児玉美月|Mizuki Kodama(@tal0408mi)さんの人気ツイート(リツイート順)

現状、日本で女性の映画監督の方が優れた作品を撮る確率が高いことは、単に「才能がある女性が多くて凄いですね」という話ではなく、それだけ門戸がまだまだ狭く厳しいということを暗に物語っていて、極論を言えば女性の映画監督がメジャーシーンでバンバン駄作出し始めてからがようやく本番だと思う。
タナダユキ監督作『マイ・ブロークン・マリコ』(9/30公開)試写。この世を去ってしまったマリコの遺骨を実家から奪還したシイノが旅に出る。面倒臭いあの女のことをもっと愛してやればよかったと彼女は走り、叫び、涙を流す。これは暴力へ反旗を翻す復讐譚であり完全に女と女のラブストーリーでもある。
日本の新作映画に関する性加害の記事。「映画に罪はない」という言葉が免罪符のように機能し続けてしまう内は変わらない。 (記事中にも「被害者は名前を見ただけでフラッシュバックする」とあるように、監督名を伏せて顔写真が載っているサムネイルも落として投稿します) bunshun.jp/articles/-/525…
GagaOOlala 『#BLBrokenFantasy 』 タイBL産業のドキュメンタリー映画。タイで起きているBLの流行がいかに実社会を変える力を持っているかはもちろんのこと、出演俳優が被る弊害や製作現場における同性愛嫌悪の現状など否定的な側面についても言及されている貴重な映像作品。 gagaoolala.com/en/videos/1707…
「逃走劇は男にレイプされかけたテルマを、ルイーズが銃で守ったことから始まっていく。当時は「テルマがそのような男と踊らなければ、あのような事態にはならなかった」という被害者を非難する社会・文化が存在した」-『テルマ&ルイーズ』脚本家が訴えた「女性と正義」の関係eiga.com/l/O9IXK
先日行った雑誌の座談会の冒頭で参加者の一人が、「「クィア映画」や「ゲイ映画」ではなく「恋愛映画」でいいんじゃないかと前に言ったが、既に存在する人々を透明化しようとする力の強さに危機感を感じ、可視化することへのリスペクトが足りなかったと自分の乱暴な言い方を反省した」と話しはじめた。
『Lost to shame』(2016) 男性の役者がトランス女性役を演じることになり、調査に乗り出す。マイノリティに対する表面的な理解の面は次第に剥がされ、偽善や欺瞞が暴かれていく。厚顔無恥な「芸術」を告発する激昂の韓国映画。トランスジェンダーを描く舞台が典型的悲劇なこともシニックが効いている。
日本の映画界、曖昧さと脆さと儚さの代名詞としての女性同性愛か、過激さとセンセーショナルとエロの代名詞としての女性同性愛ばかりで、その二極化の構造から抜け出した実在を感じられる生身の人間同士のそれをあまりに描けてなさすぎる。
『ファーザーズ』('16) 養子の少年を育てるゲイカップルが産みの母親の登場でどう育てていくべきか葛藤する物語。『チョコレートドーナツ』や『his』と同テーマが、現代タイ社会を舞台に描かれる。片方しか親権を持てないことによる法と感情の微妙な問題や、子の心理描写が真摯。 #1日1本オススメ映画
8/20公開『Summer of 85』 死に取り憑かれた少年が「死体」に恋し、その墓の上で踊るまでのひと夏。"美少年同士の初恋譚"の皮を被りながら、その開巻で「君の物語じゃない」と物語の簒奪者たる観客を挑発してみせる。『君の名前で僕を呼んで』をフランソワ・オゾン流のいやらしさで煮詰めた映画。
ある男性の映画ライターが「自分のジェンダーを気にしたことがあるか」と問われて、「ない」と答えていた。わたしは仕事をしているなかで、ジェンダーの問題がつねに纏わりついて気にせずに済んだことなどこれまで一瞬もなかった。最近「純粋に映画観て書いてたいよね」と人に言われて胸が苦しかった。
「たかがエンタメ」「たかが映画」「たかが娯楽」、何か言うたびにこういった言葉でつねに問題を矮小化されてしまう。冷笑的に軽視できるのは、表現の暴力性に深く傷つけられたこともなく、誤った表象によって生を脅かされる属性でもなく、そうした他者への想像性がない自己を顧みることもないからだ。 twitter.com/hirochi13desu/…
12/4公開『燃ゆる女の肖像』試写。結婚を決められた女の肖像を描くことになった画家の女。映画と絵画が融合した唯一無二の画面でやがて女二人は愛し合う。これは失われたものを男社会から奪還する目論みでもある。視線の映画としても繋がる『キャロル』と並んでレズビアン映画史における記念碑的作品。
女二人の共犯関係、性愛、そしてポルノグラフィの奪還を巧妙に描いたパク・チャヌク『お嬢さん』が6月5日までGYAO!で無料配信中。 gyao.yahoo.co.jp/episode/%E3%81…
📚寄稿📚 『ELLE』にて"レズビアン映画"特集記事の文章と選定を担当しました。今年公開の新作映画から、数々観てきたなかで今言及したい旧作まで選んでいます。ほぼ劇場か配信で鑑賞できる映画ばかりなので、良質な作品探しのガイドにもぜひご一読いただければ嬉しいです。 elle.com/jp/culture/mov…
7月23日に公開になる『親愛なる君へ』は、『his』を観て感動した人にもほんとうに観てほしい。同性パートナー亡き後にその母親と子供と暮らしている主人公の物語で、『君の心に刻んだ名前』に連なる台湾クィア映画の新たな傑作。
男性の学者が男性のマスターベーションと生理をほとんど遊戯的なレトリックにおいて並置することの露悪さは、その並置の害悪さを主張したところで、もっと高尚な文意があるかのような身振りでその主張が単純な議論でしかないと煙に巻かれてしまうところにあると思う。
BL=ファンタジー、「LGBT作品」(?)=リアル、のような単純な図式ではもうまったく捉えきれないと思うし、その作品にリアリティがあることを褒めるためにわざわざ「これはBLではない」なんて言う必要ない。BLを否定形でばかり持ち出して何かを褒めるのはやめてほしい。
こういうの見てしまうと『プロミシング』『69歳』然り直接描写を避ける潮流が一部あるとはいえ、やっぱり『最後の決闘裁判』の場合、性暴行描写を直接描かなければ「アダム・ドライバーのこと美男子とか言ってちょっとは気が合ったんじゃないの?」みたいなこと言い出しかねなかっただろうなと思った。
レズビアン映画『Deux(原題)』こと『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』が、4月8日(金)公開とのことで情報解禁されました。 deux-movie.com twitter.com/tal0408mi/stat…
『私と彼女』(2015) 50代のレズビアンカップルを描くイタリア映画。同性が相手なのが初めてのレズビアンを自認していない側と、オープンにしている側が次第にすれ違ってゆく。若い女性同士がドラマチックに恋に落ちる映画が多いなか、成熟した女性同士のすでに長年過ごした関係性に焦点をあてている。
ついに『窮鼠はチーズの夢を見る』の試写状が届いたけど、回収されてしまうから写真に残して永遠に大切にしよう…。水城せとなの世界が行定監督によってどう化けるかが楽しみで仕方ない。
「レズビアン」という言葉を、「美しい純愛」「秘密の恋」「禁断の関係」などの言葉の裏に隠蔽するべきではない。
LGBT/ゲイ/レズビアンなど何でもいいけど特定のマイノリティの社会集団や属性を表す言葉を、ずっと向き合ってきたわけでも、背負ったことも名乗ったこともない人が、突然善人の顔して「もう必要なくない?」と言ったとしたら、少なくともわたしは憤りを覚える。
『エゴイスト』は厳然と横たわる階層差、愛はエゴイスティックでしかありえないのか、といった難しい問題に果敢に挑んだゲイ映画。宮沢氷魚さんは『his』の経験や思いを明らかに本作に反映させているように感じたし、鈴木亮平さんはクィアコミュニティを第一に大切にしながらこの映画を牽引している。