飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(新しい順)

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とりあえず「非難轟々」ではなく「非難囂々」です。辞書的にはね。
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「すみません」はなぜ「おわび」「感謝」の両方を表すのか。朝日新聞withnewsの神戸郁人記者から質問を受けたのを機会に、ご一緒に辞書の記述を見ながらお話ししました。楽しい辞書学習の時間といったところでした。 withnews.jp/article/f02206…
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大学の文学の授業で「この作品はいいか悪いかと尋ねられることがあるが、研究者はそういう問いへの答えを用意していない」という意味のことを聞いた記憶があります。現代の目からは凡庸でも、文学史的に画期的だったりしますからね。むしろ作品それぞれの意味を見出すことに研究者は興奮するのかも。
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ドラマにせよ、小説にせよ、私は「つまらない」と思いながら見続ける(読み続ける)ことはあまりない気がします。多くの作品は、たいていどこか面白いです。面白さを味わうコツのひとつは、自分から積極的に作品世界に入って行き、あちこち勝手に出かけたりして、その世界になじんでしまうことです。
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私は少年の頃から筋金入りの朝ドラフリークですが、例外的に途中で興味関心を失って見なくなった作品もあります。それでも、その内容を攻撃する時間と体力はないので、単に見なくなるだけの話です。私がドラマに何か一言よけいなことを言うとしたら、それは面白く見ている場合に限ります。
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#ちむどんどん」の舞台の1970年代には「御社」「弊社」が一般化していなかったのは確かで、関係者にご一考いただければと思いますが、これがドラマのアンチの人々の攻撃材料になるとしたら心外です。私はこれまでも、作品のことばを理由に作品自体を否定したことはなかったつもりです。
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虹朗の母親から連絡が入って杏花と晴太のデートが中断する。「じゃあ、片しちゃいます」と敷物を片付ける晴太。これ言ってもいいでしょうか、決定稿では「片づけましょう」でしたが、田中圭さんの素のことばかなと思いました。「片す」は関東のことばで、田中さんは東京出身ですね。#じぞ恋
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ことば足らずでした。正確には「1980“年代”」以降です。このことは『三省堂国語辞典』第8版でも少し詳しく述べました。
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5/31の朝ドラ「#ちむどんどん(37)」では、新聞社で修業中の暢子の電話応対について、デスクが〈お宅の会社じゃなくて「御社」。うちの会社は「弊社」〉と指摘します。でも「御社」「弊社」が口頭語として一般化したのは、実は1980年以降。ドラマの舞台は70年代ですから、大目に見てあげてください。
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谷川俊太郎さんとの対談が「AERA dot.」に転載されました。短いながら、「言葉を信用していない」といった、谷川さんのことばに対する考え方が端的に表れた対談だと思います。「変わり採る夢」に言及した部分は、関ジャニ∞ファンの間でも話題にしていただいたようです。dot.asahi.com/aera/202205250…
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妻を指す「奥さん」の語源について、林太郎が「本来、大きな家で奥の部屋をとりしきる責任者」と説明。商家や武家で、家族の住む「奥」と呼ばれる部分の責任者という意味で「奥さん」と言っていました。これは林太郎の説明のとおりです。#じぞ恋
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谷川俊太郎さんとの対談では、現代のポップスの歌詞にも話題が及びました。たとえば、関ジャニ∞の「Re:LIVE」に〈変わり採(ど)る夢/時代に/君は未来持ってんだ〉と歌われた「変わり採る」。ツイッターで、ファンの方から「遊び心を入れて作った造語」と教えていただいたことがあります。
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『AERA』5/30で詩人の谷川俊太郎さんとことばについて語るという、幸せな機会をいただきました。私もことばに関わる仕事とはいえ、関わり方はかなり違う。話がかみ合わなかったら……との不安は杞憂でした。谷川さんには優しく話を聞いていただけて、とても楽しかったです。
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「ガビーン」を使い始めたのはどおくまん「嗚呼!!花の応援団」ということでいいと思います。初期の頃は「がーん」などと普通に表現していたのが、やがて凝ってきて「がびーん」になります。作者が苦労して編み出した擬音と考えられます。
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「そういう(情けない)とこ見られるのが、妻の特権」と言う陽子さんと、「その顔、見る権利、僕にはある気がするんですけど」と言うラストの晴太が重なる。相手が大事な人かどうかは、その弱さを知る権利があると思えるかどうかによるのかも。繊細なせりふの多い第5話でした。#じぞ恋
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本人が苦痛に感じるような名前の読み方は、申し出があれば修正できる仕組みは必要だと思います(名前それ自体と同様に)。ただ、日本人の名前はどう書き、どう読むのがいいかというのは、本当に時代によるとしか言えません。自然の成り行きにまかせるのが最適解であろうと思います。
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戸籍氏名に読み仮名をつけることを法制化するにあたって、どの範囲の読みを認めるか3案が出ているとのこと。私としては、届け出られたものはみな受理するのが公平でいいと考えます。非常識な名前が増える可能性はありますが、すでに昭和の常識で読めない名前は大量に生まれています。
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「キュンです」をめぐって辞書編纂者・編集者が深刻に話し合っている。実際の三省堂の会議室を使用したロケです。辞書を作る人々は、現実にこうして、新語や若者ことばの意味について大真面目に眉にしわを寄せて議論することがあります。もちろん実際の用例に基いて。#じぞ恋
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「キュンです」は2020年代になって若い人が多く使い出しましたが、そもそも「きゅんとする」は緊張・寂しさ・懐かしさなどによる反応を広く指しました。それが1980年代にYMO「キミに、胸キュン。」で恋愛の要素が強くなった。最近、それがリバイバルしたわけです。#じぞ恋
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いずれにしても、「だろう」「でしょう」では強い語源説にならないので、私もごちゃごちゃ言わず「真相は不明」とするのが穏当だと思います。ただ、「ねぎ取る」説が「通説であり」などと言われる資格がないことは言っておきます。証拠もなく、考え方にも無理があって、通説になりようがないのです。
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「ネギトロ」は、とりあえず「葱(ねぎ)+トロ」と考えられます。葱以外にアサツキなども使うこと、マグロのいわゆるトロを使わないことから、「本当の語源は?」と疑問が生まれたのでしょう。でも、部位としてのトロではなくても、トロっとした肉、と大ざっぱに捉えて差し支えありません。
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何事も断言調で言うのは難しく、「ねぎ取る」という動詞が「ない」という不存在の証明はできません。しかし、「こそげ取る」の意味で使った「ねぎ取る」の確実な例がなく、「こそげる」を「ねぐ」「ねぎる」と言う例も見当たりません。実例がない動詞を基に語源説を立てるのは無理があります。
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「ネギトロ」の語源は「ねぎ取る」からではない、と断言しておきます。以前「疑いの余地がある」と述べましたが、その後、ウィキペディアの記述も消えないばかりか、むしろ「通説であり」などと表現が強くなってる。通説なわけはなく、俗説を書いた本があるにすぎません。twitter.com/IIMA_Hiroaki/s… twitter.com/IIMA_Hiroaki/s…
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子どもが新しい言い方を口にすると、大人は「そんなことばはだめ」と否定する。すると子どもは、ことばには「だめ」「正しい」の2種類があると思うようになる。「正しい」は「つまらない」の類義語なので、子どもは興味を持たない。「どのことばも、それぞれに面白いね」という態度が望ましいです。
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漫画を読んでいれば、すぐに国語の成績が上がる、とまでは言えない。文章構成を読み取る力などはつきません。でも、漫画のせりふには多くの難しいことばが含まれています。浴びるように漫画を読めば、語彙力がつく。すると、文字だけの本を読むためのハードルが劇的に下がるのです。