飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(いいね順)

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あらゆるものが、平成30年間の歴史の中に置かれると、急に価値を持ち始めるのは面白いです。例えば、一発芸人と言われる人々とその一発ギャグは、単体で見れば忘れられても仕方がないけれど、「平成年間の一発ギャグ史」となると大学の講座で取り上げられそう。記憶されるべき「教養」になるのです。
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私は「ことばには絶対的な正誤はない。どのことばを使うかは本人の責任で選ぶべきだ」と考え、常々発言しています。「それなら、山手線新駅の名称も、JR東自身の責任で選んだんだから、文句を言う筋合いはないのでは」という疑問が生じそうです。2つは一見似た論理ですが、それぞれ異なっています。
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#いだてん」は、ことばの面でも楽しめました。「赤ゲット」(田舎者。1/20放送)などは辞書にも載せていますが、「アブサン」(女学生の隠語でアブノーマル)、「バウ」(熱烈に思い合う)、「スコドン」(少しどんくさい人。以上6/2)などは初めて知りました。出典は何でしょうか。
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ある番組で識者が「ことばは時代の足跡。辞書から消してはいけない」という趣旨の発言をしていました。でも、辞書もいろいろです。歴史的に確認されることばはなるべく多く載せる、全13巻の『日本国語大辞典』もあります。一方、実用を旨とする『三省堂国語辞典』は、まずは現代語を重視したいのです。
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蛇足ながら、ネットメディアにせよ、新聞・雑誌メディアにせよ、取材の際に述べたコメントは、多くの場合、原稿化されたものを確認する機会がもらえます。読んでみると、けっこう、数字が違っていたり、意味が正反対になっていたりします。コメントの確認を条件に取材に応じるのが望ましいですね。
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水森かおり「いい日旅立ち」に出てくる〈あゝ 日本のどこかに〉の「あゝ」の表記。「ゝ」は昔は「こゝで」「このまゝ」などと普通に使われましたが、今の歌ではなぜか「あゝ」とか「おゝ」とかにしか使われません。ほかの例があれば、それは珍しい例です。
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#今年の新語2018」の「読み応え選評」(詳しい選評)が公開されました。大賞の「ばえる」にモヤる人も、わかりみが深いと思う人も、どうぞお楽しみください。 dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo20…
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この際なので、駅のイメージとは真逆の、歴史ある高輪周辺の写真をお目にかけます。赤穂義士の墓所のある泉岳寺。モダンな高輪消防署二本榎出張所。寺社や老舗の並ぶ伊皿子坂・魚籃坂などの坂。江戸の風情を残す愛すべき街です。
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#今年の新語2021」の大賞は「チルい」に決定しました。私としては至って妥当だと考えますが、予想した方は少なかったかもしれません。イベントはまだ続いています。
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無料アプリ「じしょ君」は、「愛する」を引くと〈の好きな〉〈喜びを得る〉などの変な語釈が出てくるので、使わんほうがいいと思っていますが、それが創作者の方によって〈一番好きな辞書〉と言われてしまうのは、既存の辞書がつまらないせいかな。作り手としては反省材料になります。 twitter.com/mori_57577/sta…
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「フレンチトーストは1724年にニューヨーク州の居酒屋のフレンチさんが名づけたから」という説は、英語版ウェブサイトでも疑わしい説、せいぜい「諸説」のひとつとされているようです。それ以前に「フレンチトースト」と称する似た調理法もあり、フレンチをフランスと解して矛盾はありません。
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駅の「ステーション」も昔は「ステン所」と解釈したようで、今でも落語などで「ステンショ」と言っています。でも、英語教育が普及すると、人々は「さすがにこれはおかしい」と原語に近く発音するようになる。「パセリ」は例外的に残ったというのが面白いです。
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したがって「英語の成績を上げるには?」という質問の答えは「左頁に英文、右頁に語注がある、面白い英文を乱読してください」ということになるのですが、今もそういう本、あるでしょうか。中学・高校生向けで、ラノベふうの内容のそんなシリーズがあれば、読む人は多いと思うのですが、目にしません。
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私は「了解いたしました」なら万全だと思いますが、今では「了解しました」「了解です」と言われても気になりません(いい加減)。これは私の個人的な語感であり、「気になる」という人の語感も尊重したい。ただ、基本は「『了解しました』と言うな(or言え)」と人に強要すべきでないということです。
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手紙の頭語と結語は、昔は本当に厳密でなかったらしく、戦前の手紙の本を見ても、大ざっぱにいくつかの語を例示するにとどまるものが多いです。夏目漱石の手紙を見ると、「拝啓」に対して「草々」を使うものも珍しくなく、うっかり誤ったというわけでなさそう。昔は大ざっぱだったのです。
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番組では、昔と今の『三省堂国語辞典』の語釈を示し、男女の説明が変わってきたことを示しました。昔はイメージを浮かびやすくしようとするあまり、多様性に考えが及ばなかった。当時としてはやむをえなかったと思います。この話、詳しくは以前ツイートしました。#あさイチ twitter.com/IIMA_Hiroaki/s…
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昔、大学内の集まりで「最先端の研究者に講演を頼もう」という話が出ました。思わず「最先端でない研究やってる人いるの?」と言って苦笑されたことがあります。「最先端科学」の反対は、一般向けに解説する「身の回りの科学」で、研究ではありません。研究者なら何かしら最先端のことをやっています。
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コロナ禍で増えたカタカナ語について、インタビューに答えました。カタカナ語は必ずしも悪くないというのが私の考えです。漢語だって、「実効再生産数」とか、分かりにくいことばは多い。もっとも「リコンファメーション」はさすがにまずかったとは思います。▽NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
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この番組のような説明は、私なら避けるし、日本語を専門にする研究者や辞書関係者も、まあ避けると思います。ところが、番組では識者と称する人が出てきて、以上の説明をしていた。ご本人の反論をぜひ伺いたいところ。核心部分はご本人が説明していたので、編集で発言が歪曲されたとも思えません。
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時代考証的に厳密に考えると、東龍太郎(松重豊)が嘉納治五郎に「そりゃ早く治さないとですね」(9/1)と言うのは現代的で、当時なら「治さないといけませんね」ぐらいか。でも、目くじらを立てるつもりはありません。総じて、ことば遣いに違和感はありませんでした。
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辞書は語を「定義」するものではなく、世の中の用法を観察し、「説明」するものです。既存の定義も、説明の参考資料です。「反社会的勢力」の場合、政府の定義が参考にならないとすれば、辞書は現状を観察して記述するしかない。目下「デジタル大辞泉」の記述は、信頼できる「説明」のひとつです。
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辞書好きの身としては、ドラマ「相棒」の「辞書の神様」の細部を観察して、トリビアを発見したいところです。でも、1回見ただけでは、「これは」というものは見つけられませんでした。ドラマ中の辞書『千言万辞』のゲラ(三校)が映っていましたが、これが『広辞苑』第7版らしいのは気づきました。
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「汚名挽回」についてツイッター内で議論になっているようです。フォロワーの皆さまには見飽きた話題と思われるので、自己リツイートで済ませておきます。私の主張はべつに独自のものでも何でもないということは、『文藝春秋』今月号(11月号)にも書きました。
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漫画で驚いたときの「ガーン」は1960年代からあるようですが(「巨人の星」が元祖と言われるがそれ以前にも)、以来何十年にもわたって「ガーン」は使われています。私にとっても普通のことばです。それが本当に減少しているということが、ツイッターの件数からも読み取れる、という話でした。
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辞書エンタメイベント「国語辞典ナイト12・辞書はゲームだ!」開催決定です。2月24日18:00、渋谷・東京カルチャーカルチャー。辞書の作り手はこれまで、勉強道具を作っていると思っていた。でも、それでいいのか。辞書は遊び道具であるべきだ。みんなでゲームしながら、真面目に考えます。続報待て!