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『三省堂国語辞典』第8版の特設サイトが公開されました。新しい『三国』の特徴がビジュアルに分かります。こんなにネタばらししちゃって大丈夫なの!? と、著者の一人として心配になるレベル。でも大丈夫です。これらは新記述のほんの一部にすぎません。まずは小手調べです。
dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/sankoku8/
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ここで指摘したいのは、「ある用語について、ひとつの定義を、あらゆる時と場合に用いることは難しい」ということです。あることばが、ある定義に反するから使えないと考えると、言語活動がかなり限られてしまうことに注意が必要です。
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辞書編纂についてロングインタビューを受けました。日々、文章や会話の中で、適切な表現が見つからず、そのつど独自の表現を工夫することがありますよね。「昨日(既存)のことばで今日を語れない」というのはそういうことです。▽朝日新聞デジタル&M(アンド・エム) asahi.com/and_M/20200917…
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ことばというのは、本人が使いたいことばは使う、使いたくないことばは使わない、というのが原則です。作家が「誤用」とされることばを使いたいと思えば、誰も止められません。でも、主要駅の名前は、皆が使わざるを得ない。だから、使いたくない人が極力少ない(=多くが支持する)名前が適当です。
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今回、令和元年を迎えるにあたって、NHKはスタジオにゲストを招き、各地から多元生中継を行った。私は面白く眺めましたが、さてこの録画を保存するかどうかは迷うところです。後で世相などを思い返すよすがになる録画は大体残す方針ですが、今回、その価値は。まあ、残しておきましょう。
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「地下鉄」の「鉄」は、昔も略字の看板がありえたのでは、というつぶやきを目にして確かめたら、実例がありますね。たとえば、下は昭和3年の東京地下鉄上野広小路駅入口の写真(「大林組百年史」)。「地下鉄」の例は私のフライングだったと、おわび申し上げます。
obayashi.co.jp/chronicle/100y…
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「むつ市」や「いわき市」ができた時は、相当インパクトがあったろうと思います。その後、ひらがな市名が増え、今や群馬県みどり市、などもさして違和感はありません。類例が増えれば違和感は消えます。高輪ゲートウェイ駅も、山手線に類例ができればいいと思うのです。さもなくば「芝浜」がいいな。
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『三省堂国語辞典』第8版の削除項目について、今後もメディアで紹介される見込みです。たとえば「ペレストロイカ」をなぜ削るかという声も多いですが、端的に言うと、近現代史用語は『大辞林』(大型辞典)や『三省堂現代新国語辞典』(学習辞典)に譲り、『三国』は日常語を重視するということです。
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もっとも、議論の一部を見るかぎり、「国語で古典を教えるな」ではなく、「古典は選択科目だけにせよ」ということのようです。だとすれば、現在すでに選択科目である「古典B」が、文学部などの入試では重視されているので、たとえ制度が変わっても、古典好き受験生に不利益はないという気はします。
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おっしゃるように、「健康回復」「疲労回復」の両様があることは、「名誉挽回」「汚名挽回」の両様があることを説明するために役立つと思います。 twitter.com/Syun_Toki/stat…
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SixTONES「Imitation Rain」は英語の多い歌詞ですが、〈時代(とき)を振り返る〉というルビが拾えました。この歌では〈いつかはたどり着くよ〉と、「たどる」はひらがな書きになっています。直前の2曲と表記が違うわけです。
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12月刊行の『三省堂国語辞典』第8版では、「このことばは誤り」とか、反対に「誤りでない」とかいった表現を極力避けていることに気づかれるでしょう。正誤の基準はもともと曖昧です。それよりも、論理的におかしくないとか、古くから使われているとか、事実を示したほうが有益だと考えるからです。
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ある語や用法、たとえば「その服ヤバい」の「ヤバい」を『三省堂国語辞典』が載せているからといって、「『三国』はこの用法を認めた」とか「認めてない」とかいう話ではまったくありません。現代日本語として、この語・用法が編纂者の目に止まる程度には勢力がある、と示しているにすぎません。
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「貴様」の価値がいつごろ下落したのかについて、疑問を持つコメントが複数あります。江戸時代後期には、すでに罵倒用法が現れていたようです。戦争中は同輩どうしで「貴様と俺とは同期の桜」と歌っていたわけですから、罵倒専用になったのはもっと新しいかもしれません。
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なお、この本の差別性を指摘したのは、親子3人の一家でした。指摘は各出版社に宛てた手紙から始まりました。岩波書店はこれを受け、明確な意識をもって絶版にしました。この限りでは圧力があったとは言えません。ただ、指摘者の活動はその後も続き、すべての活動が妥当だったかは分かりません。
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坂本冬美「ブッダのように私は死んだ」は、どういう状況を歌った歌だろうと思いましたが、〈この世から出て行くわ/魂が悟ったよ〉とあるように、歌の主人公は、文字どおり亡くなった(殺められた?)模様。「骨までしゃぶる」「イカせる」「捨てる」に二重の意味が込められているのでしょう。
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2000年に国語審が「ローマ字では姓→名の順の表記が望ましい」と答申した時、朝日(天声人語)も産経(主張)も賛意を示しました。「天津乙女」「霧立のぼる」は特別としても、姓名は全体でひとつの形だと思うので、私自身もIIMA Hiroakiと表記しています。▽朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASM5P…
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手元の資料では「自粛要請」の古い例がありませんが、雑誌『言語生活』1961年4月号 p.59に〈今、自粛を要請されている「お」の付けすぎ現象〉と出てきます。「おサイダー」のように「お」をつけすぎることは、まあ自分でよく考えて控えてください、ということで、自粛を要請するのも分かります。
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「誤りと考えてもいいし、正しいと考えてもいい」とはいい加減なようですが、ことばの正誤の基準は目に見えず、基準があるとすれば各人の頭の中にあるので、その頭の中で統一が取れていればノープロブレムです。ひとりの人の中で、月日とともに正誤の判断に変更があっても、これまたオーケーです。
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