飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(新しい順)

601
「中年は何歳から何歳まで」というのは、国語辞典によって記述が違う。つまりは、確定できない情報です。テレビ番組でのセクハラの材料程度にしかならないなら、はたして辞書にそんな情報必要か、と考え込みました。むしろ、このように確定できないと記したほうが親切です。〔続く〕
602
さすがに視聴者からクレームが入ったらしく、後に男性アナは冗談を交えながら「不快に思った方いらっしゃったら、本当に申し訳ございませんでした(スタジオ笑い声)。これは真剣に謝っております」。なんだこれは、とあきれた次第でしたが、言いたいことの主眼はそこではありません。〔続く〕
603
辞書の話から「俳優のAさんはおじさんか?」「いや違う」みたいな話になり、男性アナが女性タレントに「じゃあ胸元に(Aさんの)手が入ってきたら?」なんて変な質問をする。女性タレントは「なすがままです」。令和のこの時代に、テレビでこんな会話が行われているとは、勉強になりました。〔続く〕
604
26日のテレビで「中年は何歳から」という辞書の引き比べをやっていました。辞書によって40歳前後~60代前半まで幅があるという結果。それはいいんだけど、出典の記述が間違いだらけで、最新版も見てなくて、実にいい加減だと思いました。ところが話はそれで終わりませんでした。〔続く〕
605
日本語の誤用に関する一般書というと、「間違えると恥ずかしい」「間違えるとバカにされる」に類する書名が目につきますが、なぜこうもセンセーショナルなものばかりなのか。要するに、ことばの正しさなんてのは、そういうレベルでしか議論しようがない話なのではないか。私はそう疑っています。
606
「誰もが間違う日本語」「日本人のほとんどが誤る日本語」といった趣旨の本が多く出ています。思わず「それは大変だ」と手に取ってしまう。でも、冷静に考えると、誰もが間違うとは、私たち皆が使っている日本語ということ。「よく通じるスタンダードな日本語」であり、不安に思わなくていいでしょう。
607
先日、エキサイトニュースから「今年上半期のポップスの歌詞」についてインタビューを受けました。ない知恵絞って答えたのですが、話を分かりやすくするため、ごちゃごちゃした所は省きました。ここで、そのごちゃごちゃについて、いささか補足しておきます。excite.co.jp/news/article/E…
608
不意打ちで、『新明解国語辞典』の新版第8版が発売というニュース。なんか、えらいアカウントができてます。とりあえずフォローしておきます。 twitter.com/shinmeikoku/st…
609
「見くびっては困る」という表現を見た人から「見くびってもらっては困る」の誤りではないか、とのご質問。面白いですね。たしかに後者をよく聞きますが、固定した言い方ではなく、また、いったん固定しても、他の言い方が許されないわけではないので、「見くびっては困る」でもいいでしょう。〔続く〕
610
お盆になると「地獄の釜の蓋が開く」。地獄の鬼さえも釜ゆでの蓋を開けて休むというのです。この表現はまた、恐ろしいことが起こる場合などにも使われます。池波正太郎「秋風二人旅」(1972)では、前途を絶望した凶悪人が〈おれたちの目の前には、もう、地獄の釜の蓋が開いているのだ〉と言います。
611
読書案内。「これっす」「そうっす」の「っす」だけで一冊の敬語論になることに驚嘆しました。このことば遣いを著者は「ス体」と命名。丁寧体や普通体とは別の役割を持つことを論じていきます。▽新敬語「マジヤバイっす」 社会言語学の視点から 中村桃子著 bookbang.jp/review/article…
612
読書案内。「ことば警察」の人々は各国にいるらしい。そんな人々が根拠にするのが辞書。でも、英語辞典の作り手である著者は、辞書に番人の役割を求めるのは〈勘違い〉と述べます。同意する人は多いはず。▽ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険 鴻巣友季子他訳 左右社 bookbang.jp/review/article…
613
「配偶者をどう呼ぶか」という問題について、主張というよりは論点整理みたいな文章を書きました。いかがなものでしょうか。▽文春オンライン bunshun.jp/articles/-/395…
614
リツイートした記事の中で、毎日新聞校閲センターが〈「子供」でも「子ども」でもよく、記事内で表記が割れていない(ばらつきがない)限りは直さない〉とコメントしていたのは、大らかで望ましいと思いました。
615
「子供」「子ども」はどっちでもいいです。「子供」は「子共」と書くと複数形にとられるためににんべんをつけたものであり、「供=付属物、お供」ということではなかったと考えられます。▽「子供」or「子ども」どっちで書く?新聞は「子ども」派が多数 専門家の見解は maidonanews.jp/article/135851…
616
#読書と国語」(というか正確には「読書しなくても国語成績いい理由」ですが)について、目下約300通の証言をいただいています。壮観です。ありがとうございます。このタグを読んでいくだけで下手な本一冊よりためになりそう。少しずつ分析を進めて、後に簡単にまとめたいと思います。
617
一口に「国語」と言っても、現代文の読解あり、漢字あり、古文・漢文ありでいろいろですが、ここでは漠然と「国語」全体としてお尋ねします。とりわけ「読書をしなくても現代文の読解はめっちゃできた」という人の理由を伺いたいですが、話をそれに限るつもりはありません。#読書と国語
618
読書をすることは、学校の国語の成績を上げる特効薬だと考えています。でも、世の中には、「本は読まなかったけど、国語の成績はよかった」という人も少なくないはず。そんな人にお尋ねします。理由は何だと、ご自分では思われますか。よろしければ「#読書と国語」のタグで教えてくださいませんか。
619
「黒人の命」という主語と「大切だ」という述語をどういう助詞で結ぶかという問題。日本語には「無助詞」もあるので、私は「黒人の命、大事だろ!」と解釈しています。バラカンさんの訳も納得。▽「Black Lives Matter」 定まらぬ日本語訳 黒人差別問題に関心を - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20200…
620
「どのことばも理由があって生まれてきたので大事にしたい」というのは私の本音です。「どんな人間も生まれた理由はある」的なとらえかたですね。以前NHKの取材中にぽろっと語ったことばで( twitter.com/nhk_proff/stat… )、ツイートするときにも頭の片隅に置いています。
621
「誹謗と中傷を一緒にせず、それぞれの違いを説明してほしい」という意見もありました。両者は重なりますが、違いもあります。「誹謗」は要するに人の悪口を言うこと。「中傷」は、時として不当な(根拠がない)という感じも加わります。「誹謗中傷」全体では、あることないこと悪口を言うことです。
622
「批判と誹謗中傷の違いが『人格尊重の有無』とは、辞書にも書いていない」という趣旨の意見も。批判と誹謗中傷は、「寒い・暑い」のような対立概念ではないので、直接的な説明は辞書にないかも。それで、私は、学会の質疑応答の場合を典型例として、人格尊重の有無が両者を分けることを説明しました。
623
一方、「首相はやめろ」の「やめろ」は人格攻撃ではない、と私が述べたことについて、「ではお前はそう言われて嬉しいのか」という趣旨の意見も。一民間人にそう言ったら脅迫的ですが、公人に辞職を求める権利は誰にもあります。私好みの言い方は「○○氏はやめるべきだ」ですが、連呼には向かないか。
624
「政治的なことばをどこまで過激にしていいか」は議論の余地があると、私も保留をつけました。ただ、安易に「××(罵倒語)」などと言わず、むしろ「穏やかなことばで、鋭く事実をえぐる」のがベストだと思う。国会でも、事実を積み重ねて鋭く追及する質問が、大きなうねりを生むことは多いですね。
625
批判と誹謗中傷の違いを「人格を尊重するかどうかだ」と述べたら、「人格を持ち出すのはおかしい、『この政治家は××(罵倒語)だ』と事実を言えば人格攻撃になるのか」との意見が。これは「バカをバカと言って何が悪い理論」で、誹謗中傷の抑止力にならない。人格尊重の要素はやはり大事です。〔続く〕