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「てめえ、このペテン師が!」などとけんかを売られた側が、「何っ、どういう意味だ?」と問い返すことがある。これは要するに「ペテン師では抽象的すぎて意味が分かりませんので、具体的に言ってください」ということですね。人を抽象的に非難しても伝わらない、ということを端的に示すやりとりです。
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具体性を欠く批判は誹謗中傷に近づきやすい。「君、昨日掃除しないで帰ったでしょう。役目を果たしてください」は批判です。これが「君はよく掃除をサボるね」となるとやや具体性を欠く。「君はサボり魔だね」まで行くとけんかになる。抽象的は中傷的、と言おうか。批判には具体性が必要です。
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ネットの誹謗中傷の問題について、ハフポストのインタビューに答えました。「批判と誹謗中傷を区別しよう」といった学校のホームルームみたいな答えで恐縮ですが、私なりに考えを整理しました。▽誹謗中傷と批判はどう違う? huffingtonpost.jp/entry/story_jp…
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蛇足のご説明。「彁」は使用実態が不明な「幽霊文字」のひとつとして有名です。うっかり間違ってコンピューター文字のひとつに採用してしまったらしいのです。
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考えてみれば、定収を得て食べていける漢字って、全体からするとごく一部ですよね。「彁」なんて、どうやって生活しているんでしょうね。
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友人の璧さんは普段「完璧」「双璧」という熟語で働いていますが、人気者の壁さんにいつも仕事を奪われて、生活に非常に困っています。「完璧」はメジャーな熟語なので、ここでさえ働ければ収入は安定するのですが、璧さんは壁さんに仕事を譲ってもらうことはできるでしょうか。(法律相談ボツネタ)
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何が言いたいかと言うと、いわゆる「誤用」とされたことばのリストを参照しながら、元の文章を機械的に修正していくと、奇妙な文章になることがある、ということです。「誤用」のリストは、あくまで「ある場合には使用に注意したほうがいいことば」ぐらいに考えて、絶対視しないのがいいでしょう。
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この場合、客は「君では私の交渉相手として地位が不足している」と言いたいのであり、相手の力量は問題にしていないから、「力不足」は状況に合わない。むしろ「君では役不足」がしっくりきます。「役不足」には「相手の役目が軽くて不足」の意味も生まれています。辞書が見落としているだけです。
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また、「役不足」は、その人の能力が高い場合(役目が軽くて不足)に使うのが「正しい」と言われます。「役不足ですが…」と謙遜する場合は、機械的に「力不足」に修正されることが多い。でも、小説で、客が「君では力不足だ、上司を呼べ」と言う例があり、これは過剰に修正していると思いました。
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たとえば、若者の会話を描写した小説で、「ガチで」「くっそ○○」「○○してたっぽい」などの言い方は出てくるのに、なぜか「見れる」を「見られる」、「出れる」を「出られる」と「ら抜き」を避けていることがあります。「正しい日本語」というより、小説的に加工された会話という印象を受けます。
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若い著者の文章で、全体としては自由なことばの使い方をしているのに、いわゆる「誤用」として有名な語句だけ、妙にマニュアルどおりに使っていることがあります。「ならば問題ないだろう」と言われそうですが、ラフなことば遣いの兄さんが、時々急に敬語になるような不思議な感じがあります。〔続く〕
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なお『三省堂国語辞典』の「眉をひそめる」を見ると〈①いやそうな顔をする。眉をしかめる。 ②心配そうな顔をする〉で、カバーする範囲は広いです。また、辞書には文字どおりの意味(「窓から手を出す」の「手を出す」など)はありません。「眉をひそめる」は単に眉にしわを寄せるときにも使います。
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どんな文章も、細かく見れば表現の粗い所は見つかるものです。世間で言う「誤用」でなくても、一般的でない表現になることも。通じない表現は改めたほうがいいけれど、行き過ぎると、せっかくの個性的な表現を失う恐れもある。周囲の人に読んでもらって、違和感を持たれなければ十分だと思います。
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同人誌の作家さんが文章を批判されて当惑している、というツイートがありました。たとえば「眉をひそめる」は心配事などの場合以外に使えないと指摘されたそうです。作家さんの文章を見ると〈眉をひそめその席を立った〉など、私には違和感がない使い方で、別に批判は当たらないと思いました。
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「鳥肌が立つ」が、少し前まで寒さや恐怖に使うことが多かったのに対し、現在は感動や興奮の意味で使うことが非常に多くなったのは確かです。ただ、これは単に割合の問題かもしれません。先入観にとらわれずに調べれば、感動・興奮を表す古い例はもっとあるのではないか。興味深く思います。
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「鳥肌が立つ」を感動や興奮に使うのは〈一九八〇年代後半から〉と『三省堂国語辞典』にあります。でも、『日本国語大辞典』では小林多喜二「不在地主」(1929=昭和4年)の〈身体に鳥膚が立つ程興奮を感じた〉という例を載せます。『宝物集』の例も踏まえると、『三国』の説明は見直すべきかも。
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朝ドラ「#エール」(5/22)で早慶戦を体験した音が「鳥肌まで立っちゃった。すごかったね」。「鳥肌が立つ」は「本来、寒さや恐怖を表す」と言われますが、感動や興奮を表すことは、この頃(昭和1桁)にありえたのか。実は、この頃にもあったし、平安~鎌倉時代の『宝物集』にもあります。〔続く〕
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読書案内。ステイホームの間に、大長編の、古典中の古典を現代語訳で読んではどうでしょう。「角田源氏」は、現代語すぎる部分もあるほど、現代小説のことばで訳しています。古典の知識がなくても「源氏」が読めます。▽源氏物語 上・中・下 角田光代訳 河出書房新社 yomiuri.co.jp/culture/book/r…
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『明鏡国語辞典』第2版は、「恣意的」について〈「意図的」(=あるもくろみをもって行うさま」の意で使うのは誤り」としています。でも、これは断定しすぎです。もちろん「恣意的=意図的」ではないのですが、「恣意的」と「意図的」には重なる部分があるので、誤りとまでは言えません。
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「恣意的」は「意図的」と意味的に重なる部分があります。「恣意的に選ぶ」という場合、自分に都合のいい判断が入り込むので、「意図的」と言い換えることができます。ただし、「恣意的=意図的」ではありません。「文字を意図的に大きく書く」は「文字を恣意的に大きく書く」とは言わないでしょう。
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3月の日経記事審査部によるアンケートでは、「恣意的」を「意図的」の意味で使う人が多い結果になっています。でも、設問の例文(「記者会見で恣意的に質問者を選んだ」)の場合は、「意図的に」とも言えるし、また「自分勝手に」とも言えるので、設問が適切でない気がします。twitter.com/nikkei_kotoba/…
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