飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(古い順)

626
関ジャニ∞「前向きスクリーム!」の〈とぉちゃん かぁちゃん じぃ ばぁちゃん〉というフレーズは以前にも取り上げました。その時は〈じぃ ばぁちゃん〉という略し方が面白かったのですが、「とうちゃん」でなく〈とぉちゃん〉とするのも独特の表記です。仮名遣いでニュアンスを表現しています。
627
東京事変「うるうるうるう」は難解な歌ですが、「あなた(たち)の扉を開いて、人間性を発見し、回復させたい」ということかな。とすると「閏(うる)え!」というのは「潤(うるお)え」ということでしょう。「閏」は「閏年」の「閏」で余分の意味です。ただ、「潤」の字と通用して使われていました。
628
椎名林檎さん〈もう10年ぐらい〔二階堂ふみさんの〕ワンフーですので〉。ああ、「ファン」の倒語ですか。「ジャズ」を「ズージャ」と言う、あれですね。
629
あいみょん「裸の心」は〈この恋が実りますように〉と祈るラブソングなのに、「あなた」「君」と語りかける相手が出てきません。誰にも語りかけず、独白調であるところが特徴的です。自分自身、あるいは神さまに語りかけているのかもしれません。
630
YOSHIKI「ENDLESS RAIN」の〈Let me forget all of the hate〉というフレーズを聴くと、この歌詞は最近の出来事と無関係ではないのだろうな、と思います。「ヘイト(憎悪)をすべて忘れさせて」。ヘイトによる犯罪やいさかいが深刻になっている現在、メッセージソングとして聴くことができます。
631
Mr.Children「Documentary film」は、背景にある物語は想像するしかないけど、明日にはなくなってしまうかもしれない一瞬を、カメラを回すように心に記録したい気持ちを歌うのでしょう。歌詞にある「フィルムを回す」のほか、「チャンネルを回す」「VTRを巻き戻す」など、今ではレトロな表現ですね。
632
石川さゆり「天城越え」の〈くらくら燃える 火をくぐり〉。「くらくら」はめまいなどに使いますが、炎の描写の例もあります。たとえば、広津和郎の小説に〈くらくらと嫉妬に燃えた眼〉とある例などは、この歌での使い方に近いです。「天城越え」の炎も、情念の炎を表しているのでしょう。
633
星野源「うちで踊ろう」の〈重なり合うよな〉〈嘲り合うよな〉の「よな」は古風なことばで、「ような」の意味です。「よな」については、昨年、坂本冬美「祝い酒」の〈吹けばとぶよな〉の例を呟きましたが、ポップスでも使われるんですね。たとえば、懐メロで前田亘輝「そばにいるよ」にもあります。
634
氷川きよし「限界突破×サバイバー」にある〈全王様もオッタマゲ~!!〉の「おったまげー」は、もともとどこから出たのでしょう。平野ノラさんの2017年のギャグにもありますが、平野さんは何を元にしたのかな。今、ちょっと手元の資料を見ただけでは分かりませんでした。謎が増えました。
635
玉置浩二「田園」はベートーヴェンのメロディーを加えたオーケストレーションが面白かった。田舎をドライブしているようなグルーブ感を出しているのは、〈何もできないで〉〈救えないで〉とか、〈生きていくんだ〉〈それでいいんだ〉とかいった、同じ語句を重ねる歌詞に拠るところも大きいでしょう。
636
福山雅治「家族になろうよ」。歌の主人公は男性、女性どちらと考えても違和感ない。〈甘えてたの〉という口調から女性らしいと推察できますが、女性ならではの内容ではありません。「100年経っても好きでいてね」と言ったのは彼でも彼女でもいい。誰もが歌える内容になっているところがいいんです。
637
大トリの曲紹介は、大泉洋さんが〈福山雅治さんで、家族になろうよ〉。二階堂ふみさんが〈MISIAさんで、愛のカタチ〉。「誰々で、曲名」という「で」の使い方はわりあい新しいのですが、いつ頃からかを調べるには、過去の紅白の録画の全曲紹介を調べないといけないので、いまだに実現していません。
638
「紅白」の全曲目が終わりました。私は、紅組、白組の勝敗をほとんど意識せずに見ていました。審査員たちが投票をすることで、かろうじて「合戦」の形式を保っていますが、今にこれも形式化するかもしれません。私の今年の用例採集も、これで終わりです。皆さま、おつきあいありがとうございいました。
639
ファミマの「お母さん食堂」の名前を変えたい、と署名運動が立ち上がったことについて、賛否の議論があります。「日本語研究者がだんまりなのは変だと思う、議論に言語学的な科学性を与えるべきでは」との近藤泰弘さん(日本語学)のご意見に、なるほどと思います。〔続く〕twitter.com/yhkondo/status…
640
私は言語のジェンダー性を研究してもおらず、科学的な知見はないのですが、辞書を作る立場から感想を記録しておきたい気もします。それを以下に述べます。〔続く〕
641
私自身が「お母さん食堂」を知ったのは2020年4月のことでした。街で看板を見つけて写真を撮りました。撮影した時の記憶は特にありません。「お母さん」よりも「すげーうまい」に注目したのかもしれません。要するに「お母さん」のネーミングには特に問題意識を持っていませんでした。〔続く〕
642
今回「お母さん食堂」の名称が議論になり、遅まきながらそこに意識が向きました。改めて名称の適否を考えてみると、「こういった商品名は、少なくとも今後は避けたほうがいいだろう」という意見を持ちます。理由は、程度の大小はともかく、性役割の固定化に貢献することになるからです。〔続く〕
643
「お母さん食堂」という商品名が、ただちに大きな問題を引き起こすとは言えません。むしろこの名称は、料理する母への懐かしい気持ち、親愛の気持ちを呼び起こします。その一方で、「母=料理する人」という鮮明なイメージを与えてもいます。この点で、確かに性役割の固定化に貢献しています。〔続く〕
644
「『お母さん食堂』がダメなら『おかあさんといっしょ』『カントリーマアム』はどうなんだ」という意見があります。どれも「ダメ」ではありません。ひとつひとつはダメではないが、少しずつ性役割の固定化に貢献しています。こうした無数の事例が集まり、性役割のイメージを強固にするのです。〔続く〕
645
ちなみに、NHKでは「おかあさんといっしょ」とは別に、2013年以来、「おとうさんといっしょ」も放送しています。今の時代に合った、妥当な方針と言えるでしょう。〔続く〕
646
自分の問題意識が低かった言い訳になりますが、もし私が日常的に「お母さん食堂」の商品を買う立場だったら、違和感が強まった可能性はあります。商品を何度も目にする人は、名称の持つ「母=料理する人」のイメージが耐えがたくなるかもしれません。メーカーはそこを想像すべきでした。〔続く〕
647
では、「お母さん食堂」の名称変更を会社に訴える署名活動は、方法として適当かどうか。平和的に再考を促すという趣旨であれば、意見表明の方法としてありうるでしょう。前述のように、「お母さん食堂」だけが問題ではありませんが、いろいろな事例の代表として取り上げる手法はありです。〔続く〕
648
最後に「おふくろの味」について。これは、「お母さん」以外が作った食事、つまりインスタント食品などが普及した戦後に広まったことばですね。土井勝の死亡記事に〈「おふくろの味」という言葉を生み出し〉とありますが、土井が発案者だったかはともかく、ことばを広めたひとりだったのでしょう。
649
補足。「お母さん」は、ここでは「料理を作るやさしい人」の意味であり、「料理を作るやさしい人」は男女とも含まれる、「お母さん」はそんな男女を含む記号だ、という考えもありえます。でも、その記号に「母」を表すことばを使うかぎり、やはり「母=作る人」という結びつきが生まれてしまうのです。
650
辞書編纂者は、ことばの変化を観察することに徹すべきで、「いい悪い」を述べたりして、変化にかかわるべきでない――と、これは、「お母さん食堂」の議論のなかで私が接した意見のひとつです。辞書作りの上で、ことばの「いい悪い」はよく問題になります。年の初めにちょっと考えてみます。〔続く〕