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1988年、児童書『ちびくろ・さんぼ』が黒人差別との指摘があり、版元が相次いで絶版にしました(その後、別の版元から復刊)。当時学生だった私は、幼い頃から親しんだ本書を、差別図書とまでは言えないと考えました。その考えは2010年代半ばまで変わりませんでした。今も絶版の必要はないと思います。
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学問的に「誤用」を扱おうとすれば、たとえば一般人にアンケートを取って「この語は誤用と感じますか、感じませんか」と聞いてみる方法はあります。ただ、誤用と感じる人が多い語はそもそも普及しないので、「識者」が批判するまでもなく消えていきます。ことばは自律飛行に任せるのが望ましいのです。
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米津玄師「Lemon」は(機会がなかったので)聴きたかった曲のひとつです。ラブソングと言っていいのでしょうが、明示されない「言えずに隠してた昏い過去」が気になります。漢字辞典を見れば「暗い」「昏い」などの違いは一応分かりますが、歌詞では別の意味を込めているかもしれませんね。
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「日本語には川上から桃が流れてくるとき専用の擬態語がある」と紹介されたりしますが、当たらずといえども遠からずです。「どんぶらこ」を使うときは、まず「桃太郎」が頭に浮かぶからです。でも、元来〈生田川あつたらものをドンブラコ〉(柳多留)と、水に飛び込む場合などにも使われていたんです。
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ことばの話題で穏当な説明をすると、テレビ番組の担当者は「それでは数字が取れない」と即座に判断すると思います。テレビ番組はバズることが最優先課題。ところが、穏当な説明は、誰もが「そりゃ当然だ」と思うもので、バズる要素がない。かくして、ことばの話題はトンデモ説と隣り合わせになります。
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Official髭男dism「I LOVE...」の〈見えない物を見て笑う君の事を 分かれない僕が居る〉という語法は興味深いです。「分かる」という五段活用動詞を可能形にすると「分かれる」だから、理論上は問題ない。でも、実際には「分かることができる」を「分かれる」と言うのは珍しい例といえるでしょう。
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石川さゆり「津軽海峡・冬景色」は、小説のように場所、時代を克明に描写した歌の白眉ですね。今や青函連絡船の記憶がない人のほうが多数派のはずだけど、歌を聴いていると、その場所と時代が浮かび上がるのには驚嘆します。
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事後報告ですみませんが、けさ(5/24)のNHK「#あさイチ」の夫婦の関係性特集で、配偶者の呼び方についてコメントしました。リモート出演だったので、スタジオとのやりとりが不安でしたが、ウェルカムな雰囲気で助かりました。スタッフの皆さんにも助けられ、とても感謝しています。
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KAT-TUN「Real Face #2」で〈退屈な夜にドロップキックしたつもり〉と出てくる「ドロップキック」は、新しい『三省堂国語辞典』第8版にはありません。でも、たとえばMr.Children「everybody goes」にも〈秩序のない現代にドロップキック〉と出てくるなど、反抗する意味で多く使われている気がします。
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「『十回』の『十』は『ジュッ』でなく『ジッ』と読む、本来の字音『ジフ』の変化だからだ」という主張があります。歴史的にはそうですが、現在の常用漢字表の「十」には「ジッ」の備考欄に「『ジュッ』とも」と記されています。現在一般的な「ジュッ」がお墨付きを得た格好。テストでは両方マルです。
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デマというのは拡散したくなる要素を持っています。一方、デマを否定する情報は多くは常識的で、拡散力ではデマに負けます。元情報の真偽に興味がない人には、なかなか届かないものです。でもせめて、「元情報が真実かどうか知りたい」と思っている人には、確かな判断材料が届くようにしたい。
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明治文学では古すぎるので、戦後文学から「ひとりごちる」の例を拾ってみましょう。▽遠藤周作「沈黙」(1966)〈わざと私に聞えるように一人ごち、〉▽筒井康隆「俗物図鑑」(1972)〈〔……〕と、享介がひとりごちた〉▽中上健次・重力の都(1981)〈運のめぐり合わせだと独りごちた〉〔続く〕
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知人同士の会話で不適切な発言をしたとき、まずは相手の感情に配慮して、嫌な思いをさせたと謝ることはありえます。その場合でも、私がベターだと思うのは「この言い方はあなたの意向を尊重していませんでしたね、すみません」と、快・不快とは関係なく謝ることです。これは好みが分かれるでしょう。
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私は夏目漱石の手紙文を調べました。漱石から見て非常に目上への人への手紙、というのは少ないのですが、少し年上の狩野亨吉には〈右御れいまで 早々拝具〉だけだったり、〈右御礼まで勿々如此に御座候 草々不一〉と長く続けたりしています。「如此に御座候」があると収まりがいいのは確かです。
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「#マツコの知らない世界」の「国語辞典」の回、いろいろな人が見てくださってうれしいです。自分自身の活動を第三者の目で見ると、やはり変わったことをしていますね。それだけに他では味わえない面白さがあります。番組スタッフの方、ご覧くださった方に改めてお礼申し上げます。
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「やぶ医者」のフェイク語源については、ながさわさんの文章が詳しいです。「この差って何ですか?」以外にも、BSジャパン「空から日本を見てみよう+」、NHK「チコちゃんに叱られる!」で放送されたようですね。fngsw.hatenablog.com/entry/2018/05/…
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「がっかり」でなく「残念」はどうかとも問われました。「(相手が風邪で)映画に行けなくて残念」よりも「映画に行けなくてがっかり」のほうが、「せっかく期待したのに、あてが外れて落胆」という感じが強い。相手をいっそうすまない気持ちにさせます。でも、「残念」も言わないほうがいいですね。
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話はそれますが、コーラを飲んだという話をしたら、「男の人ってコーラが好きですね」と言われたことがあります。なぜ男全体の話になるのか、僕が男だからコーラを飲んだわけじゃないよ、と思ったものです。以来、私は「男(女)とは」「○大生とは」「○○国の人とは」をコーラ論法と呼んでいます。
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まふまふ「命に嫌われている。」は生きることにネガティブな歌かと一瞬思うけど、最後に〈生きて生きて生きろ〉とあるので、これは生きろソングですね。〈命に嫌われている〉は「命を嫌っている」と同義でしょう。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」(ニーチェ)ではないけど。
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「歌や踊りの後に拍手をする理由」について専門家の説を紹介しつつ、「諸説あります」と言い添える場面がありました。私はテレビでこれを見るたびに残念に思います。諸説あるなら有力説を放送すべきだし、専門家が名前を出して説明しているなら、「あくまで諸説のひとつ」と軽く扱うのは失礼です。