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もっとも、これでは新旧それぞれの用法で意味が正反対になるという問題があります。「Cの次に背が高い人」と言った場合、旧解釈では「Cよりも一段階低いB」を指し、新解釈では「Cよりも一段階高いD」を指し、誤解が生まれます(意味の違いが新旧の違いによるかどうかは分かりません、念のため)。
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新しい用法は、その欠陥を補うべく生まれたとも考えられます。Cよりも一段階低いBのことは「Cの次に背が低い人」、Cよりも一段階高いDのことは「Cの次に背が高い人」と言えば、両方とも表現できます。日本語が進化したわけです。
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ところが、Cがクラスで中ぐらいの背の高さだった場合、それよりも一段階高いDのことを「Cの次に背が低い人」とは言えませんでした。つまり、Dのことを指す言い方がない。言いたいことを言えない(言いにくい)とすれば、それは日本語の欠陥と言うしかありません。
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もし、Cがクラスで一番低い場合、2番目に低い人を「Cの次に背が低い人」と言うことはできました。例、「組で一番小さいジュンちゃんの次に小さいのが邦子ちゃんである」。また、「松江は(中国地方の人口規模で)山口、鳥取の次に小さな市だ」という例もあります(実際の文章をやや改編しました)。
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従来は、序列でCよりも一段階低いBを表現するときは「Cの次に背が高い人」と言えば通じました。ところが、Cよりも一段階高いDを表現する言い方がありませんでした。たとえば「Cの次に背が低い人」などとは言いにくかったのです。これは日本語の欠陥と言われてもしかたがありません。
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「次に高い」問題、「へえー」だけでは何なので、分析を加えます。既出ならばご容赦。
まず、現状を次のように仮定します。〈従来は「(160cmの)Cの次に背が高い人」とは「(155cmの)B」の意味だった。ところが、新たに「(165cmの)D」の意味が勢力を伸ばした〉。以下、この仮定に従って述べます。
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もうひとつの関心事は、こうした結果によって、辞書の記述を見直す必要はあるか、ということです。同様の研究がいろいろと行われ、分析が進めば、あるいは記述見直しもあるでしょう。ただ、今のところは、まあもう少し様子を見てみたい、と思います。ともかく「へえー」という情報でした。
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私の関心事は、この言い方が、実際のコミュニケーション上で、どのくらい誤解を生んでいるか、ということです。数列的な文脈でなく、一般に「花子さんの次に背が高い人は?」と言われたとき、花子さんより若干背の低い人を想起すると思うのですが、もしその逆の人も多いなら、表現に注意が必要ですね。
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アンケート結果には山ほどリプライがついているので、今さらですが、「80点の太郎さんの次に成績がいい人」と言われれば、太郎さんよりやや成績がよくない人を指すはず。それで、アンケートの答えはBで動かないと思ったのですが、数列的に考えるなど、別の考え方もあるのかな、と素朴に驚いた次第。
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5人の中で「(160cmの)Cの次に背が高い人は?」と問われ、「(155cmの)B」と答える人、「(165cmの)D」と答える人の二手に意見が分かれて、話題のようですね。私個人はBで疑いの余地がないのですが、Dが多いことには「へえー」と思いました。「へえー」が、私の感想です。twitter.com/Yuki_jukjis/st…
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@cptakamt1 学生が授業後に教師に「お疲れさまでした」と言うのは、また別の問題で、私も言われたくないですね。落とし物を捜してあげた駅員が、乗客から「お疲れさまでした」と言われたらどう思うか、と学生には説明していましたが、最近はその説明もそろそろめんどくさくなってきました。
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訂正です。〈昭在位50年〉→〈在位50年〉。失礼しました。
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「ご苦労さまでした」にしろ「お疲れさまでした」にしろ、「俺は苦労も疲れもしとらん」「目下から言われたくない」と思う人は当然います。そういう人への配慮はあっていい。でも、一般的には、目上に「お疲れさまでした」と言ったとしても問題ない。集中的に批判されるようなことではありません。
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倉持益子さんの研究では、1990年代に「上司には『ご苦労さま』より『お疲れさま』がふさわしい」と言われるようになった模様。平成17(2005)年度の国語世論調査では、上司をねぎらう場合に7割近くが「お疲れさま」を選んでいます。「お疲れさまでした」は目上への挨拶の新スタンダードだったのです。
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昔は、目上に対して「ご苦労さまでした」が普通に使われました。昭和天皇に対して三木首相(昭在位50年記念式典)や中曽根首相(在位60年記念式典)が「ご苦労さまで(ございま)した」と述べた例も報告されています。ところが、20世紀末に「目上に『ご苦労さま』は失礼」という謎ルールが生まれます。
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小林多計士『ごきげんよう 挨拶ことばの起源と変遷』などによれば、「お疲れさま」はもともとは芸能人の間で階級抜きの挨拶として使われ、戦後に一般に伝播したようです。ただし、島崎藤村「破戒」には〈『おつかれ』(今晩は)〉という農村の挨拶があり、起源はけっこう古いらしい。
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「天皇皇后両陛下お疲れ様でした」というインスタグラムの投稿が炎上したそうです。目上への「お疲れさまでした」が不可とされるなら、それは新しい謎ルールの誕生だとしか言えません。炎上を伝えるニュースは〈日本語の使い方としては間違っているかもしれないが〉と述べますが、べつに間違っとらん。
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「感染」は「ウイルスが子どもに感染した〔=うつった〕」とも「子どもがウイルスに感染した〔=侵された〕」とも言うが、両方あるのか、という趣旨のご質問。面白いですね。たしかに両方使います。質問者の方は自動詞・他動詞の違いと考えたようですが、ここでは両方とも自動詞です。(続く)
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5月18日に辞書エンタメ「国語辞典ナイトin大阪」を、大阪市のロフトワンプラスにて行います。出演は私のほか、西村まさゆきさんら辞書マニア、辞書論客の方々。今国語辞典の世界はどうなってるのか、爆笑スライドで矢継ぎ早にプレゼンを行います。関西のみんな、来たってや~。loft-prj.co.jp/schedule/west/…
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今回、令和元年を迎えるにあたって、NHKはスタジオにゲストを招き、各地から多元生中継を行った。私は面白く眺めましたが、さてこの録画を保存するかどうかは迷うところです。後で世相などを思い返すよすがになる録画は大体残す方針ですが、今回、その価値は。まあ、残しておきましょう。
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昭和が終わる1月7日の午後11時59分、NHKでは松平定知アナがニュースの後に「昭和が終わります。平成元年が始まります」と静かに告げ、午前0時から「映像でつづる昭和史」が静かに始まった。平成を迎えた街の様子などの中継はありませんでした。喪中だったからか、報道価値はないと判断したのか。
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平成年間は私のほぼ20代から40代に相当します。50代になった今、「次の令和年間に自分は何歳になるだろう、ことによると、次の元号を見ることなく終わるかもしれないな」としんみりした気持ちになります。これは平成を迎えたときにはなかった心境です。平成元年、やはり私は若かったのです。