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作文を書くのは苦手だという人でも、学校外では、進んでSNSに書き込み、言いたいことを言う、という人も多いはず。皮肉にも、学校の外で文章修業をしているわけです。匿名で書けるとか、成績に関係ないとか、いろいろ理由が考えられます。この雰囲気を文章教育の場に持ち込めないでしょうか。
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作文教育では、子どもが思ったこと、考えたことを素直に書かせようとします。「何を書いてもいいんだよ」と。空気を読まず、教師や友だちの評価を気にせずに、考えたことをどんどん書けば、それはとてもいい訓練になります。でも、「空気」に支配されている子どもに、そんなことができるでしょうか。
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子どもが作文嫌いになる理由のひとつに、書いてはいけない(と本人が思う)ことが多すぎる、ということがありそうです。学校行事のことを書くにしても、「つまらなかった」なんて書くのはとんでもない。空気を読み、優等生的な文章を書きたい。でも、書けない。それで悩む、という子が多いのでは。
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6月11日 22:25~のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演します。私を含めた「辞書を作るひと」の現場がご覧になれます。「言葉の海で、心を編む」とはどういうことでしょう。予告動画では、私がちょこまか動き回る場面が集められています。本編もどうぞご覧ください。www4.nhk.or.jp/professional/x…
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〈カレー問答〉1
「カレーライスを作りたいのですが、ご飯がどうしても軟らかく炊けてしまいます。もっと固めに炊きたいのですが、どうしたらいいでしょうか」
「あなたは軟らかいご飯を否定するんですか。世の中には、固いご飯が食べられない人だっているんですよ」
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時事問題などに関するSNS上の発言を読みながら、罵倒・嘲笑などの「贅言」を消去していくと、後に何も残らない、という発言も多くあります。そうした発言を読むのは、まさしく時間の浪費です。「贅言消去」の習慣が身につけば、有益な議論を選んで読むことが自然にできるようになります。
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「贅言(ぜいげん)」というのは、本来は「理由については贅言を要しない」のように、「わざわざ言わなくていい、むだなことば」の意味です。罵倒・嘲笑などを「贅言」というのはやや変かもしれませんが、「議論に必要のないことば」という意味で、そう名づけました。
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語源については複数の説があるのが普通です。明らかに非合理な説は排除する一方、合理的なものはそれなりに評価するのが学問的態度です。テレビ番組で、その合理性の評価を放棄し、「※諸説あります」と表示してすますことがありますが、事実を探求する姿勢ではない。語源の話にとどまりませんね。
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「やぶ医者」のフェイク語源については、ながさわさんの文章が詳しいです。「この差って何ですか?」以外にも、BSジャパン「空から日本を見てみよう+」、NHK「チコちゃんに叱られる!」で放送されたようですね。fngsw.hatenablog.com/entry/2018/05/…
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この番組の名は、画像では無意味にぼかしましたが、「この差って何ですか?」です。番組からはこれまでも質問を受けましたが、「まず辞書をご覧ください」と回答することが多かった。今回の放送の後も、何事もなかったように「○○についてお教えください」とメールが来ましたが、お断りしました。
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現在、「『了解』は目上に使うな」という説は根拠がなく、2010年代にメールのマナー本から広まったことが明らかになっています(参考・菊池良さん liginc.co.jp/246919 )。私はこれらマナー本の説に当初から疑問を持ったのでなく、むしろ当初は無批判に紹介していました。不明を恥じます。
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念を押しておきますが、「了解」に敬意が入っていないのは確かです。「了解です」は目上に失礼です。だからといって「『了解』は目上に使うな」は論理が飛躍しています。謙譲を表す「いたしました」をつけた「了解いたしました」ならば、べつに失礼ではありません。
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「了解」「承知」の区別は、べつに相手が目下か目上かには関係ない、ということを、私は何度かツイートしています(特にこれ twitter.com/IIMA_Hiroaki/s… )。ところが、その私は2013年、大学のセミナーで「相手には『了解いたしました』より『承知いたしました』を使ったほうがいい」と述べています。
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以前の「お~いお茶」に関する論争で、男尊女卑的か否かで紛糾してしまったのは、発言者の世代ごとに、商品名のイメージが異なったためと考えられます。まとめると、元のコンセプトのままでは難しくなった商品名が、鮮やかなコンセプトシフトによって長寿ブランドになったのです。参考にすべき例です。
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伊藤園の新しいCMでは、若い女性が、晴れた茶畑に向かって「おーいお茶」と爽やかに呼びかけていました(この映像を探しているのですが、出てきません)。「おーい」と人を呼びつけていたことばが、お茶に爽やかに挨拶することばに変わったのです。商品名のコンセプトの鮮やかなシフトが行われました。
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伊藤園「お~いお茶」の商品名についての議論が、何年か前にありました。当時「男尊女卑的か否か」をめぐって応酬があり、それだけで終わってしまった感じがあります。しかし、この商品の広告を振り返ると、イメージチェンジ戦略の成功例と言うことができます。資料が一部揃いませんが、論じてみます。
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「日本語には川上から桃が流れてくるとき専用の擬態語がある」と紹介されたりしますが、当たらずといえども遠からずです。「どんぶらこ」を使うときは、まず「桃太郎」が頭に浮かぶからです。でも、元来〈生田川あつたらものをドンブラコ〉(柳多留)と、水に飛び込む場合などにも使われていたんです。
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日本語同士のやりとりでも、なかなか話が通じないことがあります。インタビューをまとめていただきました。▽SNS上で起きる日本語のすれ違い:「言葉が通じない」のはどんな人? nippon.com/ja/features/c0…
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タレント夫婦で、浮気をされた側が、取材陣に対し「大ごとじゃないよ」とばかり、にこにこ気丈に振る舞うことが「神対応」と言われます。大ごとだと思うからこそマイクを突きつけているはずの取材側が、その「神対応」を褒めて記事にする心理は、いまだにわかりません。
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辞書に誤りがあるのは困るし、作り手も必死で誤りを正します。それでも誤りはなくならない。なぜか。弁明めきますが、「人間が作っているから」としか言えません。読者が誤りを指摘し、それが訂正されるのは健全です。ただ、一部の誤りによって辞書全体を否定することのないよう、願うばかりです。
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私が普段使っている感覚では、『広辞苑』は明確な誤りが少ない辞書のひとつです。それでも、おそらく編集部では、『広辞苑』新版の誤りを1か月以内に100は見つけるでしょう。約25万項目のうち、仮に100の誤りがあっても、それはきわめて少ないと言えます。報道される誤りに至っては微々たるものです。
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「あなたも辞書を作っているのでしょう、『書物には必ず誤りがある』などと澄ましているのはいかがなものか」と批判されそうです。辞書の不正確な記述、誤った記述は極力潰したい。それでも悔しいことに、潰しきれずに活字化されることがあります。辞書の改訂は、誤りの解消に努める作業でもあります。