児玉美月|Mizuki Kodama(@tal0408mi)さんの人気ツイート(いいね順)

『燃ゆる女の肖像』がアマゾンプライムビデオとNetflixにて、本日より見放題配信が開始になりました。 amazon.co.jp/gp/video/detai… netflix.com/jp/title/81031… twitter.com/tal0408mi/stat…
日本の映画会社は特にジェンダーや性的マイノリティに関する映画を扱う場合、きちんと最初から監修を入れるなどしてPR段階含め問題が起こらないようにしてほしい。何かあるたび声をあげてくれている人達の労力は無償ではないし、一度世に出て差別や偏見が助長されれば謝罪して済む問題でもないと思う。
しかもその後に聞こえてきたのが「子供たちが混乱する」……こんな強制異性愛社会で日々ヘテロシャワー浴びせられつづける方がよほど混乱するから……
BLについては堀あきこ・守如子『BLの教科書』、ジェームズ・ウェルカー『BLが開く扉』、溝口彰子『BL進化論 』といった素晴らしい先行研究の数々がある。メディアで取り上げるのなら、BLなど専門知識がなくても大丈夫だろうと思わず、「勝手なイメージ」で話し出してしまう前に一通り学んで欲しい。
それは俳優に限らずたとえば監督に対しては「政治活動せずに映画だけ撮っていればいい」となり、どの立場にも援用されてゆく。政治を忌避し続けた結果として、今の日本映画界の現状がある。
サイトにも情報が出ましたが9月27日に発売される『ユリイカ』2022年10月号は、なんとセリーヌ・シアマの特集号です。私も寄稿する予定です。 ── "クィア映画の俊英はいまなにを見つめるか——セリーヌ・シアマのまなざしを追う" seidosha.co.jp/book/index.php…
女二人の共犯関係、性愛、そしてポルノグラフィの奪還を巧妙に描いたパク・チャヌク『お嬢さん』が6月5日までGYAO!で無料配信中。 gyao.yahoo.co.jp/episode/%E3%81…
「結婚しなければいけないなんてプレッシャーを感じる必要ない」「女性は結婚しなくても一人で幸せに生きていける」みたいなメッセージ、2020年を超えて今この日本社会で生きる女性たちにそんなに強く響くものなのかどうか、わたしにはわからなかった。
女性の問題を描く映画であるにもかかわらず、書くのも撮るのも決裁を握るのも全て男性で、女性側が男性側に説明し理解を促すコストをかけなければならない不均衡な製作状況が見聞きしている限りでもあまりに多い。それなら何故はなから男性のポジションに女性がつけないのか。news.yahoo.co.jp/articles/9a85e…
日付変わって本日9月11日からいよいよ『窮鼠はチーズの夢を見る』が公開となります。私もまた、長い間この日を待っていた一人です。映画芸術とリアルサウンドに寄稿した文章も、ぜひ観賞後にもう一度お読みいただけたら嬉しいです。 realsound.jp/movie/2020/08/…
9/18公開『Daughters ドーターズ』 中目黒で一緒に暮らす女二人。父親のいない子供が生まれてくるその日に向かって時間が進んでゆくなか、もう二度と戻ってこない二人だけの日々に記憶が巻き戻る。三吉彩花が「新米パパのため」と書かれた本を袋から出して見せた瞬間に心が踊った、今時な女女物語。
大阪アジアン映画祭で上映される香港映画の『はじめて好きになった人』、女性同士の親密な関係を描いた作品らしく観たい。 oaff.jp/2022/ja/progra…
本来なら現実に存在している人がそのまま表象に反映される状態が正しく「自然」で、支配的なイデオロギーのためにある特定の人たちが表象から排除されている状態が「不自然」であるはずで、後者に働く力に対して「そこまでやる」と批判しなければいけないのに、寧ろ前者を特異な状態だと認識している。
📚寄稿📚 9月11(金)公開の行定勲監督『窮鼠はチーズの夢を見る』評が、リアルサウンドに掲載されました。 人生でもっとも大切な漫画原作の映画化作品ということもあり、より心を込めて書きました。 realsound.jp/movie/2020/08/… #好きで苦しくて幸せ #大倉忠義 #成田凌 #水城せとな 🐭🧀
クィアな要素を伏せおいて映画の終盤で明らかにすることで観客に驚きを与え、揺さぶりをかけてなんらかの気づきや契機を与えるような構造が有効なのは多くの場合マジョリティの観客に対してであって、ではそこに偶然出くわしたクィア当事者の観客のことは、一体どう考えているのだろう。
「レズビアン映画」と形容すると、決まって「作品の可能性を狭めている」「レッテル貼りをしている」というような言明が湧く。そのとき見落とされているのは、異性愛的な表象が支配的なこの異性愛規範社会において、どれだけ非異性愛的な表象に数の格差と可視性の不均衡があるのかという実態だと思う。
『窮鼠はチーズの夢を見る』の公開された予告編、ドライブで行った海のシーンも今ヶ瀬がコクトーの『オルフェ』を流してるシーンも屋上で戯れ合うシーンも、好きなシーンが満載。でも、映画的な空間へのこだわりを感じることもあってやっぱり二人が部屋にいる時間が一番好きだ。一生観ていたい。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、これまで娯楽化されてきた女の性に反旗を翻す聡明で痛快な復讐譚だったけど、わたしは女性同士の連なりや絆の象徴をラヴァーン・コックスに託すかのようなところに感動した。フェンネル監督がコックスに対して本当に敬意を抱いているのが伝わってくる。
映画館での鑑賞は暗がりのなかで自由を奪われ、映像を観る行為に拘束されることであって、とても健全な精神状態でなければ耐えられない。それでも映画を観たい/観なければならないときもある。映画館の重要性を唱え続けると同時に、多様な鑑賞方法による映画の受容が価値の優劣なく認められてほしい。
トラン・アン・ユンの『ノルウェイの森』に出演した菊池凛子に「映画の中で泣く時と実際の人生で泣く時、映画の中で泣く時の方が、本当のように感じる。そんな私って怪物?」と問いかけられた監督は、「君と僕はアーティストだ。表現者にとって演じることは、生きることよりも本物なんだよ」と答えた。
ジェンダーバランスの議論の際に「制度で牽引すべき」というと、「実力/能力で選ばなければいけない」とあたかも平等であったものが不平等なものに変わるかのように口々に言い始めるが、そもそも正当に「実力/能力」で選んできた磁場など、過去にただの一度も発生していない。
「クィア映画」は単に「同性愛映画」の別名ではない。……から説明し始めようと思ったが、「誰かを愛することに性別は関係ない」から「そういう映画ですとカテゴライズする派に嫌悪感」とまで言う層に何を言っても伝わらない気がしてしまってやめた。カテゴライズを「理解あります!なふり」って……
こういった文脈におけ「「LGBTQ」という言葉が不要」もひとつの常套句としてあるけど、どれだけ「LGBT」という言葉の成り立ちや歴史性を踏まえられているのか、その名の下に連帯してきた当事者の人々のことをどれだけ鑑みているのか等々、いつも疑問が頭を擡げる。 eiga.com/extra/ikemen/2…
日本の新作映画の試写を観終わって資料をみたら、同性愛(的表象)が描かれる後半部分を指して「ネタバレなので触れないでほしい」といったことが書いてあってまさにこれだった。映画の巧拙とは関係なくこうした作品の在り方、広報の在り方はもう今の時代にはそぐわないのではないかとずっと考えている。 twitter.com/tal0408mi/stat…