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インタビューを受ける際は、番組の趣旨をもっと確認しないと、と反省しています。今後この種のインタビューは受けない、という気持ちはなくて、お役に立つことがあればぜひご協力したい。ただ、「番組ではどこまで調べていますか」「どういう結論になりそうですか」ということは聞いておくべきですね。
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「文春オンライン」に久しぶりに文章を書きました。読点の打ち方に世代差はあるか、伝わりやすい読点の打ち方とは、についての考察です。文章を書き慣れた人にとっては今さら感があるかもしれませんが、お時間のある時にご覧ください。 bunshun.jp/articles/-/465…
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『広辞苑』の説明の誤りが複数指摘され、ニュースになっています。これは悪いことではありません。指摘によって辞書の説明が改善されるからです。ただ、「辞書の誤り」について、一般には誤解もあるようです。「『広辞苑』に誤りがあるとは! もう買わない!」といった意見もありますが、短絡的です。
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ネットの反応を見ると、「わい」は「2ちゃんねる(なんJ板など)が発祥だろう」という意見が多いです。私も掲示板で「わい」が流行している様子をリアルタイムで見ていました。その前段階として、「わい」はアニメの人物のキャラづけに使われました。そういう経緯は、放送では無視された形です。
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関ジャニ∞「T.W.L」はクレヨンしんちゃんのテーマで、すでに有名だそうですが、知りませんでした。ことば遊びが多用されていて、北川悠仁さんの才能に脱帽。〈開くto be loved〉なんかは「開く扉」と掛けているんですね。他で使われている例を知りません。
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5/31の朝ドラ「#ちむどんどん(37)」では、新聞社で修業中の暢子の電話応対について、デスクが〈お宅の会社じゃなくて「御社」。うちの会社は「弊社」〉と指摘します。でも「御社」「弊社」が口頭語として一般化したのは、実は1980年以降。ドラマの舞台は70年代ですから、大目に見てあげてください。
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ファミマの「お母さん食堂」の名前を変えたい、と署名運動が立ち上がったことについて、賛否の議論があります。「日本語研究者がだんまりなのは変だと思う、議論に言語学的な科学性を与えるべきでは」との近藤泰弘さん(日本語学)のご意見に、なるほどと思います。〔続く〕twitter.com/yhkondo/status…
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記事中(そば粉を使わず)小麦だけで作る「沖縄そば」も「そば」と名乗れるとあって、なるほど。茶葉でなくても「昆布茶」、発酵食品でなくても「甘納豆」というのまで含めたら類例は多そうです。▽麦みそに「みそと名乗るな!」 老舗店あぜん、行政の不可解な指導 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20221…
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この授業のクラスは外国人留学生など日本語学習者を対象とするもので、学生はいろいろな国、地域から集まってきます。2010年代半ばに私が「(恋愛の中には)同性愛もありますよね」と言うと学生が笑ったのは、当時、「恋愛=異性間の感情」という意識が日本だけのものではなかったからでしょう。
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「宇津毛大学の田分抜作教授」で吹いた、と言ってくださる方が多い。名前自体そう面白いわけではないけど、直前のコメントにイラッとしたところで「宇津毛……」と続くのでウケてくださったということでしょう。記事の意図が通じた。一方で抜作の発言に神妙にうなずいている方もいるようで困っちゃう。
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若い世代ではご存じない方もいるかも。レベチの実力差がある場合、昔は「優秀な彼は、私とはダンチの差がある」なんて言ったわけです。「ダンチ」とは段違いのこと。一昔前の俗語っぽいですが、実は江戸時代からあることばです。
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「いやだ」が「やだ」になるのと同じ現象も、昔からありましたよね。「いだく(抱く)」を「だく」と言ったり、「いばら(茨)」を「ばら(薔薇)」と言ったり。というわけで、語頭の「い」が落ちるのも、昔からの伝統です。心配なさいませんように。
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「力を十分に発揮する」の「十分」は10割という意味から「不足がない」意味になった。一方の「充分」は当て字で、意味は「十分」と同等と考えていいでしょう。2つの書き方があると〈三十分ないし、十分間でも充分です〉(大岡昇平「事件」)のような場合に書き分けられて、とても便利です。
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国語辞典の項目は「古いから削除する」という場合も多いですが、「固有名詞の項目を減らす」「別の項目の中で説明できる」など、種々の理由があります。そういう説明抜きに取り上げられると臆測や疑問を呼びます。三省堂の人々は企画段階で説明したことと思いますが、放送を見て落胆しているのでは?
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一時期広く使われた「コギャル」「スッチー」などの俗語も、『三省堂国語辞典』では涙を飲んで削除しました。この類を時代の足跡として残すなら、「オペチョコガール」「トテシャン」「ワンサガール」(戦前のことば)なども収録するのが筋、となる。現代語辞書としては、どこかで線引きが必要です。
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すでに述べたように、蔑視は軽蔑の心を表すことなので、「蔑視のつもりはなかった」と言われると追及しにくい面があります。一方、差別というのは実害を与えるものです。この場合は女性理事にまさしく「ガラスの天井」を設ける発言であり、蔑視発言というよりは差別発言というほうが正確です。
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時事問題などに関するSNS上の発言を読みながら、罵倒・嘲笑などの「贅言」を消去していくと、後に何も残らない、という発言も多くあります。そうした発言を読むのは、まさしく時間の浪費です。「贅言消去」の習慣が身につけば、有益な議論を選んで読むことが自然にできるようになります。
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しぶしぶ書くレポートでも、人は(単位をもらえる程度には)意味のある文章を書こうとする。一方、ある種のまとめサイトでは、筆者の言いたいことも、読者の受け取る意味もほとんどないのに、見た目だけ文章に見える文章ゾンビを生産している。文章というものが愚弄されている感じが、痛ましいのです。
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何が言いたいかと言うと、いわゆる「誤用」とされたことばのリストを参照しながら、元の文章を機械的に修正していくと、奇妙な文章になることがある、ということです。「誤用」のリストは、あくまで「ある場合には使用に注意したほうがいいことば」ぐらいに考えて、絶対視しないのがいいでしょう。
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ちなみに言うと、放送で〈青森県では「わい」がより省略化された「わ」〔私〕と、「な」〔あなた〕という方言もあるそうです〉と述べていましたが、「わ」は「わい」の省略でなく、我を意味する古語の「わ」がそのまま残ったのでしょう。「わい」とは語源が別です。「な」も汝の意味の古語です。