児玉美月|Mizuki Kodama(@tal0408mi)さんの人気ツイート(いいね順)

私が最近Twitterで行った批判から、その批判を受け止めてくださった映画監督と対談してきました。近いうち記事として出ます。映画監督と批判する評論家という陥りやすい対立構図を切り崩し、「批判」によって分断されずにむしろそこから対話し、連帯しえる共闘可能性を示せるような気がしています。
フェミニズム映画を批評する場で男性たちが皆低評価のなか私だけが高評価だと、私の属性が女性だから擁護してるだけとか贔屓目で観てるとかプロパガンダとか思われてしまうんだろうなとか色々考えてしまって、頭ではわかってても目の当たりにしてしまうと、やっぱりちょっとつらくなったりした。
8/19公開『セイント・フランシス』 34歳の女性がレズビアンカップルのナニーとして働くひと夏が描かれる。中絶手術後の子宮マッサージ、卵子凍結、月経カップ…映画でこれまで言及されてこなかった身体にまつわる言葉が飛び交う。主演も務めたケリー・オサリヴァンの繊細で軽やかな脚本が素晴らしい。
勝手に「「BL」なんて言葉」を「ガラパゴス」にしないでほしい……。 cinematoday.jp/review/9669
#GagaOOlala 『Perfect One-night Stand』(2019) レズビアンの主人公が21歳の誕生日を迎える前に初体験を済ませようと、マッチングアプリで出逢いを求める韓国の短編映画。「長髪だけどブッチ」とか次々と出てくる人物に表示されるプロフィールも面白いし、十分長編に引き伸ばせそうなポテンシャル。
こういうの見てしまうと『プロミシング』『69歳』然り直接描写を避ける潮流が一部あるとはいえ、やっぱり『最後の決闘裁判』の場合、性暴行描写を直接描かなければ「アダム・ドライバーのこと美男子とか言ってちょっとは気が合ったんじゃないの?」みたいなこと言い出しかねなかっただろうなと思った。
それは大阪の訴訟や『バズ・ライトイヤー』の上映禁止など昨今の性的マイノリティを巡る諸問題に根差したものだったらしいが、考えが変わったこと、少し前の自分が言っていたことを自分自身が否定すること、そしてそれを臆せず表明する瞬間に立ち会えたことに対して心のなかでそっと深い感銘を受けた。
女性の映画作家によるレズビアン映画ということで劇場公開になるか気になっていた『The World to Come』が、『ワールド・トゥ・カム 彼女たちの夜明け』の邦題で配信スルー決定していたことを今知った。とりあえず楽しみ。 sonypictures.jp/he/11094748
メディアにおける性的マイノリティに関わる映画批評・宣伝で「〇〇の枠にとどまらない」「〇〇を超えた」「普遍的な〇〇」などの定型文を無批判に援用し続けるのが常態化してしまっているのはけっこう問題だと思う。
25日から映画祭で配信のユダヤ人とドイツ人の女性同士のカップルを描く『国境を越えてキスをして!』、ローゼンブラットの過去のレズビアン映画『赤い子牛』は宗教的な抑圧の厳しい作品だったけど今回はスチールみる限り難しい問題を扱いつつもポジティブな作品そうで楽しみ。 skipcity-dcf.jp/films/intl04.h…
5/28公開『5月の花嫁学校』 1960年代のフランスの家政学校を舞台に、女たちが革命の足音とともに目覚めていく。ジュリエット・ビノシュが初めてパンツスタイルを纏う瞬間は感動的ですらあり、レズビアンの女の子たちはまだ見たことのない海を一緒に見ようと誓い合う。先人への敬意が結晶化した終幕。
今日から配信の『さよなら、私のロンリー』は、(届くべき人のために届くようにあえてこの言葉を選ぶと)レズビアン映画。窃みを働いて生計を立てる一家で生きていたヒロインが、一家に仲間入りする自分とはかけ離れた女性の存在によって人生を切り開いていく物語が描かれる。 amazon.co.jp/gp/video/detai…
2/23公開『逆転のトライアングル』試写。序盤の男女カップルの場面から秀逸。女性専用車両に対して「男性差別」だと言いだすような普段から構造的性差別に切に目を向けてなどいない人間が途端に「男女平等」を盾に利己的な主張をはじめる狡猾さと滑稽さを、こんなに巧みな風刺劇に落とし込めるのかと。
これについて現状わたしは何の迷いもなく、性暴力の含まれる映画に関して公的な宣伝上においては、トリガーアラートを必須にすべきだと考えています。 その性暴力部分がたとえ映画の「ネタバレ」的な要素となって… 続きは質問箱へ #Peing #質問箱 peing.net/ja/qs/11264013…
考えてるときに「考えすぎだよ」と思考を止めるような言葉を言われるの本当に苦手だ。考えて考えて考えなければ、言葉は暴力的になっていく一方だから。
7/1公開『スーパーノヴァ』 コリン・ファースとスタンリー・トゥッチ演じる長年連れ添ったゲイカップルが旅の道すがら老いと病に向き合う。静けさの中に時間の堆積と深い愛情が刻印されてるよう。繊細な編集は『ゴッズ・オウン・カントリー』『アンモナイトの目覚め』のクリス・ワイアットによるもの。
私が一人で在るということの孤独を語ると、「たとえパートナーがいたとしても結婚していたとしても子供がいたとしても人は孤独だよ」というようなことを時折言われるが、正直なところ、「孤独の質がまったく異なるので、その孤独についてはいま被せてきてこないでください」としか思わない。
「性別は関係ない」とか「普遍的な愛」とか散々言ったのと同じ口で、「たかがピアス一つ」で「女性的」とか「男女の愛に見える」とか言ってしまうの、二枚舌にもほどがある。これまでどれだけ重要な事柄がそこにあったとしても、それらを捨象して、無化してきたというのに。
少なくともそこを着地点にして話を終えるべきではないだろうと思った。「作品に罪はない」に加えて「清廉潔白」もそれが含まれる語りには慎重になってしまう。
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主人公の相手が女性だったとしたら、「男女のベッドシーン、必要なの?」と書いていたとは到底思えない。
「普通の批評家は「大島はこの映画でこういうことを表現したかった」ということしか見ないわけですけれども、もしある日「この映画で大島はこういうことを隠したかったんだ」ということを言う批評家が出てきたら素晴らしいと思っています」という大島渚監督の言葉、とても好き。
"そうして多くの当事者は「レズビアン」を避け、別の用語使用を余儀なくされてきた。レズビアン活動家は自らを定義する言葉として「レズビアン 」を尊厳を持って使えるようにすべく今も闘っている。批評家は可能な限り「レズビアン」という言葉を使い、この活動に貢献することを仕事の一部とすべきだ"
女女の愛を「性別を超える/超えない」に還元してしまうのも、これに少し似ている気がする。どこにもないものだったり、なにかを超えているものだったり、自分たちの既知の世界から完全に切り離されたものとしてただ眺めるのは、さぞ甘美な体験なのだろうと思う。