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漢字のトメハネを過度に厳しく指導する必要がないことは、2016年の文化庁「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」でも述べられています。〈漢字の伝統や文化からすれば、同じ骨組みの中でいろいろな字形が生じるのは、自然なことなのです〉。でも、SNS上では時に厳密な指導の例を見ますね。
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こどもの日なので、香川県のRNCラジオで、子どもに国語を好きになってもらうには、という15分の話をしました。要点は3つで、
・漢字の書き方(トメハネなど)をうるさく言わない
・本は読まなくても漫画を読めばいい(語彙力はつく)
・子どもの使う新語や新しい言い方を否定しない
ということです。
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『大辞林』第4版では〈②落ちてしまいそうなほど量感に富むさま〉として「乳牛のたわわな乳房」を載せています。普通の例文なら「たわわな乳房」で済みそうなところを、あえて「乳牛の」として、いやらしさを消そうとしたとおぼしい。『大辞林』の苦慮を感じるのは私だけでしょうか。
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「#持続可能な恋ですか?」で、林太郎の職業が辞書編纂者なのは伏線かも、と思っています。第1回で杏花が「結婚って何? 辞書にはなんて書いてあるの?」と問う。これが全体のテーマなんだな。結末次第では辞書が説明の書き換えを迫られるんじゃないかと、実際の編纂者として怯えています。#じぞ恋
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頭、羽…「動物の数え方は死んだ後に残る部位で決まる説」は本当か? 国語辞典の編集委員に聞いた maidonanews.jp/article/146039…
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「○○推し」ということばは、21世紀のゼロ年代になって、ハロプロファン関係の文章に出てきます。8年前のツイートで「AKB発」のことばのひとつに挙げたのは誤りで、謹んで訂正いたします。AKBファンを含めて一般化したのは2010年代になってからです。twitter.com/IIMA_Hiroaki/s…
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「芸能人の不倫会見では『不快な思いを』で十分」という反応をいただきました。これはまた別のケースということになりますが、私としては「俺なんぞに謝らんでもいいよ」という気はします。そして、当事者や応援してくれたファンに対しては、やはり「不快な思いを」以外の文言が適切だと思います。
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個人の場合はともかく、企業や公的機関が謝罪するとき、「誤解を与えたとすればおわびします」と仮定法を使ったり、「ご不快な思いを……」と快・不快の話にしたりするときは、問題を分かってるのか確かめたくなります。「ご迷惑をおかけし」も、けっこう問題をぼかしていることがありますね。
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知人同士の会話で不適切な発言をしたとき、まずは相手の感情に配慮して、嫌な思いをさせたと謝ることはありえます。その場合でも、私がベターだと思うのは「この言い方はあなたの意向を尊重していませんでしたね、すみません」と、快・不快とは関係なく謝ることです。これは好みが分かれるでしょう。
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ウェブでは、相手を不快にさせた場合の謝罪のバリエーションを示したページもあります。私がイメージする「相手を不快にさせた場合」とは、せいぜい服の襟や裾が乱れているとか、肩にフケがかかっているとかかな。「服装のチェックが甘く、お見苦しいところをお目にかけました」と謝るような状況です。
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謝罪で「不快(不愉快)な思いをさせたことをおわびします」と最後をまとめることがあります。でも、問題は相手を不快にさせたことでなく、ヘイトや差別、ハラスメントであるケースが多い。いずれも人権侵害(無視)の話なので、快・不快の話にしてしまうと、問題分かってないなー、という気がします。
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小ネタ、雑学に関してデマが拡散されたからといって、ただちに危険につながるわけでありません。でも、「まあ面白いからいいじゃないか、真偽はどうでもいい」という考え方を助長することにはなります。神は細部に宿る、というとちょっと違うけど、小さなことでも真偽は重視したいものです。
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安全に関わるデマや、ヘイトデマなどが広範囲に拡散されているとき、「拡散した人はすぐに忘れるよ」などと軽く考えるわけにはいきません。やはり全力で事実を拡散するしかない。このことは、小ネタ、雑学に関するデマにも言えます。「これぐらいいいか」と放っておくのはよくないと思う。
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デマというのは拡散したくなる要素を持っています。一方、デマを否定する情報は多くは常識的で、拡散力ではデマに負けます。元情報の真偽に興味がない人には、なかなか届かないものです。でもせめて、「元情報が真実かどうか知りたい」と思っている人には、確かな判断材料が届くようにしたい。
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デマが何万回もリツイートされているとき、それを否定するツイートをどのくらい拡散させれば十分か、というのは難しい。情報の内容にもよります。デマの拡散者の大半は、その真偽には興味がなくて、すぐに忘れる人々と思われる。そうした層のことは無視してもいい気もしますが、本当にそうかな。
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大森洋平さんの『考証要集』(文春文庫)によると、江戸後期の『北越雪譜』では、鮭を「頭」と数えた例もあるんですね。岩波文庫で見ると、たしかに〈手も濡{ぬら}さず二三頭{とう}のさけをうる事あり〉(p.134)とあります。もちろん鮭の頭も食べられます。これは日本での例ということになります。
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SNSで作者に対して「最初は退屈だなーと思っていましたが、最後はとても感動しました!」というような感想を直接言っている人を見かけることがあります。正直な気持ちで、悪気はないのでしょうが、前半はことさら言わなくてもいいのになー、と思ったりします。
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同様に「褒めるばかりの意見」も公平でないとは言えます。ただ、長所って短所を覆い尽くす面があるので、ひとつ大きな長所があれば、ことさら短所を言わなくてもいいことも多い。私は以前、ある名作小説を終盤まで「退屈だ」と思って読みましたが、最後の感動的な場面で全部OKになったことがあります。
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特定のドラマやアニメなどを批判することで盛り上がるグループがあるそうです。「批判だけをする人」の意見って参考にならないんですね。人も作品も長所がゼロということはまれなので、常に批判だけをする意見は「公平でないかもしれない」「バイアスがかかっているかも」と疑って見ています。
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ちょっとお尋ねしてみましょうか。
料理で「出汁(だし)を引く」という言い方を聞いたことがありますか。「東日本」「西日本」は、長く暮らした地域をお答えください。
1. 聞いたことがある(東日本)
2. 聞いたことがある(西日本)
3. 聞いたことがない(東日本)
4. 聞いたことがない(西日本)
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NHK Eテレで本日8日(金)22:00からの新番組「言葉にできない、そんな夜。」に協力しています。うまく表現できない、あの時この時の気持ちを、文豪の文章などを参考に表現してみよう。私は引用文の監修を担当。「へぇ~」と思う表現もあるはずです。どうぞご覧ください。nhk.jp/p/ts/QG95M2Z6V…