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4月7日(日)20:00からTBSラジオで「飯間浩明のまるっと平成ディクショナリー」という申し訳ないタイトルの番組に出演します。辞書に詳しい芸人のサンキュータツオさんに助けられ、平成のことばと辞書を振り返ります。進行は田中ひとみさん。どうぞお聴きください。radiko.jp/share/?sid=TBS…
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「平成」「令和」の発表記者会見を見比べると、雰囲気が違って面白いですね。「平成」の時は、発表と同時に記者が騒然、資料を求めて立ったり座ったり。質問も、珍問も含めて続々出て、小渕長官も気さくに答える感じ。「令和」の時は、記者たちは行儀よく統率が取れ、型どおりの質問が2問だけでした。
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関西方言の女性語「ウチ」(=私)が、関東の少女に広まったという指摘があります。あなたの身近にいる関東出身の少女は、自分のことを「ウチ」と言いますか。
1. 以前からずっと「ウチ」と言う
2. 最近「ウチ」と言う
3. 以前「ウチ」と言ったが、今は言わない
4. 以前も今も「ウチ」と言わない
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国語辞典の特長の違いが鮮やかに分かる良記事。『三国』を取り上げてくださったからというわけでなく、お勧めです。なるほど「文化」「平気」「桜」を引き比べてみればよかったのか。なお、どのアプリも23日までセール中とのことですよ。▽物書堂の辞書アプリはこれを買え(1) note.mu/nishinerima/n/…
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『広辞苑』の平木靖成さんのご意見は以前から拝見していますが、いつもほぼ共感することばかりです。記事中「基本的に言葉には正しい/間違いはない」とあるのも平木さんの持論で、これを「権威」と目される『広辞苑』の中の人が発言するから説得力があります。recruit.co.jp/meet_recruit/2…
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ちょっと多い質問なのですが(全6問)、お教えいただけませんか。「どちらかと言えば」で十分です。
〔問〕次の文の( )内に入る語句として、選択肢の中でどれが最も自然に感じられますか。
【1】今夜は忙しいので、テレビは( )と思っていたが、つい見てしまった。
1. 見まい
2. 見るまい
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不思議なのは、「見られる」を「見れる」とすることは「ら抜き表現」としてさんざん叩かれるのに、「見まい」を「見るまい」としても何も言われない(もし言ったとしても「まあいいのでは」と返されて終わりになりそう)ということです。ことばの正誤の意識は頼りないことが、この例でも分かります。
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いつも不思議に思うのは、平成元年前後のCDを今再生すると、平成元年に聴いたのと同じ音がするということです。「当たり前」と言われそうですが、古い音声と映像は劣化する時代に生きていたので、昔の音や映像がそのまま視聴できるようになった現在、時間の観念が消滅したような錯覚に陥るのです。
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あらゆるものが、平成30年間の歴史の中に置かれると、急に価値を持ち始めるのは面白いです。例えば、一発芸人と言われる人々とその一発ギャグは、単体で見れば忘れられても仕方がないけれど、「平成年間の一発ギャグ史」となると大学の講座で取り上げられそう。記憶されるべき「教養」になるのです。
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平成年間は私のほぼ20代から40代に相当します。50代になった今、「次の令和年間に自分は何歳になるだろう、ことによると、次の元号を見ることなく終わるかもしれないな」としんみりした気持ちになります。これは平成を迎えたときにはなかった心境です。平成元年、やはり私は若かったのです。
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昭和が終わる1月7日の午後11時59分、NHKでは松平定知アナがニュースの後に「昭和が終わります。平成元年が始まります」と静かに告げ、午前0時から「映像でつづる昭和史」が静かに始まった。平成を迎えた街の様子などの中継はありませんでした。喪中だったからか、報道価値はないと判断したのか。
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今回、令和元年を迎えるにあたって、NHKはスタジオにゲストを招き、各地から多元生中継を行った。私は面白く眺めましたが、さてこの録画を保存するかどうかは迷うところです。後で世相などを思い返すよすがになる録画は大体残す方針ですが、今回、その価値は。まあ、残しておきましょう。
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5月18日に辞書エンタメ「国語辞典ナイトin大阪」を、大阪市のロフトワンプラスにて行います。出演は私のほか、西村まさゆきさんら辞書マニア、辞書論客の方々。今国語辞典の世界はどうなってるのか、爆笑スライドで矢継ぎ早にプレゼンを行います。関西のみんな、来たってや~。loft-prj.co.jp/schedule/west/…
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「感染」は「ウイルスが子どもに感染した〔=うつった〕」とも「子どもがウイルスに感染した〔=侵された〕」とも言うが、両方あるのか、という趣旨のご質問。面白いですね。たしかに両方使います。質問者の方は自動詞・他動詞の違いと考えたようですが、ここでは両方とも自動詞です。(続く)
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「天皇皇后両陛下お疲れ様でした」というインスタグラムの投稿が炎上したそうです。目上への「お疲れさまでした」が不可とされるなら、それは新しい謎ルールの誕生だとしか言えません。炎上を伝えるニュースは〈日本語の使い方としては間違っているかもしれないが〉と述べますが、べつに間違っとらん。
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小林多計士『ごきげんよう 挨拶ことばの起源と変遷』などによれば、「お疲れさま」はもともとは芸能人の間で階級抜きの挨拶として使われ、戦後に一般に伝播したようです。ただし、島崎藤村「破戒」には〈『おつかれ』(今晩は)〉という農村の挨拶があり、起源はけっこう古いらしい。
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昔は、目上に対して「ご苦労さまでした」が普通に使われました。昭和天皇に対して三木首相(昭在位50年記念式典)や中曽根首相(在位60年記念式典)が「ご苦労さまで(ございま)した」と述べた例も報告されています。ところが、20世紀末に「目上に『ご苦労さま』は失礼」という謎ルールが生まれます。
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倉持益子さんの研究では、1990年代に「上司には『ご苦労さま』より『お疲れさま』がふさわしい」と言われるようになった模様。平成17(2005)年度の国語世論調査では、上司をねぎらう場合に7割近くが「お疲れさま」を選んでいます。「お疲れさまでした」は目上への挨拶の新スタンダードだったのです。
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「ご苦労さまでした」にしろ「お疲れさまでした」にしろ、「俺は苦労も疲れもしとらん」「目下から言われたくない」と思う人は当然います。そういう人への配慮はあっていい。でも、一般的には、目上に「お疲れさまでした」と言ったとしても問題ない。集中的に批判されるようなことではありません。
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訂正です。〈昭在位50年〉→〈在位50年〉。失礼しました。
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@cptakamt1 学生が授業後に教師に「お疲れさまでした」と言うのは、また別の問題で、私も言われたくないですね。落とし物を捜してあげた駅員が、乗客から「お疲れさまでした」と言われたらどう思うか、と学生には説明していましたが、最近はその説明もそろそろめんどくさくなってきました。
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