飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(新しい順)

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えーと、お分かりいただけると思いますが、私が授業で、辞書が同性愛を無視していることに触れたのは、もちろん笑いを取るためではありません。にもかかわらず学生が笑った、という話です。「そう、同性愛で笑いを取るときは気をつけなくてはね」という反応もあったようですので、付言しておきます。
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なお、この本の差別性を指摘したのは、親子3人の一家でした。指摘は各出版社に宛てた手紙から始まりました。岩波書店はこれを受け、明確な意識をもって絶版にしました。この限りでは圧力があったとは言えません。ただ、指摘者の活動はその後も続き、すべての活動が妥当だったかは分かりません。
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現在の私は、この本の原著者に差別的意図はなかったと思いますが、今の子どもに与えるにあたっては配慮が必要だと考えます。現代ではSamboが「(侮蔑して)黒人」の意味になることひとつを取っても、小学校高学年ぐらいから、背景説明とともに与えるのが理想的ではないか。私の考えも変わりました。
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『ちびくろ・さんぼ』の絶版は、版元が圧力に屈した結果だと、学生時代の私は受け止めました。しかし、版元の一つ岩波書店の安江良介社長は、社内討議を経て、明確に差別的と意識して絶版にしています。安江へのロングインタビューを含む資料は『『ちびくろサンボ』絶版を考える』にまとまっています。
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1988年、児童書『ちびくろ・さんぼ』が黒人差別との指摘があり、版元が相次いで絶版にしました(その後、別の版元から復刊)。当時学生だった私は、幼い頃から親しんだ本書を、差別図書とまでは言えないと考えました。その考えは2010年代半ばまで変わりませんでした。今も絶版の必要はないと思います。
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現在、主要な辞書は「恋」「愛」「恋愛」などの解説を見直し、男女に限らない説明にしています。『三省堂国語辞典』の場合、2014年の第7版で関係項目を大幅に見直しました。編集委員で話し合った当初、私は「旧版のままでいいのでは」と思っていたことは著書に記しました。私の意識も変わったのです。
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この授業のクラスは外国人留学生など日本語学習者を対象とするもので、学生はいろいろな国、地域から集まってきます。2010年代半ばに私が「(恋愛の中には)同性愛もありますよね」と言うと学生が笑ったのは、当時、「恋愛=異性間の感情」という意識が日本だけのものではなかったからでしょう。
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2010年代半ば、大学の授業で辞書の「恋」の項目にある「特定の異性に強く惹かれ……」という解説を示し、「でも、同性愛もありますよね」と言うと、学生たちは笑いました。それが10年代後半になると、学生のほうから、同性愛に言及がないことを指摘するようになりました。人々の意識は変わるものです。
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「お母さん食堂」問題について、鎌田和歌さんが論説記事を書いています。情報が多く勉強になります。最後に私のツイートも引用され、お恥ずかしい限り。ことばに携わる多くの人々の意見を聞きたい気はしますが、たしかに発言しにくい雰囲気はあるかも。▽DIAMOND online diamond.jp/articles/-/259…
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「私、東京は神田の生まれです」という「は」の用法は独特ですが、指示対象を絞る、つまり「東京の中でも神田の生まれ」と解釈されます。18世紀の洒落本にも「お前がたはお江戸は何処でござります?」と尋ねるせりふが出てくるので、けっこう古いですね。現在演じられる狂言にも同様の表現があります。
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辞書編纂者は、ことばの変化を観察することに徹すべきで、「いい悪い」を述べたりして、変化にかかわるべきでない――と、これは、「お母さん食堂」の議論のなかで私が接した意見のひとつです。辞書作りの上で、ことばの「いい悪い」はよく問題になります。年の初めにちょっと考えてみます。〔続く〕
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補足。「お母さん」は、ここでは「料理を作るやさしい人」の意味であり、「料理を作るやさしい人」は男女とも含まれる、「お母さん」はそんな男女を含む記号だ、という考えもありえます。でも、その記号に「母」を表すことばを使うかぎり、やはり「母=作る人」という結びつきが生まれてしまうのです。
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最後に「おふくろの味」について。これは、「お母さん」以外が作った食事、つまりインスタント食品などが普及した戦後に広まったことばですね。土井勝の死亡記事に〈「おふくろの味」という言葉を生み出し〉とありますが、土井が発案者だったかはともかく、ことばを広めたひとりだったのでしょう。
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では、「お母さん食堂」の名称変更を会社に訴える署名活動は、方法として適当かどうか。平和的に再考を促すという趣旨であれば、意見表明の方法としてありうるでしょう。前述のように、「お母さん食堂」だけが問題ではありませんが、いろいろな事例の代表として取り上げる手法はありです。〔続く〕
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自分の問題意識が低かった言い訳になりますが、もし私が日常的に「お母さん食堂」の商品を買う立場だったら、違和感が強まった可能性はあります。商品を何度も目にする人は、名称の持つ「母=料理する人」のイメージが耐えがたくなるかもしれません。メーカーはそこを想像すべきでした。〔続く〕
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ちなみに、NHKでは「おかあさんといっしょ」とは別に、2013年以来、「おとうさんといっしょ」も放送しています。今の時代に合った、妥当な方針と言えるでしょう。〔続く〕
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「『お母さん食堂』がダメなら『おかあさんといっしょ』『カントリーマアム』はどうなんだ」という意見があります。どれも「ダメ」ではありません。ひとつひとつはダメではないが、少しずつ性役割の固定化に貢献しています。こうした無数の事例が集まり、性役割のイメージを強固にするのです。〔続く〕
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「お母さん食堂」という商品名が、ただちに大きな問題を引き起こすとは言えません。むしろこの名称は、料理する母への懐かしい気持ち、親愛の気持ちを呼び起こします。その一方で、「母=料理する人」という鮮明なイメージを与えてもいます。この点で、確かに性役割の固定化に貢献しています。〔続く〕
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今回「お母さん食堂」の名称が議論になり、遅まきながらそこに意識が向きました。改めて名称の適否を考えてみると、「こういった商品名は、少なくとも今後は避けたほうがいいだろう」という意見を持ちます。理由は、程度の大小はともかく、性役割の固定化に貢献することになるからです。〔続く〕
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私自身が「お母さん食堂」を知ったのは2020年4月のことでした。街で看板を見つけて写真を撮りました。撮影した時の記憶は特にありません。「お母さん」よりも「すげーうまい」に注目したのかもしれません。要するに「お母さん」のネーミングには特に問題意識を持っていませんでした。〔続く〕
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私は言語のジェンダー性を研究してもおらず、科学的な知見はないのですが、辞書を作る立場から感想を記録しておきたい気もします。それを以下に述べます。〔続く〕
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ファミマの「お母さん食堂」の名前を変えたい、と署名運動が立ち上がったことについて、賛否の議論があります。「日本語研究者がだんまりなのは変だと思う、議論に言語学的な科学性を与えるべきでは」との近藤泰弘さん(日本語学)のご意見に、なるほどと思います。〔続く〕twitter.com/yhkondo/status…
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「紅白」の全曲目が終わりました。私は、紅組、白組の勝敗をほとんど意識せずに見ていました。審査員たちが投票をすることで、かろうじて「合戦」の形式を保っていますが、今にこれも形式化するかもしれません。私の今年の用例採集も、これで終わりです。皆さま、おつきあいありがとうございいました。
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大トリの曲紹介は、大泉洋さんが〈福山雅治さんで、家族になろうよ〉。二階堂ふみさんが〈MISIAさんで、愛のカタチ〉。「誰々で、曲名」という「で」の使い方はわりあい新しいのですが、いつ頃からかを調べるには、過去の紅白の録画の全曲紹介を調べないといけないので、いまだに実現していません。
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福山雅治「家族になろうよ」。歌の主人公は男性、女性どちらと考えても違和感ない。〈甘えてたの〉という口調から女性らしいと推察できますが、女性ならではの内容ではありません。「100年経っても好きでいてね」と言ったのは彼でも彼女でもいい。誰もが歌える内容になっているところがいいんです。