飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(新しい順)

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アスリートとの殺陣入りで郷ひろみさんの歌う「2億4千万の瞳」。「億千万」が何度もリフレインされますが、「栄花物語」では灯火の多い様子を「億千万灯」と表現するなど、膨大な数を表す伝統的なことばです。「億千万劫(ごう)」(無限に長い時間)というスケールの大きいことばもあります。
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Foorin「パプリカ」で「心遊ばせあなたにとどけ」と歌われる「心を遊ばせる」は、国語辞典も見落としていますが、「空想の世界に心を遊ばせる」のように昔から使われている慣用句です。「心を解き放ち、自由に羽ばたかせる」といったところか。この歌では、心を飛翔させてあなたに届けたいわけですね。
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今年もNHK「#紅白歌合戦」を見ながら、国語辞典の材料となることばを求めて「用例採集」(実際の使用例の採集)を行うつもりです。手近の資料ですぐ分かる範囲で、なるべく参考情報なども添えます。やむをえない離席、居眠りなどもあるかもしれません。あらかじめご容赦ください。
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著書『知っておくと役立つ街の変な日本語』で、「そば」の仮名に言及した部分です。要は「そば屋さんのこの字、読めませんね」というだけの話です。ただ、先日「せんべい」の変体仮名を使う地域が偏っている、という話もありました。「そば」も注目しなければと思いました。twitter.com/IIMA_Hiroaki/s…
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著書で「そば」の変体仮名を取り上げました。ありふれた表記という意味で「どこでも目にする」と書いたら、漢字が専門の先輩から「全国に見つかっていますか?」とのご指摘。「九州や沖縄ではとても少ない印象」と伺い、ハッとしました。ウェブで福岡の例をむりに集めてみましたが、確かに少ないです。
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以上は「世の人々は簡単に意見を変えるのか」ということに疑問を持って調べた、きわめて雑な調査です。かく言う私は、この裁判の量刑に関しては「よく分からない」というのが本心です。事件の背景は複雑らしいけど、報道で分かることはあまりに少ない。判決が確定するのを待ちたいと思います。
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つまり、当初、同情的な人々の陰で沈黙していた人々が、批判的なインフルエンサーに呼応して批判を強めたということでしょう。同一の人々が、短期間に意見を変えたわけではないと考えます。ただ、ちょっとしたきっかけで、発言する人々と黙る人々が入れ替わるんですね。ネット世論の恐ろしい部分です。
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一方、弁護人による控訴の時点(12/25)で、メディアのツイートにはさほどリプライはつかず、反応は静かでした。ところが、やがて控訴を批判するインフルエンサーの発言が現れ、リプライが100を超えることもありました。それを見ると、1対9ぐらいで控訴を批判する意見が多くなっています。
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地裁判決を報じたあるメディアのツイート(12/16)には、直接のリプライが約100件ついていました。そのうち「量刑が重すぎる」として明確に減刑・執行猶予を望む声は約50件、「量刑は妥当・軽すぎる」という声は約30件(飯間基準で集計)。6対4で同情の声が強いものの、当初から批判もあったわけです。
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結論から言うと、たしかに風向きは変わったように見えます。ただ、当初「量刑が重すぎる」と同情的であった人々が、控訴と同時に「それはおかしい」と一斉に批判に転じた、とも思えません。論理的には、もし量刑が重すぎるならば、控訴は妥当だからです。では、風向きはどう変わったのか。
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元農水次官が、複雑な経緯の末に息子を刺殺し、先般、懲役6年の実刑判決が下りました。ネットでは当初「量刑が重すぎる」と同情の声が上がった。ところが、弁護人が控訴すると風向きが変わり、今度は批判の声が強まった――そう受け止める人が多いようです。実際はどうなのか、少し調べてみました。
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時代考証的に厳密に考えると、東龍太郎(松重豊)が嘉納治五郎に「そりゃ早く治さないとですね」(9/1)と言うのは現代的で、当時なら「治さないといけませんね」ぐらいか。でも、目くじらを立てるつもりはありません。総じて、ことば遣いに違和感はありませんでした。
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主要な辞書にはない表現もあり、参考になった。古今亭志ん生(ビートたけし)が、なかなかお酒を買ってこなかった五りんに「待ち疲れしちゃったあ」(10/13)と言うのは、「ああ、そういう言い方をするのか、他の例を調べてみよう」と思ったことでした。
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#いだてん」は、ことばの面でも楽しめました。「赤ゲット」(田舎者。1/20放送)などは辞書にも載せていますが、「アブサン」(女学生の隠語でアブノーマル)、「バウ」(熱烈に思い合う)、「スコドン」(少しどんくさい人。以上6/2)などは初めて知りました。出典は何でしょうか。
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1年間、大河ドラマ「#いだてん」を堪能しました。見終わった感想は「明治から東京五輪までの時代の空気を描き切った。すごい」です(小並感)。時代の空気を描くには、屋外、街の描写が不可欠ですが、CGやロケ、カメラワーク、俳優やエキストラの動きで、当時の世界を見事に作り出していました。
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辞書は語を「定義」するものではなく、世の中の用法を観察し、「説明」するものです。既存の定義も、説明の参考資料です。「反社会的勢力」の場合、政府の定義が参考にならないとすれば、辞書は現状を観察して記述するしかない。目下「デジタル大辞泉」の記述は、信頼できる「説明」のひとつです。
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現在、「『反社会的勢力』は定義できないものだ」という見方が急速に広がっています。これ、本当に実害はないのか。「定義できない用語を使うな」という声が大きくなれば、反社を議論することはできない。時を超えて不変の定義は困難としても、社会として現時点での認識を共有すべきです。
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「反社会的勢力」について、しつこいようですが、ウィキペディアに「その時々の社会情勢に応じて変化し得るもので…」という文言が消えては現れるので、「それは事典の説明ではない」と念を押したい。「いじめ」の定義でも何でも、その時々に変わるのは当然。現在の使われ方を説明すべきです。
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あまりに八重洲ブックセンターが好きすぎて、当時撮った写真が1枚残っています。今月になって、東京駅での仕事のついでに、同じ角度からこの書店を撮影してみました。まあ、それだけの話なんですが、手前の建物が建て替わっていたり、山一証券がみずほ証券になっていたり、いろいろ面白いです。
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東京駅の近くにある八重洲ブックセンターは、1980年代に少年だった私が、夏休みなどに郷里の香川県から上京するたびに必ず訪れていたお気に入りの書店です。まだ新しいピカピカした建物で、ここに行けばどんな本でも手に入る驚きの書店でした。私が育ててもらった恩ある書店のひとつです。
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ウィキペディアの「反社会的勢力」の項は短時間に記述が変動し、「その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであり…」「明確な定義は不明」とも記されました。しかし、事典は「この役所の解釈はこう」「一般的な用法はこう」と記すべきもの。不明と記しては項目を立てる意味がありません。
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いじめ問題が深刻になった頃、文科省がいじめを定義し、それが改定され、さらに「いじめ防止対策推進法」の条文が整備されるに至った、と理解しています。社会がいじめ問題に取り組むには、国による定義が必要でした。「反社会的勢力」についても同様で、政府見解が揺れていては困るはずです。
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イチゴやメロンは野菜か果実か、役所によって扱いが違います。事務上の都合などにもよるのでしょう。一方、社会全体が反社会的勢力との関係を遮断するに当たり、その勢力の定義が一定しなくては、何を対象に取り組みを進めればいいか分からなくなる。政府の統一見解はやはり必要だと思います。
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(おわび)以上は修正再投稿です。従来の政府見解を私は「前回の閣議決定」と記しましたが、正しくは法務省の指針です。最近読んだことがあるのに、誤認してしまいました。おわび申し上げます。▽企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針 moj.go.jp/content/000061…
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「反社会的勢力」の定義をすでに示しているのに、「定義は困難」とする今回の決定は意味不明です。今回のが有効なら、従来のは自動的に無効となる。ただ「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して…」という従来の指針は、もはや事実上、社会の共通認識です。辞書作りの上ではこちらに従いたい。