児玉美月|Mizuki Kodama(@tal0408mi)さんの人気ツイート(新しい順)

クィアな要素を伏せおいて映画の終盤で明らかにすることで観客に驚きを与え、揺さぶりをかけてなんらかの気づきや契機を与えるような構造が有効なのは多くの場合マジョリティの観客に対してであって、ではそこに偶然出くわしたクィア当事者の観客のことは、一体どう考えているのだろう。
送り手が「この映画のクィアネスには触れないでほしい」とし、作り手が「クィアの話ではない」という日本映画『怪物』が、国際映画祭の場で「クィア」と冠された賞を受賞するのはあまりにも皮肉だとおもう。彼らにとって「不名誉」であるはずのこの看板を、どう掲げていくのだろう。 twitter.com/tal0408mi/stat…
『私の少女』から8年ぶりのチョン・ジュリ監督の新作『あしたの少女』、8月25日に劇場公開が決定しました。フィルメックスで観てからずっと、日本公開を熱望していた映画です。私はプレスシートに文章を寄せました。どうか多くの人に届きますように。 twitter.com/tal0408mi/stat…
日本の新作映画の試写を観終わって資料をみたら、同性愛(的表象)が描かれる後半部分を指して「ネタバレなので触れないでほしい」といったことが書いてあってまさにこれだった。映画の巧拙とは関係なくこうした作品の在り方、広報の在り方はもう今の時代にはそぐわないのではないかとずっと考えている。 twitter.com/tal0408mi/stat…
7/14公開『CLOSE/クロース』 お互いにただ大好きでずっと一緒にいたいだけとふたりきりの城で特別な親密さを築いていた少年ふたりが、ひとたび外の社会にさらされた瞬間に、付き合っているのかそうじゃないのかと二者択一の尋問を受けてしまう暴力性。「適切な近さ」を求める社会が起こす悲劇を描く。
▼GYAO!で無料配信中オススメクィア映画 キャロル ジョン・F・ドノヴァンの死と生 よこがお レイニーのままで エマ、愛の罠 無伴奏 リトル・ガール 愛の鎖 ふたりのJ・Tリロイ ラフィキ モーリス ボルベール ミスエデューケション ネオン・デーモン テルマ 御法度 卍 etc. gyao.yahoo.co.jp
これだけ日本で政治家の性的マイノリティに対する許されない発言が跋扈しているなかで、人を救い、癒し、励ますために(も)あるはずの娯楽や芸術が傷つける側に立ってはいけない。世に出て批判が起きたらそのとき無言で訂正すればいい、受け手に責任を転嫁する謝罪をすればいい、ではない。
映画『エゴイスト』には、松岡宗嗣さんが約半年前から宣伝監修として入っていた。宣伝担当の方からも勉強会の内容や取材立会いの上その原稿のチェックを挟んだりなどご尽力なさっているのを聞いていたが、こうして性的マイノリティを扱う映画の広報活動に有識者を入れるのがもっと当たり前になるべき。
2/23公開『逆転のトライアングル』試写。序盤の男女カップルの場面から秀逸。女性専用車両に対して「男性差別」だと言いだすような普段から構造的性差別に切に目を向けてなどいない人間が途端に「男女平等」を盾に利己的な主張をはじめる狡猾さと滑稽さを、こんなに巧みな風刺劇に落とし込めるのかと。
3/3公開『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』試写 確定申告からはじまり確定申告におわる、マルチバースでのひとりの女性の戦い。クィアの受容と可能性を奇想天外な物語に織り込んだクィア映画としても気高い。まさにいま・ここではない世界に、わたしたちを連れて行ってくれる。
NHKのドラマ『作りたい女と食べたい女』(つくたべ)の制作の舞台裏トークの聞き手を務めました。みなさんにとても誠実にお話しいただきました。ぜひお読みください。 #つくたべドラマ nhk.jp/p/tsukutabe/ts…
気になっているひとのためにこっそり書くと、来月公開の松本穂香×玉城ティナ主演映画『恋のいばら』は「百合」か「百合」じゃないかといったら「百合」です。
それは俳優に限らずたとえば監督に対しては「政治活動せずに映画だけ撮っていればいい」となり、どの立場にも援用されてゆく。政治を忌避し続けた結果として、今の日本映画界の現状がある。
東京国際映画祭の「ウーマン・イン・モーション」で、是枝裕和監督が「仏の現場では週末にデモに行って月曜にその話をするのも当たり前で、俳優は自分が社会的存在であると自覚している。"俳優だから政治活動せずに芝居だけしていればいい"と言われてしまうところのある日本は遅れている」と。
この社会全体が「性自認」を重んじていないのにもかかわらず、ジェンダーバランスの問題を遡上に上げる際にこうした持ち出し方をするのは、ジェンダー平等を唱える声を封じる効果の方が強く働いてしまい、有意義だと思えない。この意味で「価値観のアップデート」を追求すべき局面は他に幾らでもある。 twitter.com/test_test_hoge…
YEBISU GAEDEN CINEMAが11/8 (火)の再オープンに伴い、『グザヴィエ・ドラン SPECIAL COLLECTION』を上映する。『わたしはロランス』や『マティアス&マキシム』など。ぜひこの機会に、ドランの映画とスクリーンで出会ってほしい。入場者プレゼントのポストカードも素敵。 unitedcinemas.jp/ygc/informatio…
安川監督が『よだか』を撮るまで長年どれだけ苦労したかを聞いた帰り道に、女性の映画作家だけを集めた過去のプロジェクトにおいて今映画を撮れてる作家が何人いるか話した帰り道に、男性中心主義の日本映画界にいる「女性監督」に対する「仕事があることは誇れることではない」という言葉はあまりにも
星取りの『あの娘は知らない』の井上評で「同性に告白したことを未だに揶揄される主人公がどうしてその土地に留まっているか分からない 」とあるが、なぜ差別を受ける側がいつも(時間や労力をかけて)「出て行く側」にならなければいけないのか、わたしには分からない。 kinenote.com/main/feature/r…
性的マイノリティを描く映画が企画段階からその後の広報まで有識者を必ず含むであるとか、コミュニティファーストであるとか、そういった当たり前のことを日本映画界はこれまで怠りすぎ。
『エゴイスト』は厳然と横たわる階層差、愛はエゴイスティックでしかありえないのか、といった難しい問題に果敢に挑んだゲイ映画。宮沢氷魚さんは『his』の経験や思いを明らかに本作に反映させているように感じたし、鈴木亮平さんはクィアコミュニティを第一に大切にしながらこの映画を牽引している。
12/16公開『そばかす』 Aセクシュアル/Aロマンティックをひとつの主題に持つ映画。三浦透子演ずる主人公がゲイの同僚や同性の友達など様々な人と関わりながら人生を模索してゆく。劇中「シンデレラ」を現代的に語り直す挿話に象徴されるように、男女が出逢うと恋が始まる物語の定石が打ち壊される。
ジェンダーバランスの議論の際に「制度で牽引すべき」というと、「実力/能力で選ばなければいけない」とあたかも平等であったものが不平等なものに変わるかのように口々に言い始めるが、そもそも正当に「実力/能力」で選んできた磁場など、過去にただの一度も発生していない。
『燃ゆる女の肖像』がアマゾンプライムビデオとNetflixにて、本日より見放題配信が開始になりました。 amazon.co.jp/gp/video/detai… netflix.com/jp/title/81031… twitter.com/tal0408mi/stat…
サイトにも情報が出ましたが9月27日に発売される『ユリイカ』2022年10月号は、なんとセリーヌ・シアマの特集号です。私も寄稿する予定です。 ── "クィア映画の俊英はいまなにを見つめるか——セリーヌ・シアマのまなざしを追う" seidosha.co.jp/book/index.php…
「フェミニズム的なテーマを巧妙に潜ませている」のようなあるある称賛にしたって、前面に押し出さないようにしたり潜ませたりするその巧妙さが一体どんな層を想定した上で培われなければいけないものだったのか、フェミニズムを一体なんだと思っているのか、それによってどんな構造を温存させるのか。