飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(いいね順)

101
「とんでもございません」は「とんでもないことです」が正しいと言われます。でも、文化審議会の「敬語の指針」(2007)では、「とんでもないことです」は「許し難い」の意味、「とんでもございません」は謙遜の意味で、用法が違うとされ、後者でも〈問題がないと考えられる〉と記されています。
102
島津亜矢「糸」で「逢うべき糸に 出逢えることを/人は 仕合わせと呼びます」というのは語源的にも正しいんですね。もともと巡り合わせのことを「仕合わせ」と言い、巡り合わせがいいことを「仕合わせがいいなあ」、縮めて「仕合わせだなあ」、さらに漢字を当てて「幸せ」となった。考え抜かれた詞。
103
「後で後悔する」は重言でも何でもないですね。「私は今、すごく後で後悔している」とは言わないでしょう。単に後悔する場合はこの言い方をしない。「そんなことじゃ、後で後悔するよ」の形で使うのです。この「後で」は「将来、そのうち」です。「将来、すんだことを悔やむよ」と言ってるのですね。
104
「中抜き」は「中間業者を飛ばす」が本来で「中の者が中間マージンを取る」は誤用だという議論がSNSで盛り上がっていますが、2000年の時点での朝日・読売・毎日の記事を見ると、どちらもあります。「スリが財布の中身を中抜きする」の意味もあり、「昔からいろいろあった」と考えておきます。 twitter.com/IIMA_Hiroaki/s…
105
私は自分が話す予定の内容を、担当者に事前にメールでお伝えしました。「わい」はもと関西などの方言(青森などにもある)。それが創作などでキャラ設定に使われ、掲示板(2ちゃんねる)、SNSへと広がった――。細部はともかく、大体こんなところでしょう。放送された内容は、これと大きく違いました。
106
安倍元首相狙撃のニュースに接する。元首相へのお見舞いの気持ちは言うまでもないとして、報道を聞いてまず思ったのは、言論がテロで封殺された昭和戦前まで、日本の水準が戻ってしまったということ。取り戻すのに何年かかるか、犯人は何を勘違いしてるのかと、残念さと怒りを感じるのが今の心境です。
107
「これは区別であって、差別ではない」という論法があります。しかし、「差別」はもともと差をつけて区別することで、特定の人々に不利益・不平等が及ぶのが一般に言う差別です。したがって、「区別であって、しかも差別である」という場合はあります。区別が不当であれば、それはイコール差別です。
108
「的を射た意見」も「的を得た意見」も、特に戦後広まったと『三省堂国語辞典』第8版にありますが、戦前はもっぱら「正鵠(せいこく)を得た」でした。「正鵠」は的の中心の黒点。「得る」はうまく捉える意です。「的を得た」はそのバリエーションです。国会図書館の資料から時代的変化が分かります。
109
私は「難しいことをやさしく」述べることを目標にしていますが、それを実現するのは本当に難しいですね。自分では「これでいい」と思っても、なお「難しい」と言われる。難しいことを難しく述べるのは誰にでもできます。分かりやすく述べるのは書き手・話し手の義務だと、自らに言い聞かせる毎日です。
110
作文教育では、子どもが思ったこと、考えたことを素直に書かせようとします。「何を書いてもいいんだよ」と。空気を読まず、教師や友だちの評価を気にせずに、考えたことをどんどん書けば、それはとてもいい訓練になります。でも、「空気」に支配されている子どもに、そんなことができるでしょうか。
111
手紙で「貴いあなた」の意味で使われた「貴様」が、いつしか罵倒語になったのも、元は「貴様って何か失礼じゃね?」という一種の謎マナーが原動力だったろうと思います。敬語にはそういうことかよくあります。ただ、その説が広まると、従来の愛用者が無礼者にされてしまう。そこに問題があります。
112
「微に入り細にわたり」という私の表現が気になると、まとめサイトのコメントで指摘されました。発言者の辞書には「微に入り細を穿つ」しかないとのこと。「細にわたる」は雑学本などで誤用扱いされたりするのですが、「細を穿つ」と同様、遅くとも明治時代から実例があり、決して誤用とは言えません。
113
それにしてもなぜ、と思う。あることばが使われているかどうかを調べるのは簡単なこと。辞書を引けばいいのですから。ネットでも「大辞泉」がすぐ引けます。影響力の大きい論者がことばについて辞書も引かずに論じる世の中にあって、辞書の作り手にできることは何なのか、ちょっと考えてみたいです。
114
物書堂などの努力のおかげで、好みの辞書をスマホに入れて比較できる「串刺し検索」の時代が来ました。各辞書の記述を比較して読むと、ことばへの理解が飛躍的に高まります。「辞書アプリは高い」と言う学生にも、自信を持って「高くても買ったほうがいいよ」と言える時代になりました。
115
仮にこんな発言があったとします。「女性は優秀で、尊敬する。女性は活発に有意義な発言をするので、女性の理事が増えると発言時間の規制が必要になると言われる」。賛辞に満ちた発言ですが、女性理事の増加を牽制したり、行動を規制したりすることにつながる可能性がある。すなわち、差別発言です。
116
Perfume「ポリゴンウェイヴ」の「ポリゴン」は、ステージにも実例が出てくることで分かるとおり、コンピューターグラフィックスで使う多角形です。これは『三省堂国語辞典』の新版には載せませんでした。専門的すぎる用語との判断からですが、こうして紅白で歌われると気持ちがぐらついてきますね。
117
衝撃なき事実。
118
ドラマの美術スタッフに望みたいのですが、ぜひお手元に国語辞典を備えて、終戦以前が舞台のドラマで文字を書くときは、そのつど確認していただきたい。便利なのは『角川国語辞典』です。1969年の初版以来、内容をほとんど変えていない大胆な辞書ですが、旧表記の表示がたいへん親切なのです。
119
10月のドラマ(複数)の画面から。終戦以前が舞台なのに、まったくの現代仮名遣い・新字体で書かれた文字に多く遭遇します。「表記を間違える」というレベルでなく、「昔は表記が違った」ということを知らないスタッフが増えている可能性があります。どう書けばいいかは、辞書でお確かめください。
120
「Pretender」ではまた「もっと違う関係で出会える世界線 選べたらよかった」と「世界線」ということばが使われている。ゲーム用語ですね。「歴史の進む路線」とでも説明すればいいでしょうか(雑ですみません)。こうして歌詞に出てくるということは、一般語に近くなっているのかもしれません。
121
「配偶者をどう呼ぶか」という問題について、主張というよりは論点整理みたいな文章を書きました。いかがなものでしょうか。▽文春オンライン bunshun.jp/articles/-/395…
122
作文には、何も本心を書く必要はないので(!)、ひたすらきれいごとを並べるのも、文章の訓練法としてはアリです。「思ったことを書きなさい」と言われて困る子に、「じゃあ、いかにもいい子ちゃん的な文章を書こうか」と、いい子キャラになりきらせる方法もある。これで成功したこともあります。
123
「瞳を閉じる」というのは、たしかに瞳そのものは閉じられないけど、「店を閉じる」(=シャッターを閉じて店の営業を終える)とか、「壁を塗る」(=ペンキを塗って壁を覆う)とかいうのと近い語法なのでしょうね。シャッターやペンキに直接言及せず、影響を受ける側だけを表現するのだと思います。
124
「子供」「子ども」はどっちでもいいです。「子供」は「子共」と書くと複数形にとられるためににんべんをつけたものであり、「供=付属物、お供」ということではなかったと考えられます。▽「子供」or「子ども」どっちで書く?新聞は「子ども」派が多数 専門家の見解は maidonanews.jp/article/135851…
125
「座り込み」の意味について、ツイッターでどういう議論になっているのか、もはや全体像がつかめないのですが、少なくとも辞書に関わる部分については、すでに述べたところでほぼ必要十分だと思っています。辞書はことばを定義するのではなく、観察結果を説明するというのが原則です。