若松 英輔(@yomutokaku)さんの人気ツイート(リツイート順)

126
仕事場ではしばしば「人を使う」という表現が用いられる。この言葉を口にする人はしばしば、自分は常に「使う」側であると思い込んでいるように映る。そして、そうした所では、あまり「良い仕事」が生まれない。言葉も同じだ。言葉に力を貸してもらう、という態度で向き合うとき意味の地平が新生する。
127
「生きている価値」の有無を問うようなことは、もうやめようではないか。生きていること、それ自体が、かけがえのない価値なのである。存在している、そのことが稀有なる価値なのである。
128
高校生のとき、夏休みに中学生の家庭教師をして「バイト代」を稼いでいた。16歳から何かに強く動かされるように本を読み始めていたので書籍代などが必要だった。故郷にいるとき、どうしても上野の西洋近代美術館で行われている絵画展に行きたいと思った。赴けば稼いだものは消える。
129
古書店の存在を忘れるわけにはいきません。古書店は、単に古くなった本を売る店ではありません。時代に忘れられつつありながらも、けっして消えてはならない本の「貯蔵庫」でもあります。古書の世界は、じつに楽しく深いです。何よりも歴史と出会う場です。私の夢は、小さな古書店を開くことなのです。
130
優れているのは良いことなのかもしれない。しかしそれは比較、競争の世界の話でしかない。ある時期を境に私たちは、比較、競争とは別の世界があることを知る。その地平のどこかにずっと探してきて何ものかの存在も同時に予感するのではないだろうか。誰かと比べるのをやめること、そこに自由がある。
131
「自衛」という言葉は、数年前に聞いた「排除」という言葉を想い起こさせる。だが、「自衛」できない人をどう守っていくのかが、危機に直面した政治の役割ではないのか。そして誰も「排除」されない場を作るのが、政治家の仕事ではないのか。こんな当然のことを書かねばならない事態こそが問題なのだ。
132
日本で、今日のようにゴッホが愛される、きっかけを作った人たちのなかに白樺派の人たちがいる。なかでも重要な仕事をしたのが柳宗悦だった。雑誌『白樺』はいわゆる文学の雑誌に留まらない。宗教、哲学、芸術を包含する、高次の意味での新しい「文化」の土壌となった。その影響は再考されてよい。
133
自作が掲載された高校の教科書が2冊送られてきた。大学受験で国語があるところはすべて落ちたような人間の書いた文章が掲載されるのである。世の中、何があるか分からない。ついでに、毎年20~30校の高校大学の入試でも問題になっているのだが、書いている本人もじつは、答えは分かっていないのである。
134
人が癒せない傷を、言葉を語れない動物たちが癒してくれるように、言葉では表現しきれないことを沈黙が伝えてくれることもあるだろう。言葉によって人は大きな慰めを得ることがある。だが、癒えるためには慰めとは異なるはたらきも必要だ。その何かは言葉よりも沈黙のほうに豊かにあるように思われる。
135
この国では社会で「主役」になって活躍するように、という空気が様々な所に流れている。当たり前のことだが、「主役」は沢山いない。しかし、本当に大切なのはそんなことだろうか。古今東西の賢者たちは、社会の主役になるよりも、自らの人生において「主」となることを説いているのではあるまいか。
136
自分は誰かよりも優れているというのは「勉強」の基準だろうが、「学び」の世界では常識が違う。「あの人は自分よりもある事で優れている」、そう自然に感じられるように学ぶのである。誰かよりも優れたままでいたいなら、ずっと競争していればよい。しかし、自分の人生はいつまでも始まらないままだ。
137
「できる人」は、どこにでもいる。どの世界にも。しかし、「わたし」はここにしかいない。私しか「わたし」にはなれない。そして、私が生まれてきた意味が「わたし」になることであるなら、どちらが大切かは言うまでない。「できる人」でも自分を知らない人は少なくないように思う。
138
40代の半ばから老眼になり、50代になって、より見えにくくなったが、絵や彫刻にふれる感度は、鋭くではなく、より深くなった。かつては、多くを絵を激しく受容したが、今は、一枚の絵の前から動けなくなり、美術館を本当に去りがたいと感じるようになった。老いるとは悪いことばかりではないらしい。
139
文章を書くとは、己れを知る道程だから、書けば書くほど自らの非才を認識することになる。非才であるがゆえ、できることは限られていて、眼前に広がる一すじの道を歩くほかないことを知る。非才の自覚は、夢を失うことかもしれない。しかし、非才な者にも使命はあることを確かに知る経験でもある。
140
気が付けばもう8月です。1日(月)、100分de名著特別シリーズ「forティーンズ」にトルストイ作『人は何で生きるか』(北御門二郎訳)の指南役として出演致します。ご覧いただけましたら幸いです。いつもながらよき番組スタッフの皆さんとの意味深い仕事でした・加藤シゲアキさんも素晴らしかったです。 twitter.com/100min_Meicho/…
141
本を読めなくなったら  書くときだ 書けなくなったら  つぶやくときだ つぶやくこともできなくなったら  嘆くときだ 嘆くことができなくなったら  うめくときだ なぜなら  声を出さずにうめくことは 言葉にならない  別の姿をした祈りだからだ
142
私たちは、パソコンやスマホを前にすると、簡単に数時間の時間をそこに注ぐ。しかし、その数分の一でも、写真のデヴィッド・ボウイのように過ごすこともできるのだ。本は、わずかな部分を読むだけでもよい。特によい本ならよい本は分だけ、部分にふれるだけで重大な意味がある。 twitter.com/ElliottBlackwe…
143
大学というところにまだ、あまり慣れてないのだが、文理を問わず、ある人たちにとっては、魂を売るというのもあまりハードルが高くないのだな。そっちの方に驚く。あるいは、売っていることに気が付きもしないのか。どちらにせよ、残念をはるかに超えて憤ってる。 #検察庁法改正案に抗議します
144
ティク・ナット・ハンが亡くなった。来日を前に病に倒れ、拠点をベトナムに移してこの世のあとにした。ノーベル平和賞候補の経験もあるが、本当の平和は、人の内なる愛が咲かせる花であることを、生涯にわたって語り続けた。味わい深い本を幾つも残してくれている。彼の言葉を扉にして対話を続けたい。
145
亡くなったのは わたしが愛した あの人で 千人の中の 一人ではないのです もう抱き合えない あの人は 街を歩く 千人を  どんなに探しても 見つかりません 亡くなった人が 多いとか 少ないとか そうした話の奥に いつも 一つのいのちを喪った わたしのような 人間がいるのを 忘れないで下さい
146
目の前のことができない人ほど、先を語りたがる。 twitter.com/nhk_news/statu…
147
考えを整理してから書こうとする人が少ないない。しかし、それではあまり筆が進まないかもしれない。なぜなら「書くこと」こそ、考えを整える最適の方法だからだ。整理しないと書けない。そう感じているのは書かないからに過ぎない。「案ずるより産むが易し」とはこうときにも用いる言葉だと思う。
148
今週のNHK・Eテレの「こころの時代」は「問われる宗教と“カルト”」の第2回・後編です。土曜日午後1時には第1回の再放送もあります。ダイジェスト版も2本追加されています。今回もそれぞれ10分が2本という異例の展開になっています。 3本目➾youtube.com/watch?v=waqC7Y… 4本目➾youtube.com/watch?v=xOgaeU…
149
毎年、いくつもの学校の入試で、拙文を取り上げていただくのだが、私は中学校のとき5段階で「2」をとったことがあり、大学受験では「国語」があるところはすべて落ちた。受かったのは小論文の学校だけだった。最近は中高の教科書にも取り上げてもらっている。人生何があるか分からないものである。
150
詩を書き始めて驚いたのは、詩壇の人から強く批判され、詩の世界とは別なところで詩を愛するさまざまな人とつながりを持つことができたことだった。文壇、歌壇、俳壇など「壇」とは何と狭い世界だろう。芸術とは本来、そうした枠から自由になろうとする営みなのではないか。