点では誤用と判定すべきではないか、これが誤用でなければ、どんな場合が誤用なのか、と質問をいただきました。ごもっともです。私は日頃、誤用の基準はないと言っていますが、それでは議論にならないので、もう少し緩く考えましょう。〔続く〕
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「ことばの正誤を判定しないで、辞書が作れるのか」とよく聞かれます。私は、不確かな基準で正誤を認定するより、「この言い方は俗語的」「何年頃からの言い方」「文章では使わない」「すでに古い」などの情報を示したいと考えます。このほうが、ユーザーが主体的に使うかどうか判断できるからです。
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私がことばを誤用認定するのに慎重なのは、客観的基準がないこと、誤用認定された後に定着する例がいくらでもあることなどが理由です。加えて、「そのことばは誤用!」というせりふは、多く他人に向けられるものだということも大きいです。言われたほうは、客観的な基準もなく断罪されてしまうのです。
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「誤用」を積極的に表示する国語辞典どうしを比べてみると、それぞれの「誤用」の表示は必ずしも一致していません。結局は、辞書の編者が誤用とみなせば誤用、みたいなところがあります。そんなあやふやな基準で、お互いに「あなたのことばは誤用」などと指摘しあうのは生産的ではありません。
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1/14の「おちょやん」では、千代の主演する「正チャンの冒険」の劇評を載せた新聞記事が映りました。私は「原作の世界観」「安定の芝居」など、大正時代にない(今世紀に広まった)ことばを見つけましたが、黙っていました。ところが、ことばに詳しいネットの人々がこれを話題にしていました。〔続く〕
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それだったら、私も話題にしてやろうじゃないか。というわけで、1/15の「おちょやん」から、「だんボ」の例を紹介しましょう。「だんご」と書きたかったのは分かりますが、「こ」の変体仮名(「古」をくずした仮名)の形がおかしく、「ボ」になっています。昔の人もこうは書かなかったと思います。
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森組織委会長の発言(2/3)は、素直に考えて差別発言でしょう。発言中には〈女性は優れており〉(毎日)、〈(組織委の女性は)みんなわきまえておられて〉(複数記事)など、ご本人としては女性を持ち上げ、配慮したつもりらしい点があります。ところが、これがちっともフォローになっていません。
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元発言はこういうことです。「女性の多い理事会は時間がかかる。女性は競争で発言するからだ。女性を増やす場合は発言時間を規制しないと困ると聞いた。ただし、組織委の女性はわきまえている(ので別だ)」。会議の適性に男女差があるという見方が問題なので、組織委の女性を例外としても無意味です。
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発言録の文言が、各報道機関ごとに少なからず違いがあるのは気になります。〈女性は優れており〉などの文言があったかなかったかで、ニュアンスも変わります。この種の発言録は、新聞紙面の報道では要約するとしても、ネットでの配信は、言い間違いも含めてそのまま紹介してはどうでしょう。
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発言の問題点とは別に、最後が〈的を射たご発信〉だったのか、〈きちっと的を射ており〉だったのか、〈お話もシュッとして、的を射た〉だったのかも気になります。「的を得た」だったかもしれない。「得た」「射た」のどっちが会話で主流か、関心を持つ身としては知りたい。一般にはどっちもあります。
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「蔑視」「差別」は発音も似ていて、混同されやすい。軽蔑の心を持ったり、ことばに表したりするのが蔑視です。一方、差別は行動や待遇の問題なので、上品な表現でも不当な扱いにつながれば差別です。差別発言はよく「蔑視でない」「悪意はない」と言われますが、礼儀正しく差別することはありえます。
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仮にこんな発言があったとします。「女性は優秀で、尊敬する。女性は活発に有意義な発言をするので、女性の理事が増えると発言時間の規制が必要になると言われる」。賛辞に満ちた発言ですが、女性理事の増加を牽制したり、行動を規制したりすることにつながる可能性がある。すなわち、差別発言です。
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差別発言を陳謝するとき、「不愉快な思いをさせて申し訳ない」と言うことがあります。相手を不愉快にさせてはならないのは当然ですが、ポイントはそこでない。差別発言の本質は、不当に人の可能性や自由を奪ったり、奪う可能性を生じたりすることにあります。そのことについての責任を表明すべきです。