若松 英輔(@yomutokaku)さんの人気ツイート(リツイート順)

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自分たちはがんばっている。だからお前たちも頑張れ、というようなリーダーの発言を聞くと本当に嫌気がさす。誰もやらなくても自分がやる。それがリーダーの暗黙の了解のはずだ。リーダーは見えないところで多くの人に守られている。しかし第一線にいる人は皆、独り、あるときは素手で立っているのだ。
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読書は、慣れてくると、ある程度早く読めるようになる。だがそれは、家庭用の自転車をある程度早くこぐことができるのに似て、あまり特別なことではない。むしろ読書の力量は、早く読めるものを、じっくり、ゆっくり亀が歩くように読むことができるか否かにかかっている。
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どうするべきか父に相談するとこう言った。「数万円を使って絵を見に行くと思えば高額に思えるだろう。しかしそれが単に高いがどうかは、これからお前がどう生きるかによって変わってくる。その価値を生めると思うなら行かないわけにはいかないだろう。」翌日、電車に乗り、兄のいる東京に向かった。
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月に何冊読むかは読書の本質とは関係がない。そして、こうした論議はどこまでいっても表層的だ。ある人は同じ本を複数回読み、容易に読み進められない本と深く向き合うこともあるだろう。ただ、何かと併読しながらでよいので、詩と古典を読むのはよいと思う。早く読もうとする私たちを戒めてくれる。
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何を言うかも大事だが、言葉とは何かを考えなくてはならない。火が何であるかを知らない人に、火を扱わせてはならないように、刃は何のためにあるのかを知らない者に、それで遊ぶことを覚えさせてはならない。言葉をどう用いるか以前に、言葉の本質とは何かを考えること、それが教育の原点だろう。
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いつからだろう。一生懸命であるだけでは意味がない、というような言葉がまかり通るようになったのは。懸命に何かをすることが、格好悪いと思われるようになったのは。懸命に生きる者の姿は、本人が感じているよりもずっと美しい場合がある。格好の良さなどとは比べものにならない美が宿ることがある。
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自分らしい文章を書きたければ、まず、誰かの「まね」をしないことだ。もがきながら道なき道を進むように書くしかない。要領のよい文章を書くには別な方法がある。だが、そうした言葉はほかの人にも書けるのである。大切なことは自信がないまま、何かを畏れ、震えるように書くくらいでちょうどよい。
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これからのリーダーに必要な資質として、いつでもその場を後任の人にゆずる、という覚悟を挙げることができるだろう。自分でなくてはならない、そう思ったとき、その人はすでに、その組織、共同体を私物化し始めている。リーダーは、自分の立場を含めて、最適な人をいつも探していなくてはならない。
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世の中が激しく動くとき、世のことを考えるのも大切には違いない。しかし自分の生のありようを深く感じ直し、歩みを確かめるのは、いっそう重要なように思う。世のことは、自分以外の人も、あるいは誰かと共に考え得るが、自分の生に関することは、自分以上に真摯に向き合う人は世に存在しないからだ。
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大学とは「優れた人材」を輩出する場所だと信じて疑わない、そんな言説にふれるたびに、著しい違和感を覚える。その基準が、曖昧なだけでなく、時代の空気に迎合したものである場合が多いからだ。人は優れた者になるために生まれてきたのではない。その人自身になるためにこそ、存在しているのである。
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「学ぶ」意味は、異なる世界観、価値観を持つ人、共同体、時代とも対話できるようになることであって、好みによって、対象の「よしあし」を断じることではないだろう。何かに優れるとは、虚勢を張ることでなく、優れているゆえに他者と分かち得える何ものかを発見しようとすることでもあるのだろう。
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人間がそうであるように、本との間にも出会いの「時」がある。それ以前でも、それ以後でもない、まさに出会うべき「時」がある。それは瞬間のこともあれば、数日、あるいは数ヶ月にわたることもある。しかし、その期間に書物と、ある深度の関係をつむげなければ機会は少し遠ざかるかもしれない。
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生きるとは、一度きりの生涯で、何が自分にとって、かけがえがないのかを見出し本当の意味でいつくしむことだろう。それは、ほかの誰かが重んじているものではなく、自分の欲するものでもないかもしれない。ともあれ私たちは、しばしば、何を探すべきかも知らずに何かを探しているのではないだろうか。
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今年出版された本で、今年を振り返るような習慣は、そろそろやめた方がよい。今年私が熟読し、強く動かされた本は皆、20年ほど前から書架にあるものだ。読書にはそういう一面がある。年齢を重ね、おのれの内なる衝動に忠実なる読書は、よりいっそうそうした傾向を強めると思う。
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本を読めないときは「書く」ときです。誰かのではなく、己れの心にある、まだ言葉の姿をしていない、未知なるコトバを見出すときです。少しの間、私達は試練の日々を過ごさねばなりません。それを落胆の日々ではなく、意味ある日々に変容させるのは、誰かのではなく、自らの生に裏打ちされた言葉です。
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常識のように語れてきたが、" win-win" の時代はもう終わりにしよう。勝者になるのはごく一部の人に過ぎず、見えない所で深く傷つく人がいる場合が多いから。これからは「お互い様」がよいのだと思う。助け合うのに理由はいらない。むしろ、利害があったらもうそれは「お互い様」ではありえない。
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世の中には、目にしたものを「つまらない」の一言で片づける人がいる。その人にとってはそうなのだろう。それでよい。だがどうして、それを人に押し付けるのか。そして、なぜそうした人の声を真実として受け容れようとするのか。愛のない、辛辣であるだけの言葉に、どうして身をまかせようとするのか。
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大学人の多くは「優れた人材」は社会でも活躍できると信じている。だが、一週間働いてみれば分かるが、必要なのはその人の優秀さだけでなく、共に働く者とのあいだにある信頼であり、信用であり、また敬意なのである。しかし私の知る限り、こうしたことを大学ではほとんど教えない。考えもしない。
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この会見ではっきりしたのは、この国は、これから新型コロナに関することはすべて、「事後」の判断で動くということなのだろう。現象が明らかになってから対処するのであって、予防的には、これまで通り何もしないということを語ったに過ぎない。⇒news.yahoo.co.jp/articles/fc00c…
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今日の東京、検査数864人で陽性者が131人。陽性率15%。これが実態なら私たちはとても深刻な状況にある。かつてのように検査が5000人だったら陽性者は750人だからだ。重症者が少ないから、というのは理由にならない。この状態自体が重症者を生むことに直結している。⇒news.yahoo.co.jp/articles/ce493…
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本は「多く」読むのもよいが、「深く」読むのもよい。そして、「深く、多く」読むのがいちばん楽しい。だが、「多く」読んでも、必ずしも「深く」読めるとは限らない。だが、「深く」読める人は、波長の合う書き手を見つければ、時間と体力が許す限り、「多く」の本を読むようにもなれる。
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【お知らせ】NHK長野制作の「知るしん『モモ』特集」「“本当の豊かさ”とは?~児童文学『モモ』~」が、大変なご好評をいただき、NHK・BS1で全国放送されることになりました。放映日は、12月16日(水)深夜0時~0時25分、すなわち17日(木)深夜です。本当に良い番組でした。ぜひ、ご覧ください。
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真剣に生きようとすれば、生きづらくなる。生きずらいと感じているのは、決して悪いことではない。それだけのことを本当に理解するまで、半世紀も生きねばならないのか。だが、生きづらくても自分を見失うよりはずっといい。振り返ると幼稚園の頃から集団が苦手だった。ただ、独りも苦ではなかった。
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対象は何であっても「学ぶ」という営みにはどこかに「貴さ」を認識する道程がなくてはならない。「貴さ」を感じられないとき人は、その対象をひたすら利用する。言葉や色、宇宙でも、もちろん、人間においてもそうだ。「貴さ」を感じるとき、人は自分もまた「貴い」存在であることを知るのである。
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実際の感染者数は10倍かも20倍かもしれない、と思いながら、根拠がないから発表の数字を優先させる。そんなバカなことがあるはずがない、と思うかもしれない。だが、この国は、少なくとも水俣病事件をめぐっては、今日に至ってもなお、そうした数字を「公式」としている。⇒msn.com/ja-jp/news/cor…