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国語辞典は「男は○○が当たり前、女は○○が当たり前」という見方を克服するために苦闘してきました。『三省堂国語辞典』初版(1960年)では、男は「人のうちで、力が強く、主として外で働く人」、女は「人のうちで、やさしくて、子供を生みそだてる人」とあります。性役割を固定的に捉えた説明です。
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2017年12月、さるバラエティー番組が「サウスポー」の語源を取り上げました。通説と矛盾する資料を示し、通説に疑問を呈したものの、結論には至らず「由来は分かりません」と説明。私は「強引さがなく、事実を積み重ねる取材で素晴らしい。バラエティーもついに新しい段階に入ったな」と感動しました。
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「令和」のアクセントについては、松浦年男さんの信頼できる考察があります。平板で言うにせよ、「レ」を高く言うにせよ、どちらも根拠があるという結論です。私も納得、賛同いたします。researchmap.jp/jo79b9rew-2937…
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お盆になると「地獄の釜の蓋が開く」。地獄の鬼さえも釜ゆでの蓋を開けて休むというのです。この表現はまた、恐ろしいことが起こる場合などにも使われます。池波正太郎「秋風二人旅」(1972)では、前途を絶望した凶悪人が〈おれたちの目の前には、もう、地獄の釜の蓋が開いているのだ〉と言います。
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『三省堂国語辞典から 消えたことば辞典』の刊行を記念して、私と編著者の見坊行徳さんとで記念対談を行いました。全4回の連載になる予定。見坊さんのお祖父さまにあたる見坊豪紀先生の話に始まり、辞書から消えゆくことばなどについて、とても濃い話をすることができました。dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kietako…
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「管見によれば」は「自分の見聞では」の謙譲語です。これを「トップクラスの人が使う表現」とする説明があるが、自分はトップだと思う人しか使えない謙譲語なんて形容矛盾だ、と昨年の国語辞典ナイトで述べたことがあります。ある程度勉強した人なら誰でも使っていいのです。mainichi-kotoba.jp/blog-20201227
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もっとも、これでは新旧それぞれの用法で意味が正反対になるという問題があります。「Cの次に背が高い人」と言った場合、旧解釈では「Cよりも一段階低いB」を指し、新解釈では「Cよりも一段階高いD」を指し、誤解が生まれます(意味の違いが新旧の違いによるかどうかは分かりません、念のため)。
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「新元号が気に入らなかった場合はどうなるか」とご質問を受けました。駅名もそうですが、私個人の好みでは行動しません。また、元号は閣議決定を受けて天皇陛下が公布されるものなので、反対運動もなじまない。実際はいい元号が決まると思うし、西暦という選択肢もあるので、心配はしていません。
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「コギャル」が『三省堂国語辞典』から消えることに納得がいかないという人、ごもっとも。ただ、『三国』は8万語の範囲で現代語の地図を描こうとしています。「コギャル」は紙幅の問題よりも、現代の地図に旧地名を載せたくないという感じかな。社会風俗語は改訂時に消える傾向はありますね。
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「多忙」「多用」のようなほぼ同等のことばA・Bがあるとき、「私はAが適切と思う」「私はBを使いたい」というのは個人の自由です。ところが、「こう使うのがマナー」「こう使いなさい」と主張するとなると話が別で、昔からの伝統があるなどの根拠が必要です。その根拠が曖昧なのがトンデモマナーです。
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〈本当にこのような意味なのか気になり、調べてみた〉(学生レポート)のような「気になる」の使い方、たしかに手元の例ではここ十数年で増えています。学生の気質の問題というより、こういう語法が勢力を延ばしているということかな。「現代日本語書き言葉均衡コーパス」では2000年以降の例が圧倒的。 twitter.com/gorotaku/statu…
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「明和」「享和」など「○和」の形の元号は、私の場合、ほとんど平板アクセントで発音します。例外は「安和(あんな)」で、女性名の連想から「ア」を高く発音します。「昭和」も、少年の私は平板で発音していました。現在のNHKのアクセント辞典でも、「昭和」のアクセントは平板で載っています。
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五段活用と一段活用のふたつの形がある動詞はさほど珍しくないと書きましたが、そのうち多くは五段と下一段に活用します。「合わせる―合わす」「くらます―くらませる」「澄ます―澄ませる」(前者が優勢)など、辞書にはざっと数十あります。一方、五段と上一段に活用する動詞は比較的少ないです。
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私たちの日常言語は、報道の文章とは大きく異なっています。もっと言えば、私たちは教師や校閲者の口出しを受けずに話す権利があります。その中で、仲間内でよく通じることばが生き残ります。作詞家がそのことばをすくい取って作品にするのも自由です。それらは「間違ったことば」ではないのです。
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「見くびっては困る」という表現を見た人から「見くびってもらっては困る」の誤りではないか、とのご質問。面白いですね。たしかに後者をよく聞きますが、固定した言い方ではなく、また、いったん固定しても、他の言い方が許されないわけではないので、「見くびっては困る」でもいいでしょう。〔続く〕
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「自分も忘れ物をするA(あなた)が、B(私)の遅刻(またはCのドタキャン)を批判できない」「姿勢が首尾一貫していない」という主張も聞きます。一見もっともですが、BやCの行動を議論する際に、Aの行動は関係ない。泥棒も収賄を議論する権利があります。各人の問題を個別に議論すればいいのです。
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高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」の「テーゼ」というのは〈はじめに立てられた命題〉。難しい哲学用語ですが、天使には残酷な運命が待っているものである、ということでしょうかね。私はエヴァンゲリオンに詳しくないので、残念ながら詳しいことは説明できません。
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辞書の「嗜好品」の例から「タバコ」が消えつつあるという話。『三省堂国語辞典』は現在〈酒・タバコ・コーヒー〉を例示していますが、喫煙者はタバコを嗜好するのでなく、タバコにaddict(中毒)しているのだという説明も分かります。『三国』はどう対応すべきか。(続く)news.yahoo.co.jp/byline/ishidam…
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ことばの使い方は、人によって、また時代、地域によって違いがあります。なので、「こう使うのが正しい」と断じる説明のほうがむしろ不正確で、「こう使っても、ああ使っても、まあどっちでもいいっす。ただ、後者は比較的新しいです」という、いい加減っぽい説明のほうが「正確」なこともあるのです。
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先にも述べましたが、私の関心事は、実際にはどのくらい誤解が起こっているかということです。リプライを見ると「アンケートでは数字が表のように捉えられたので「D」と答えたが、会話で聞けば「B」かも」という意見もありました。実際の流れでBと解釈する人が多ければ、誤解は少ないでしょう。