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映画に誘った相手から「ごめんなさい、かぜで行けなくなった」と言われ、「それはがっかりだ」と言うのはよくない。「がっかり」は期待が外れて失望したときに使い、「映画に行けなくて落胆」という意味になるので、相手をすまない気持ちにさせてしまう。「映画はいいから、よく休んでね」がいいです。
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おしりたんていの「ププッとフムッとかいけつダンス」は、「くさいセリフ」「におい」「スッキリ」「ご解決」「しつれいこかせて」と、軒並みお尻関係のことばになっているのですね。これを和歌用語で「縁語」と言う。古典もこうやって理解すれば簡単です。
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Kis-My-Ft2「Everybody Go」は、これでもかと意識的に口頭語を盛った歌詞。「ヤバイ時代」「超盛って」もそうだし、「上がってGO GO!」も「アガって行こう!」、つまり、気分を高めよう、アゲアゲで行こうということですよね。この用法の「あがる」は、現代語の辞書でも十分説明されてない気がします。
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私の関心事は、この言い方が、実際のコミュニケーション上で、どのくらい誤解を生んでいるか、ということです。数列的な文脈でなく、一般に「花子さんの次に背が高い人は?」と言われたとき、花子さんより若干背の低い人を想起すると思うのですが、もしその逆の人も多いなら、表現に注意が必要ですね。
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乃木坂46の鈴木絢音さんとの「国語辞典対談」が公開されました(前半)。鈴木さんは、つとに知られる国語辞典ファン。じっくりと心置きなくオタク話ができて、とても楽しいひとときでした。先日『小説幻冬』5月号に採録されたのとは別の部分が紹介されています。▽幻冬舎plus gentosha.jp/article/18714/
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ことばの番組で「○割が誤用(文化庁調べ)」と説明することがあります。でも、文化庁(国語に関する世論調査)では「誤用」という表現は使いません。記者発表でも「本来の意味から派生した使われ方も誤りとまでは言えない」と強調しているとのこと。放送では注意すべきです。mainichi-kotoba.jp/blog-20190907
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「あなたの言うことなら信じますよ」と言ってもらえることが時々あります。ありがたいことです。でも、「信じる」とは「根拠は(分から)ないけど、本当だろうと推測する」ということ。私としてはむしろ、誰にも分かる根拠を示し、「あなたの言うことは当然ですね」と言われるよう努めたいです。
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元農水次官が、複雑な経緯の末に息子を刺殺し、先般、懲役6年の実刑判決が下りました。ネットでは当初「量刑が重すぎる」と同情の声が上がった。ところが、弁護人が控訴すると風向きが変わり、今度は批判の声が強まった――そう受け止める人が多いようです。実際はどうなのか、少し調べてみました。
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これもうみんな言ってるのかもしれませんが、朝ドラ「#おかえりモネ」には『広草苑』なる辞書、それに『千言万辞』まで出てくるんですね。『千言万辞』は以前ドラマ「相棒」に出てきた架空の国語辞典ですが、それがなぜここに。辞書関係者を惑乱させるための小ネタでしょうか。
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高輪ゲートウェイ駅、私もどうも違和感がありますが、それは、漢字駅名の中にぽつんとひとつ異質な駅名があるからです。渋谷パルコ駅とか、原宿ラフォーレ駅とか、秋葉原ヨドバシカメラ駅とか、現在の駅名をいろいろ新しくすれば、違和感が消えてよろしいかもしれません。一案としてお示しします。
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上司に対し「了解しました」は「承知です」よりもなお不適切と筆者は主張するのですが、実際は「承知でーす」と言う人はむしろ少なく、「了解しました」のほうが受け入れられているのではないかな。マナーの先生の「了解」に対する目は不当に厳しい。▽プレジデントオンライン president.jp/articles/-/656…
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これは何もことばだけの話ではないのですが、私は仕事柄、ことばについて話すのみです。「自分の隣にいる人のことば遣いが見るのも聞くのも嫌だ」という場合、よく自省してみると、それは単に自分と違うから、ということにすぎない場合も多いのです。
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「私、東京は神田の生まれです」という「は」の用法は独特ですが、指示対象を絞る、つまり「東京の中でも神田の生まれ」と解釈されます。18世紀の洒落本にも「お前がたはお江戸は何処でござります?」と尋ねるせりふが出てくるので、けっこう古いですね。現在演じられる狂言にも同様の表現があります。
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ギョーザ店での実例も示しつつ、漢字の字形には許容範囲があることがよく分かる記事。文字画像の切り貼りも手間がかかっていそうです。ぜひチコちゃんにも読んでほしい。▽ギョーザの漢字は? チコちゃん、それはないよ mainichi-kotoba.jp/blog-20201003 @mainichi_kotobaより
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『広辞苑』の「爆笑」の項目は、旧版〈大勢が大声でどっと笑うこと〉→第7版〈はじけるように大声で笑うこと〉と手入れされました。「大勢が」をやめたのは、ことばの意味が変化したからではありません。本来、笑う人数は何人でもよかったという歴史的事実を踏まえたものと見られます。
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「それが事実じゃないとしても、小さなことだ、誰も困らない」という発想から、フェイクを広める人々がいるのかもしれません。でも、小さな誤りが、どこかで問題を引き起こすかもしれない。そう思うからこそ、これまで私たちは、細かいミスプリでも何でも、すぐ訂正していたのではなかったでしょうか。
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少々記述が混乱してますが、国語辞典に「中年は何歳から」という記述があろうがなかろうが、どのみち番組で女性タレント(と視聴者)へのセクハラは起こったかもしれない。少なくとも確かなのは、「誰々はおじさんか」と、スタジオにいる人もいない人も対象に、辞書を基に年齢差別が行われた事実です。
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個人の場合はともかく、企業や公的機関が謝罪するとき、「誤解を与えたとすればおわびします」と仮定法を使ったり、「ご不快な思いを……」と快・不快の話にしたりするときは、問題を分かってるのか確かめたくなります。「ご迷惑をおかけし」も、けっこう問題をぼかしていることがありますね。
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この場合、客は「君では私の交渉相手として地位が不足している」と言いたいのであり、相手の力量は問題にしていないから、「力不足」は状況に合わない。むしろ「君では役不足」がしっくりきます。「役不足」には「相手の役目が軽くて不足」の意味も生まれています。辞書が見落としているだけです。
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Foorin「パプリカ」で「心遊ばせあなたにとどけ」と歌われる「心を遊ばせる」は、国語辞典も見落としていますが、「空想の世界に心を遊ばせる」のように昔から使われている慣用句です。「心を解き放ち、自由に羽ばたかせる」といったところか。この歌では、心を飛翔させてあなたに届けたいわけですね。
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松任谷由実「卒業写真」では〈悲しいことがあると開く皮の表紙〉とあります。「皮」も「革」も動物のかわですが、今ではなめし皮は「革」が一般的です。「卒業写真」は1975年リリースとのことで、当時の「当用漢字」では「革」は「カク」とだけ読み、「かわ」とは読まなかったんですね。