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また、「役不足」は、その人の能力が高い場合(役目が軽くて不足)に使うのが「正しい」と言われます。「役不足ですが…」と謙遜する場合は、機械的に「力不足」に修正されることが多い。でも、小説で、客が「君では力不足だ、上司を呼べ」と言う例があり、これは過剰に修正していると思いました。
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AKB48の歌唱中に内村光良さんが「指原放牧」という看板を持っていました。意味分からなかったけど、メンバーの指原莉乃さんが卒業することを指したんですね。「いきものがかり」が使った表現を踏まえたもの、というとでいいでしょうか。とすると、「放牧」の新しい意味が一般化するかもしれないわけ。
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批判と誹謗中傷の違いを「人格を尊重するかどうかだ」と述べたら、「人格を持ち出すのはおかしい、『この政治家は××(罵倒語)だ』と事実を言えば人格攻撃になるのか」との意見が。これは「バカをバカと言って何が悪い理論」で、誹謗中傷の抑止力にならない。人格尊重の要素はやはり大事です。〔続く〕
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「完全に正しいことだけを書いてある書物」を想定することは困難です。『広辞苑』を含む国語辞典も例外ではありません。高等教育で教えられる基本のひとつに、「書物には必ず誤りがある」ということがあります。ものごとを考える場合には、複数の文献を比較して判断することが必要になります。
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タレント夫婦で、浮気をされた側が、取材陣に対し「大ごとじゃないよ」とばかり、にこにこ気丈に振る舞うことが「神対応」と言われます。大ごとだと思うからこそマイクを突きつけているはずの取材側が、その「神対応」を褒めて記事にする心理は、いまだにわかりません。
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「『管見によれば』を、本当に見識の狭い人が使ったらシャレにならないよ、もっと勉強してから使いなさい」と言う人もいるでしょう。でも、それを言うと、「拙論」「愚案」「妄言多謝」など、謙譲語はみんな使えなくなります。謙譲語というのは、不勉強な人でも使っていいのです。
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ことばを「誤用」とする客観的な根拠がないのと同じく、実は「正用」とする根拠もありません。客観的には「間違ったことば」も「正しいことば」もないわけです。学問的に正誤に決着はつけられない。誤用と感じる人の割合を調査することはできますが、それによって誤用を認定するわけにもいきません。
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毎日校閲・岩佐さんの論。「違くて」を校閲者として「認めがたい」のは当然で、高い職業意識の表れです。報道に「違くて」とあったら大変。一方、若者同士で「違くて」と言うのは、認めがたいも何も、現実の話しことばです。批判の範囲をそこまで広げるのは無理です。〔続く〕mainichi-kotoba.jp/blog-20200502
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あす11/8午後8時57分からTBS系「#マツコの知らない世界 」で、ネット時代に国語辞典を作る苦労と楽しみを語ります。前半は絶品うなぎ、こだわりのうなぎの話です。こちらの話が弾んだ場合、辞書の話はカットになるかもしれません(それはないか)。どうぞご覧ください。
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仕事などのため、複数の新聞を読む機会が多くなりました。ネットで読めない記事を読み比べると、今さらながら論調の違いがよく分かります。読み比べの必要性は昔から言われるけど、このネット時代、私を含めて常に実践している人は少ないのではないか。比較検討の力を養うためにはお勧めです。〔続く〕
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「お母さん食堂」問題について、鎌田和歌さんが論説記事を書いています。情報が多く勉強になります。最後に私のツイートも引用され、お恥ずかしい限り。ことばに携わる多くの人々の意見を聞きたい気はしますが、たしかに発言しにくい雰囲気はあるかも。▽DIAMOND online diamond.jp/articles/-/259…
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2020年も今日で最後になりました。今年もNHK「紅白歌合戦」を見ながら、興味深いことばがないか、リアルタイムで用例を採集しつつ、ツイッターでご紹介したいと思います。よくも悪くも凝り性な私ですが、番組を楽しむことを第一に、あくまでゆるくことば集めをするつもりです。
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ネットの誹謗中傷の問題について、ハフポストのインタビューに答えました。「批判と誹謗中傷を区別しよう」といった学校のホームルームみたいな答えで恐縮ですが、私なりに考えを整理しました。▽誹謗中傷と批判はどう違う? huffingtonpost.jp/entry/story_jp…
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読書案内。「これっす」「そうっす」の「っす」だけで一冊の敬語論になることに驚嘆しました。このことば遣いを著者は「ス体」と命名。丁寧体や普通体とは別の役割を持つことを論じていきます。▽新敬語「マジヤバイっす」 社会言語学の視点から 中村桃子著 bookbang.jp/review/article…
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ちなみに、当用漢字は今の常用漢字の前身で、制限色が強かった。だから、先生はある意味、当時の漢字表の精神に忠実だったわけです。とはいえ、世間ではいくらでも「お父さん」と書かれていたのは事実。子どもが書いた漢字に赤字を入れる必要は当時もなかったと、現在の私は思います。〔続く〕
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前回の新元号発表時は、NHKでは午後2時に元号関連のニュースが始まり、30分ほどで小渕長官から「平成」の発表がありました。当時TVを見ていた私も、あれよあれよという感じで、緊張の高まる暇もありませんでした。今回はタメにタメての発表なので、妙に緊張しました。街角の騒ぎもすごいようですね。
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大森洋平さんの『考証要集』(文春文庫)によると、江戸後期の『北越雪譜』では、鮭を「頭」と数えた例もあるんですね。岩波文庫で見ると、たしかに〈手も濡{ぬら}さず二三頭{とう}のさけをうる事あり〉(p.134)とあります。もちろん鮭の頭も食べられます。これは日本での例ということになります。
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もはや「定期」ですが、この際、以下もご参照のほどを。
twitter.com/iima_hiroaki/s…
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SixTONESのアンニュイな雰囲気の「マスカラ」。〈馴染みの景色を/喰らえど喰らえど〉と出てくる「食らう」は、平安時代から例のあることばですが、当時から下品な語感があったらしい。「食う」から派生したとすると「ら」がどうして入ったのか不思議。「語る」→「語らう」の変化とは別のようです。
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藤井風「死ぬのがいいわ」で〈死んでも治らな治してみせますbaby〉の「治らな」に反応。「治らない」の「い」が取れたのではなく、「治らないなら」意味でしょうね。「そんなダサいこともうしたない(したくない)のよ」も方言的。藤井さんの出身地の岡山方言?