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こどもの日なので、香川県のRNCラジオで、子どもに国語を好きになってもらうには、という15分の話をしました。要点は3つで、
・漢字の書き方(トメハネなど)をうるさく言わない
・本は読まなくても漫画を読めばいい(語彙力はつく)
・子どもの使う新語や新しい言い方を否定しない
ということです。
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「反社会的勢力」の定義に関する政府見解が複数出される事態は、辞書の作り手として大変困ります。「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して…」という法務省の定義と、「定義は困難」という今回の決定は両立しないはずですが、はたして従来の定義は上書きされたのか。▽毎日新聞 mainichi.jp/articles/20191…
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椎名林檎・宮本浩次「獣ゆく細道」は、旧仮名遣いで意味を取るのに一苦労。あとで確認しようっと。「本物」に「モノホン」、「贋物」に「テンプラ」、「無意味」に「ナンセンス」など、ルビもすごい。たしかに授業にもぐりこんでいる偽学生のことを「テンプラ学生」と言ったりします。
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「エモい」よりもさらに漠然とした感情を表す語(意味が広い)を挙げれば、たとえば、感動詞「ああ」です。気がついたとき、落胆したとき、安心したとき、悲しいとき、うれしいとき……全部「ああ」ですます。「ああもう、現代人は何でも『ああ』だな。語彙力の低下を憂えるよ」「ああ、そうですね」
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刀剣男子は「~人」でなく「~ふり」で数えるのか。「おれたちは刀剣だからこういう数え方になるんだよね」とのこと。刀は1本、2本でいいのかと思ったら、玄人っぽい数え方があるんですね。『新明解国語辞典』によると、一口(ひとふり・いっこう)または一本と数えるとのこと。1本でもOKです。
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過去5年間、私が受け取ったメールを調べると、研究者、編集者、記者など多くの人々が「取り急ぎお礼まで」を使っています(初めて仕事をする人を含む)。私も違和感を持ったことはありません。これで十分だと思いますが、後に「何とぞよろしくお願い申し上げます」と加えればなお丁寧ではあります。
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言語学の初歩を学ぶと、「それは誤用だ」と断定することが難しくなります。「変化することこそがことばの本質だ」というのが基本だからです。「飯間さんはことばに対する姿勢が優しい」とも言われますが、べつに姿勢とか主義とかの問題ではなく、学問の基本に忠実に考えると、誰でもそうなります。
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『三省堂国語辞典』に関して、ツイッター上の発言が一時的に急に増えました。3月9日0時からの番組「#乃木坂工事中」で、鈴木絢音さんが『新明解国語辞典』とともに「オススメの本」として紹介してくださったんですね。ありがとうございます。〔以下連投〕
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「中年は何歳から何歳まで」というのは、国語辞典によって記述が違う。つまりは、確定できない情報です。テレビ番組でのセクハラの材料程度にしかならないなら、はたして辞書にそんな情報必要か、と考え込みました。むしろ、このように確定できないと記したほうが親切です。〔続く〕
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「贅言(ぜいげん)」というのは、本来は「理由については贅言を要しない」のように、「わざわざ言わなくていい、むだなことば」の意味です。罵倒・嘲笑などを「贅言」というのはやや変かもしれませんが、「議論に必要のないことば」という意味で、そう名づけました。
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キラキラネームを積極的には勧めたくない、と思っていた10年前の私を論理的に叩きのめしたのは、大学のある授業で提出された学生のレポートでした。「名前らしい名前」はどの時代も常に変動しているのだという趣旨。たしかに「頼朝」は大昔のキラキラネームでした。▽毎日新聞 mainichi.jp/articles/20230…
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鈴木雅之「夢で逢えたら」は、ロマンチックな曲調で酔わせますが、あなたに会う方法が夢を見るしかないというのだから、とても悲しい歌とも言えます。〈あなたに逢えるまで 眠り続けたい〉なんて、絶望的な状態かもしれない。それを絶望的に捉えず、美しい曲にしたのが大瀧詠一さんの魔法です。
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乃木坂46「きっかけ」に〈ふいに点滅し始め〉とあります。「不意」はこのようにひらがな書きも多いですね。しかし『三省堂国語辞典』では漢字で書く場合しか想定していません。仮名でも書くことを示せばよかった。と、自分たちの辞書にとってはネガティブ情報ですが、そのために用例採集してるんです。
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敬語というと、教科書に厳密なルールが示されているようですが、実際には、ルールがなくて自分で判断しなければならない局面が多いですね。グレーゾーンが大きく、だからこそ「敬語の研究」という学問が成り立つ。「日本語の敬語ではこう決まっています」と言い切る発言を目にしたら、ご注意ください。
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省略語のような(「乱れ」とされる)言語形式を、言語学者は叱ったりしません、という川原繁人さんの発言を読みました。全面同意です。言語研究にあたっては、言語現象すべてを大切で貴重な例として取り扱うのが基本のはずだからです。辞書を作る私も同じ姿勢です。ところが一方、(続く)
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King Gnu「白日」は、犯した罪をつぐない、「青天白日」の身として生きたい気持ちを歌ったものでしょうか。「真っ新に生まれ変わって」「忙しない日常の中で」はルビもなく使っていますが、難読ですね。それぞれ「まっさら」「せわしない」です。辞書には載っている漢字です。
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このたびの米大統領選挙に関しては、明らかなフェイクニュースが日本のSNSでも出回り、実感としては4年前の前回選挙以上のすさまじさでした。驚いたのは、名の知れた識者、ジャーナリストといった人たちが、すぐ分かるフェイクを無批判に流すこと。こんなことに驚くのは、私が世間知らずなのかな。