飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(新しい順)

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五段と上一段に活用する動詞は、「飽きる―飽く」「借りる―借る」「足りる―足る」「ほころびる―ほころぶ」「報いる―報う」などがあるぐらい。また、「射る」も上一段・五段の両方に活用します。「独りごつ」と「独りごちる」も、同じく五段と上一段のペアということになります。
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五段活用と一段活用のふたつの形がある動詞はさほど珍しくないと書きましたが、そのうち多くは五段と下一段に活用します。「合わせる―合わす」「くらます―くらませる」「澄ます―澄ませる」(前者が優勢)など、辞書にはざっと数十あります。一方、五段と上一段に活用する動詞は比較的少ないです。
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補足訂正です。先ほどの遠藤周作「沈黙」の例は、「一人ごち、」と後に何も助詞がつかないので、「勝ち、」と同様に五段活用かもしれず、「ひとりごつ」の可能性もあります。この例は除外しておきます。ただし、古文でない使用例ではあるわけです。
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新聞でも、この1年の全国紙の使用例を見るかぎり、「ひとりごちる」は、ぱらぱら使われています。結論として、このことばは文学などでも現に使われていて、辞書に載っておかしくない。多くの辞書が、この語を収録し、解説するようになれば、人々は安心するでしょう。
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ちなみに、「ひとりごつ」のような五段活用(古文では四段活用)と、「ひとりごちる」のような一段活用が、互いに変化する例は多くあります。「足る」と「足りる」、「済ます」と「済ませる」、「任せる」と「任す」など。現象としてはさほど珍しくないことなのです。〔続く〕
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『三省堂国語辞典』では、「独りごちる」を、1974年の第2版から載せています。すでに使われていることばでも、辞書が収録し忘れているということはしばしばあるのですが、この「独りごちる」もそのひとつだったと言えるでしょう。〔続く〕
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▽山田詠美「快楽の動詞」(1992)〈別の言葉について考えようとひとりごちる私であった〉▽水上勉「茄子の花」(1993)〈私のひとりごちる言葉が〉▽小林信彦「イーストサイド・ワルツ」(1994)〈(まさか……)と私は独りごちた〉――これらはすべて「ひとりごちる」の例と考えられます。〔続く〕
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明治文学では古すぎるので、戦後文学から「ひとりごちる」の例を拾ってみましょう。▽遠藤周作「沈黙」(1966)〈わざと私に聞えるように一人ごち、〉▽筒井康隆「俗物図鑑」(1972)〈〔……〕と、享介がひとりごちた〉▽中上健次・重力の都(1981)〈運のめぐり合わせだと独りごちた〉〔続く〕
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神永さんは、尾崎紅葉「多情多恨」にある「独語(ひとりご)ちたので」という例も「ひとりごつ」の連用形と解しています。でも、「ひとりごつ」の連用形なら、「勝つ―勝った」と同様「ひとりごった」になるはず。「ひとりごちた」は「ひとりごちる」の例で、すでに明治時代にはあったのです。〔続く〕
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辞書編集者の神永曉さんも以前、「ひとりごちる」という語形はあるかと疑い、国語辞典に載っていたことに衝撃を受けたと言います。神永さんでさえそうなのだから、「ひとりごちる」に違和感を持つ人は多いのかもしれません。〔続く〕japanknowledge.com/articles/blogn…
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ことの経緯はこうです。まず、「ひとりごちる」は古語であり、「現代の辞書には載ってない」というツイートがあった。さらに「厳密には古語は『ひとりごつ』で、『ひとりごちる』は最近作られた造語らしい」と補足された。それに対し「そんなはずはない」という意見があがった、と。〔続く〕
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「ひとりごちる」という現代語があるかどうか、ツイッターで話題になり、飯間の意見が聞きたいという声もあります。私の率直な感想としては「文章語としては、まあまあ使うのでは」というところです。すでに解説があるかもしれませんが、私なりに説明してみます。〔続く〕
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ネットスラングの「おまゆう」が近いのでは、というご意見が複数あります。ただ、これだと、BからA本人に逆襲する「そっちこそどうなんだ主義」と同じで、「Cだってやってるよ」と第三者のことをいう場合をカバーできないと思うのです。
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「自分も忘れ物をするA(あなた)が、B(私)の遅刻(またはCのドタキャン)を批判できない」「姿勢が首尾一貫していない」という主張も聞きます。一見もっともですが、BやCの行動を議論する際に、Aの行動は関係ない。泥棒も収賄を議論する権利があります。各人の問題を個別に議論すればいいのです。
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議論の方法として、Aが「Bの遅刻」について問題にしているとき、Bは「Aの忘れ物」を同時に持ち出すべきではない。もし持ち出したら、Aは「よし、私の忘れ物の話は次に議論しよう」と述べ、議論を戻すのがいい。その際、「ホワットアバウト論法は避けよう」などと短く指摘できる用語があれば便利です。
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英語の whataboutism をそのまま「ホワットアバウティズム」とするのも現代風ですが、10字を超えるのは長いですね。「ホワットアバウト論法」という例もあり、やや分かりやすい。単に「ホワットアバウト」「ワッツアバウト」もあります。訳語が定着すれば、すり替えもしにくくなるでしょう。
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この whataboutism の日本語訳は難しい。ウィキペディアでは「そっちこそどうなんだ主義」と見出しを立てていますが、これは長いし、Bが「Aこそよく忘れ物するじゃないか」と逆襲する場合だけがイメージされます。でも、実際は、「第三者のCのドタキャン」を持ち出す場合も多い。他の訳語が必要です。
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Aに遅刻を批判されたBが「Aこそよく忘れ物するじゃないか」「Cだってドタキャンしたよ」と責任逃れするのを whataboutism と言う。“What about...”(じゃあ…はどうなんだ)と話をすり替える論法だからです。ネットでは冷戦期に生まれたことばとされていますが、普及は2010年代後半と考えられます。
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ちくまプリマー新書『伝わる文章の書き方教室』が、刊行10年目にしてようやく重版を迎えました。文章力アップのために、クイズふうのトレーニングを提案する内容です。図書館や学校現場で好意的に取り上げていただきました。初級から順を追って進んでいく構成です。お気軽に挑戦してみてください。
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時代物の漫画で、「~と、あなたを中傷している者がいます」と親玉に報告した人物がいました。親玉は「それをわしに言うとは、さだめしお前も同意見であろう」と、その人物を罰します。というのをふと思い出しましたが、これこそ記憶が曖昧で情報ソースが示せません。どなたかご記憶でないでしょうか。
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森会長発言の報道で、女性の発言時間の規制に言及した部分は、多く見過ごされた印象があります。元発言が伝聞形式のせいもあるかもしれません。海外メディアでは、「『時間制限を設けないと困るだろう』と付け加えた」(CNN、2/4、拙訳)のように、発言責任を本人とみなす報道が複数あり、対照的です。
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以前、教育者が公式の場で問題発言を行い、「~と言った人がいるが、私も同意見だ」という趣旨のことを言い添えました。報道では要約されていましたが、実際は「~とマックで女子高生が言っていた」と同じ語法だったかもしれません。ただ「私も同意見だ」と責任の所在を明らかにしたのはいいことです。
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人前で発言していて、「まずいことを言った」と思うことがあります。そんなとき、「~とマックで女子高生が言っていた」「~と言っておられた。だれが言ったとは言わないが」と逃げるのはひとつの手です。でも、元発言がたどれない引用は、基本的に、引用した発言者が責任を問われるべきです。
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「~とマックで女子高生が言っていた」と、わざと発言の責任を曖昧にする語法は2010年に広まったらしい。これは私がマックで聞いてきた情報ではなく、すでに調べた人がおり、私もたどれる範囲で確認しました。現代の慣用句です。▽ジェット・リョー氏調査 togetter.com/li/1213684
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この古典17作品以外でも、「いまそかり」は芭蕉の俳文などにも出てきます。「猶(なほ)父母のいまそかりせばと」(「としのくれ」)というふうに。結論としては、あまり見かけない奇妙なことばでも、覚えておくとやっぱり役に立つかもしれない、ということです。