児玉美月|Mizuki Kodama(@tal0408mi)さんの人気ツイート(いいね順)

テーマがレズビアンの母親で監督が女性の映画作品に、資金調達が円滑になるはずだからと製作総指揮を買って出てくれて、監督にした助言が「自分の感情は自分で処理すること」のたった一言だけだったホウ・シャオシェンに、最高に痺れた。──『日常対話』の製作背景 smalltalktw.jp
トランスジェンダーのローラが母を亡くして対立している父と旅に出る『海に向かうローラ』(2019)。ローラと理解に苦しむ父の対話は、そのままローラと観客との対話にもなってゆく。主演は実際のトランスの俳優。EUフィルムデーズで本日まで無料配信しています。観てください。 eufilmdays.jp/lineup/entry-1…
安川監督が『よだか』を撮るまで長年どれだけ苦労したかを聞いた帰り道に、女性の映画作家だけを集めた過去のプロジェクトにおいて今映画を撮れてる作家が何人いるか話した帰り道に、男性中心主義の日本映画界にいる「女性監督」に対する「仕事があることは誇れることではない」という言葉はあまりにも
『プロミシング・ヤング・ウーマン』が、本日よりAmazonプライムビデオにて見放題配信が開始。 amazon.co.jp/gp/video/detai… twitter.com/tal0408mi/stat…
女性を描く映画が増えたからといって、それは必ずしも映画の領域における女性の人権が向上したことを意味しない。画面上/表面上のリプレゼンテーションが単に増えるだけでは、内部のこうした負担や皺寄せを結局は女性が被らなければならなくなる。
2/26公開『チェチェンへようこそーゲイの粛清ー』チェチェンで横行する性的マイノリティへの弾圧を追ったドキュメンタリー。匿名を担保しつつ彼らの人間性を損なわないよう施されているダブルフェイス技術。それは存在を消され、声を奪われてきたマイノリティの歴史に加担しない意思の表れでもあった。
2021年でさえそんな日本映画が何本も公開されてしまう。これまでそういった種の「ネタバレ」を供給してきた作り手、享受してきた受け手は、一度立ち止まって考えてみてほしい。そんな「ネタバレ」が成立していること自体がおかしいこと。
1/15公開『恋する遊園地』 遊園地のアトラクションに恋した主人公を描く非人間と人間の恋の物語。異性愛規範に嵌まることのできなかった「変わった女」にも居場所を与えるような、あたたかい受容の映画だった。それが『燃ゆる女の肖像』のノエミ・メルランであることを踏まえると、より説得力を増す。
「ウォシャウスキー姉妹はSFやサイバーパンク、ディストピアといったジャンルを通じて、トランスの経験による美学に基づく新たな映画の枠組みを構築しました。今こそ最も成功したトランスの映画監督として大衆文化におけるウォシャウスキー姉妹の功績を分析するべき時」 note.com/k18/n/nefb61ce…
結構前だけど、『燃ゆる女の肖像』関連で特に印象に残っていた記事。
9/4公開『ミス・マルクス』 カール・マルクスの娘であるエリノア・マルクスの伝記作品。労働者や女性の権利問題に奔走したエリノアの生涯を描くオーセンティックな時代劇の映像に、現代的なパンクロックの音楽が重ねられる。『ペトルーニャに祝福を』や『5月の花嫁学校』にも繋がるフェミニスト映画。
日々映画について言ったり書いたりする際、「レズビアン/映画」という言葉を意識的に使うのは、あまりにそれらが「隠されている」ようにしか思えなく、物語のなかに自分を探している人、その物語を求めている人、本当に必要としている人々の元へ、どうも届いている気がしないからだったりする。
10/15公開『最後の決闘裁判』試写 一人の女が告発した性暴行事件を巡る物語を借用しながら、「真実」のスペクタクル化が描かれていく。唯一の掌握者であったはずの女の元から離れた「真実」は、男たちの闘いへ委ねられ、大衆の見せ物へ。良い意味でのプロットの不安定さが作品の重層性を担保している。
公開日が9月17日(金)に決定したとのことです。 kimiwaka.com twitter.com/tal0408mi/stat…
深田晃司監督が参加している表現の現場調査団による報告が出ました。映画の領域に関しては「審査員については男性80%、女性20%と男性が多勢を占め、男性主観による評価が積年常態化している状況が明らかになった。受賞者の統計を見ると、男性85%、女性15%とさらに差は開く」 tokyoartbeat.com/articles/-/hyo…
「いない」のではなく「いないことにされている」ことを是正するために、レズビアンの映画として伝えられてこなかった映画を「これはレズビアンの映画ですよ」と何度もずっと語りなおしてきたことを、きっとこれまで見てきてくださった方はそのあたりの想い含め気付いてくれているだろうと思う。
NHKのドラマ『作りたい女と食べたい女』(つくたべ)の制作の舞台裏トークの聞き手を務めました。みなさんにとても誠実にお話しいただきました。ぜひお読みください。 #つくたべドラマ nhk.jp/p/tsukutabe/ts…
YEBISU GAEDEN CINEMAが11/8 (火)の再オープンに伴い、『グザヴィエ・ドラン SPECIAL COLLECTION』を上映する。『わたしはロランス』や『マティアス&マキシム』など。ぜひこの機会に、ドランの映画とスクリーンで出会ってほしい。入場者プレゼントのポストカードも素敵。 unitedcinemas.jp/ygc/informatio…
10/15公開『最後の決闘裁判』は、脚本家の一人が『ある女流作家の罪と罰』のニコール・ホロフセナー。劇中では長めの性暴力シーンが繰り返されるけど、『セックス・エデュケーション』などのインティマシー・コーディネイターであるイータ・オブライエンが入っているみたい。 20thcenturystudios.jp/movie/kettosai…
映画業界において、あらゆる形でこうして日本の性暴力に対する認識の甘さが顕在化する。この件も、『最後の決闘裁判』で複数の評論家や映画監督から性被害を軽視するような問題の所在を理解していない評が出てしまったことと地続きではないと言えないと思う。
「いったい何者だったのでしょうか」ではなく「何者だったのか」を興行側は説明する義務があると思う。私は八月にキネ旬で、韓国映画史の記事で彼の名を挙げなかった某雑誌と、訃報の際の日本における追悼を批判する文章を書いた。彼の名と彼の犯したことは併記すべきでは。 ttcg.jp/human_yurakuch…
本作を監督したAam監督によれば、タイのBL産業自体は、製作陣に未だ同性愛嫌悪な人も多く、時代遅れだと感じるときがあると言う。カメラマンでさえ、男性二人のキスシーンが終わった後に吐くような身振りをしたりすると。
少なくともいち映画観客としていつも通っているヒューマントラストシネマに何も知らずに行って、でかでかとキム・ギドクのポスターが垂れ下がっているのを見たら、傷つき、様々な記憶がフラッシュバックするのは想像に容易い。せめて性被害の当事者が潜在的にかなり多いということは知っていてほしい。
性暴力の一連の描写について私自身けっこう不安をおぼえたこともあって、さらにここに補足しておくと、資料には「製作陣は性犯罪の被害者と連携するいくつかの組織からも助言を受けた」とある。人によっては十分トリガーになりえるでしょうから、注意したほうがいいかも。 twitter.com/tal0408mi/stat…
併せてウェブ版では、編集部の「筆者の意向を踏まえ、内容を一部訂正しました」の註釈のもと、表記が「お姫さま」→「マルグリット」、「旦那様」→「夫」に変更され、「普通隠さないかな」の文言は削除されています。 kinenote.com/main/feature/r…