飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(いいね順)

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たとえば、若者の会話を描写した小説で、「ガチで」「くっそ○○」「○○してたっぽい」などの言い方は出てくるのに、なぜか「見れる」を「見られる」、「出れる」を「出られる」と「ら抜き」を避けていることがあります。「正しい日本語」というより、小説的に加工された会話という印象を受けます。
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「そういう意味・用法は国語辞典に載っていない。したがってそんな使い方は誤りだ」という主張を聞くと、「いやそれ国語辞典が長い間見落としていただけですから」と逃げ出したくなることが多いです。何十年も使われ、定着している意味を辞書が見落としていることはしばしばあります。すみません。
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福山雅治「零」の「真実はいつもひとつ」「正義は そう 涙の数だけ…」というのはことばの違いの説明として秀逸ですね。数か国が戦争をするときも、それぞれの国に都合のいい正義がある。それから、「事実」と「真実」もまた別のもの。違いをじっくり考えてみたい。
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椎名林檎さん〈もう10年ぐらい〔二階堂ふみさんの〕ワンフーですので〉。ああ、「ファン」の倒語ですか。「ジャズ」を「ズージャ」と言う、あれですね。
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櫻坂46「流れ弾」で〈今宵もどっかしらで顔隠してリンチパーティー〉という表現が出てきた。「リンチパーティー」は、ネットで匿名で誰かをリンチする現象を指すものと思います。そういう風潮に反対し、愛の気持ちで語り合おう、と呼びかけている曲ですね。
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「違和感」は明治~戦前には医学分野で多く使われ、「違和感を感じる」の例も昔からありました。戦後には、椎名麟三・三島由紀夫・梅崎春生・阿川弘之・石坂洋次郎・佐藤春夫・遠藤周作らの例があります。多くの大作家たちのお眼鏡にかなった表現であり、べつに神経質にならなくても、と思います。
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読書をすることは、学校の国語の成績を上げる特効薬だと考えています。でも、世の中には、「本は読まなかったけど、国語の成績はよかった」という人も少なくないはず。そんな人にお尋ねします。理由は何だと、ご自分では思われますか。よろしければ「#読書と国語」のタグで教えてくださいませんか。
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影響力の大きい論者の発言に対しては、「いえ、小人数もありますよ」というリプライもついているのですが、元発言を訂正せず放置している論者もありました。「小人数」が間違いでないと認めることと、予防策の是非を論じることは別です。事実誤認については撤回してもいいのではないでしょうか。
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松平健「マツケンサンバⅡ」、リリースは2004年だそうで、ずいぶん前ですが、私にとってはつい数年前の感覚。サンバにボンゴは出てこない、「オレ!」はフラメンコ、などとよく指摘されますが、徳川吉宗が白塗りで歌ってるのも含めて、計算ずくのハチャメチャでしょうね。曲も歌声も大好きです。
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えーと、お分かりいただけると思いますが、私が授業で、辞書が同性愛を無視していることに触れたのは、もちろん笑いを取るためではありません。にもかかわらず学生が笑った、という話です。「そう、同性愛で笑いを取るときは気をつけなくてはね」という反応もあったようですので、付言しておきます。
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三省堂「今年の新語2016」の選評で、私たち選考委員は〈「いとあはれ」と言っていた昔の宮廷人は、今の時代に生まれたら、さしずめ「超エモい」と表現するはずです〉と指摘しました。その後、この指摘を肯定する意見が多いので、私たちは間違ってなかった、と満足しています。dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo20…
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Sexy Zone「ぎゅっと」では、今はつらくても自分を待ってる人がいることが歌われる。〈いまもぎゅっと抱いて/それをぎゅっと抱いて〉というのは、その人を抱くように聞こえますが、「それ」と言っているから、必ずしも人ではないのでしょうね。その人の横顔の思い出、なども含むわけだ。
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『サクっと書けちゃう!文章レシピ60』が新星出版社から発売されました。山田由佳さんとの共著です。メールや企画書、報告書など、業務でやむを得ず書く文章も、ちょっとした工夫で格段に伝わるようになります。どうぞ、寝転んでぱらぱら眺めてください。『「伝わる文章」を書く技術』の新装版です。
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補足もしくは蛇足です。「男の人ってコーラが好きですね」のような発言を何と呼べばいいか。実害を伴わないので差別ではなく、軽蔑していないので蔑視でもありません。これは「偏見」と分類すべき発言です。偏見は罪のない「独断と偏見」から、差別につながる深刻な偏見まであります。
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「恋」を『広辞苑』第7版で引くと、まずは〈一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと〉と出てきます。つまり「恋」は「恋い慕う」で、自分の手元にいない存在に対する感情が原義なんですね。お互い離れない安心感が生まれると、「恋」とは別物になるというわけです。#じぞ恋
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「こういうのが欲しかった」三省堂辞書のLINEスタンプの説明がウザい&面白いので欲しくなる togetter.com/li/2071139 #Togetter @togetter_jpより
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「自粛を要請」は矛盾した言い方、との声が多いようです。でも、「相手に自制を促す」のように、行動を求めつつ、細かい判断は本人に任せる、ということなら理解はできます。昔から珍しくない表現ですが、このたびの「自粛要請」は、要請にしては死活問題に直結するところが反発を呼ぶのかも。〔続く〕
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辞書の話から「俳優のAさんはおじさんか?」「いや違う」みたいな話になり、男性アナが女性タレントに「じゃあ胸元に(Aさんの)手が入ってきたら?」なんて変な質問をする。女性タレントは「なすがままです」。令和のこの時代に、テレビでこんな会話が行われているとは、勉強になりました。〔続く〕
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伊藤園「お~いお茶」の商品名についての議論が、何年か前にありました。当時「男尊女卑的か否か」をめぐって応酬があり、それだけで終わってしまった感じがあります。しかし、この商品の広告を振り返ると、イメージチェンジ戦略の成功例と言うことができます。資料が一部揃いませんが、論じてみます。
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憂慮するのは、他の教養バラエティー番組でも、このように無茶苦茶な内容(事実に反する、または、個々の部分は事実でも誤解を招く構成になっている)が増えていることです。「事実でためになるが、つまらない」よりも「事実でなくても、面白い」ものを私たちが求めている結果なのでしょう。
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エリザベス女王に哀悼の意を表します。 「女王」は「じょおう」か「じょうおう」か、見坊豪紀は1975年、女王来日の際に放送を観察し、アナウンサーも昭和天皇も「じょうおう」と発音することを記録しています。「女」の「ニョ」の音が慣用で「女房(ニョウボウ)」となるようなものと考えられます。
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放送では、青森県むつ市の高校や街頭でインタビューが行われていました。若者も年配の人も「わい」を使っているという当事者の証言がありました。これは情報として価値があります。ただ、だからといって〈自分を“わい”と呼ぶ女子 ルーツは青森の女子高生!?〉というのは飛躍です。
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「~とマックで女子高生が言っていた」と、わざと発言の責任を曖昧にする語法は2010年に広まったらしい。これは私がマックで聞いてきた情報ではなく、すでに調べた人がおり、私もたどれる範囲で確認しました。現代の慣用句です。▽ジェット・リョー氏調査 togetter.com/li/1213684
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「分かる」を漢字で書くと、仮名の「わかる」にするよう編集部から求められることがあります(一般向け・子ども向けを問わず)。場合によって応じますが、謎ルールです。「分かる」の読みは小学校で習うし、堅くも難しくもない。「分かれる」と区別するためともいいますが、送り仮名で区別できます。
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発言が急所を突く意味で「的を得る」と言うのは「的を射る」の誤りと言われることがありますが、「的を得る」も由緒正しいのは確か。国会図書館「次世代デジタルライブラリー」で古書の本文検索ができるようになったので利用すると、大正時代の例が出てきました。ちなみに江戸時代から例はあります。