児玉美月|Mizuki Kodama(@tal0408mi)さんの人気ツイート(リツイート順)

『私の少女』がAmazonプライムビデオで見放題配信がはじまったとのこと。 amazon.co.jp/gp/video/detai… twitter.com/tal0408mi/stat…
これだけ日本で政治家の性的マイノリティに対する許されない発言が跋扈しているなかで、人を救い、癒し、励ますために(も)あるはずの娯楽や芸術が傷つける側に立ってはいけない。世に出て批判が起きたらそのとき無言で訂正すればいい、受け手に責任を転嫁する謝罪をすればいい、ではない。
今日からNetflixで配信が始まった『詩人の恋』は詩人の中年男性が出逢った青年にひそかに懸想する、すべてが詩で彩られた癒しの映画。どこへもいけない者たちに自由の翼を授けるため存する詩の言葉の数々。「詩人は代わりに泣いてあげる人 悲しみを抱えきれない人のために」。 netflix.com/jp/title/80209…
これについて現状わたしは何の迷いもなく、性暴力の含まれる映画に関して公的な宣伝上においては、トリガーアラートを必須にすべきだと考えています。 その性暴力部分がたとえ映画の「ネタバレ」的な要素となって… 続きは質問箱へ #Peing #質問箱 peing.net/ja/qs/11264013…
勝手に「「BL」なんて言葉」を「ガラパゴス」にしないでほしい……。 cinematoday.jp/review/9669
"そうして多くの当事者は「レズビアン」を避け、別の用語使用を余儀なくされてきた。レズビアン活動家は自らを定義する言葉として「レズビアン 」を尊厳を持って使えるようにすべく今も闘っている。批評家は可能な限り「レズビアン」という言葉を使い、この活動に貢献することを仕事の一部とすべきだ"
主人公の相手が女性だったとしたら、「男女のベッドシーン、必要なの?」と書いていたとは到底思えない。
それは俳優に限らずたとえば監督に対しては「政治活動せずに映画だけ撮っていればいい」となり、どの立場にも援用されてゆく。政治を忌避し続けた結果として、今の日本映画界の現状がある。
1.24公開『his』 ゲイカップルの「好きのその先」を描く真摯な映画。今泉力哉監督によるフラットな画調が、マイノリティに対するまなざしとして巧く奏功しているように思う。カミングアウトシーン史上最も粋な返しに周囲の啜り泣きが聞こえた。ただ生きる。このままならない世界で。できるだけ幸せに。
星取りの『あの娘は知らない』の井上評で「同性に告白したことを未だに揶揄される主人公がどうしてその土地に留まっているか分からない 」とあるが、なぜ差別を受ける側がいつも(時間や労力をかけて)「出て行く側」にならなければいけないのか、わたしには分からない。 kinenote.com/main/feature/r…
最近、セクシュアルマイノリティやトランスジェンダーの話をすると「もう"ジェンダーレス"が当たり前だもんね」という返答に遭遇することが多すぎるんだけど、しぶとい「"LGBT"って流行ってるもんね」勢とたたかってもらって、どちらもいなくなってほしい。
7/14公開『CLOSE/クロース』 お互いにただ大好きでずっと一緒にいたいだけとふたりきりの城で特別な親密さを築いていた少年ふたりが、ひとたび外の社会にさらされた瞬間に、付き合っているのかそうじゃないのかと二者択一の尋問を受けてしまう暴力性。「適切な近さ」を求める社会が起こす悲劇を描く。
12/4から映画を学ぶ学生が主催する「ジェンダー・ギャップ映画祭」(@nua_eigasai2021)が開催されます。『はちどり』『RBG 最強の85才』『ハンナ・アーレント』など世界の女性を描く映画が上映予定。これからを担う学生自身が選出した作品群から問題意識が垣間見えてきます。 ☞nichigei-eigasai.com
紋切り型な悲劇で描かれるトランスジェンダー女性を演じるシスヘテロ男性の偽善や欺瞞が次第に暴かれていき、表象を簒奪して脚光を浴びるマジョリティとその影で虐げられるマイノリティが舞台装置を利用して最終的に対面するという大変辛辣な韓国映画『Lost to shame』、日本でも公開してほしかった。
『Disco Inferno』(2015) 白装束に囚われた少女が連れられたゴシック風な館への不吉な侵入によって、ブニュエルへの敬意を表明する地獄と、メフィスト的悪夢の世界が幕を開ける。サイレント時代への懐古主義に現代的な感性を融合させた、アリス・ワディントン『Paradise Hills』の前身とも言える短編。
Netflixで観た『佐藤家の朝食、鈴木家の夕食』が良かった。「同性カップルも子供をもち家族が欲しい」、ではその子供の気持ちは?という難しいテーマを、レズビアンカップルの子供とゲイカップルの子供の交流を通しながら、二時間の限られた時間で丁寧に描写を積み上げていくところに誠実さを感じた。
7/15公開『戦争と女の顔』 「戦争は女の顔をしていない」を原案としたロシアの戦争映画であり、トラウマを巡って結ばれうる元兵士の女ふたりによるクィア映画。女の顔に戦争の惨さが刻印され、血と生の物語が赤と緑のミザンセーヌに仮託された絵画のような照明と色彩は『燃ゆる女の肖像』も想わせる。
『あのこは貴族』と『君は永遠にそいつらより若い』が去年のTIFFで同時にスクリーンにかかっていたのは、女と女の関係性にはこんなにも豊かなバリエーションがあるのだということを示していて良かった。どちらの映画も、男性との恋愛を終着点にしてそこに向かっていったりはしない。
本日発売のキネ旬最新号にて、評者より「前号の『最後の決闘裁判』評で、性被害への配慮を欠いた表現を取ってしまったことを深くお詫びします」と謝罪が掲載されています。批判のみが大きく広がるのでなく、その後の評者の言葉まで聞き入れられてほしいと思うので、続報としてこちらの投稿に記します。
本来なら現実に存在している人がそのまま表象に反映される状態が正しく「自然」で、支配的なイデオロギーのためにある特定の人たちが表象から排除されている状態が「不自然」であるはずで、後者に働く力に対して「そこまでやる」と批判しなければいけないのに、寧ろ前者を特異な状態だと認識している。
何度も同じこと言うけど、映画において登場人物の非規範的なセクシュアリティ自体やそれに関わる部分を「ネタバレ」とすることについては、もっとセンシティヴに考えるべきだと思う。その「ネタバレ」=「驚き」や「快楽」は、異性愛主義社会を前提として成り立っているギミックにほかならないから。
しかもその後に聞こえてきたのが「子供たちが混乱する」……こんな強制異性愛社会で日々ヘテロシャワー浴びせられつづける方がよほど混乱するから……
すでに他にも指摘してくださっている人が出てきたので明言しますが、この投稿の該当の批評は下記に掲載されたものです。プロの評論家によって書かれてることに、より深刻さを感じました。できれば批評に反論はしたくないですが、女性蔑視的とも言えると思います。 twitter.com/tal0408mi/stat…
『燃ゆる女の肖像』がアマゾンプライムビデオとNetflixにて、本日より見放題配信が開始になりました。 amazon.co.jp/gp/video/detai… netflix.com/jp/title/81031… twitter.com/tal0408mi/stat…
「フェミニズム的なテーマを前面に押し出していないから素晴らしい」というような論調は問題が根深く、「フェミニズム的なテーマを前面に押し出していて素晴らしい」とも言っていかなければいけないと思う。前者は作家に対してフェミニズムを描くには「配慮」が必要だと抑圧することにもなりかねない。