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哲学や思想の文章を読むのには、少しだけ修練が必要だ。だが、いつか、必ず読めるようになる。それはある単語について詳しくなるというよりも、その哲学世界を、あるイマージュで捉えられるようになり、それが自分のなかで非言語的なコトバとなり、言葉になっていく。
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エンデの『モモ』(大島かおり訳・岩波少年文庫)をめぐって小さなメッセージを寄せることができました。本当に光栄です。私の部屋にある『モモ』の大判は、度重なる引っ越しのなかで色あせて、でも、とても風格のある本になっています。よろしければお読みください。⇒iwanami.co.jp/news/n35725.ht…
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「あの人は本物だ」あるいは「あいつは偽物だ」という人がいる。どちらであれ、そう言う本人は自分のことを「本物」だと思っているのは間違えなく、そこに自我肥大の大きな罠がある。誰が「本物」かよりも、自分の未熟さと可能性とが何であるのかを知りたい。いつ人生が終わるか分からないからだ。
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真剣に本を見続けたいと考えている人は「何を読むか」よりも先に「読むとは何か」を考えた方がよい。多く読んでいれば「読む」とは何かが分かってくる、そんな意見に惑わされてはいけない。多く本を読んでいると思われる人で「読む」とは何かをほとんど考えてこなかっただろう人に何人も出会ってきた。
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当たり前だが人は、毎日、着実に年を取る。今52歳だ。40代と50代が、これほど違うとは思わなかった。60代はまた違うのだろうか。かつては見えなかった何かが見えてくる。もちろん、かつては見えた文字は見えにくくなるのだが。しかし、不思議なのだ。視力は弱くなるが、意味の感じる力は別なのである。
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悲しみは「哀しみ」だけでなく「愛しみ」と書いても「かなしみ」と読む。悲しみとは、愛していた何かを見失った人間に湧き起る心情にほかならない。悲しみを語る口をふさげば、世界から愛が消えゆくのは当然だ。見失った愛を取り戻す道が見えなくなっても当然だろう。愛はしばしば悲しみの奥にある。
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「無症状者」が、症状のある人と同様の感染力を持つという韓国の発表。すなわち、症状の有無と感染力は関係がないということ。これが事実であればPCR検査の拡充のほか、対処のしようがない。「自分はいつもどおり元気だ」と思っている人も、感染を広げている可能性があるのだから。日本は迷路にいる。 twitter.com/tenichi08/stat…
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今日、私は、ある敬愛する人から、震えるような手紙を受け取った。「あなたとは、もっと多く語り合いたい。でも、言葉によってではないのです」。この一言で、これまで言葉をつむいできた意味が報われたように思えた。言葉で書くのは、言葉の彼方で分かり合いたいからなのだ。今も心が震えている。
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あるときまで私は、誰かに自分を受け容れてほしい、と強く願っていた。そういう人との出会いを求めていた。だが、自分を受け容れるのは、まず自分であることを知って人生が変わった。変わったというよりも、そこから人生が始まったように感じている。真に自分を受けれ得るのは、自分のみなのである。
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読書には大きく四通りの出会いがある。その本の存在を「知る」「手にする」「読む」そして「対話する」だ。最大ハードルは「読む」と「対話」の間にある。多くの学校では「読む」という地点が読書の終着点であるかのように語る。「対話」の第一歩はその本を鏡にして自己を見つめ直すところに始まる。
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遠くが見えるのは、よいことかもしれない。しかし、どんなに遠くが見えても、近くが見えなくなっているとしたら注意が必要だ。遠くが見えることは、世に重宝がられるかもしれない。だが、近くが見えないときは、大切な人の危機を見過ごすことすらある。愛すべきものは常に遠くにではなく、近くにある。
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他人の「あたま」に何が入っているのかではなく、自分の「こころ」にあって、見過ごしてきたものが何であるのかをを知りたい。哲学は究極的には自問自答になる、とソクラテスが言うのも分かる気がする。誰かが言ったことをまとめてみても自分の「こころ」は分からない。誰かと対話しなくてはならない。
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誰も自分のことなど気にかけてくれない、そう感じる時でさえも、いつもと変わらずその人を、というよりも、その人の魂を、魂であるその人を見つめている、それが愛するということだろう。だから私たちは、愛されているのが分からないこともある。
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気が向いたので、久しぶりに会見を見たが、自分たちの状況が、いっそう分からなくなった。「今回で必ず押さえる」という発言をこれまで何度聞いただろう。「慣れてはいけない」ともいうが、慣れさせているのが誰なのかという認識がまるでないのにかえって驚いた。
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第二波と思われる新型コロナウィルスの広がりをめぐって「重症者が少ない」ことを理由に危機対応をせずにいると、その発言が引き金になって感染が拡大していく。政治家たちは、自己弁護のために感染者数ではなく、重症者数にふれているのだろうが、人々はそれを聞き、危機意識を低めていく。恐ろしい。
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「日本の新型コロナ対策は成功したと言えるのか─日本の死亡者数はアジアで2番目に多い」(菅谷憲夫)は一読してよいと思う。今、私たちは「開放」のときをむかえたのではなく、「準備」のときの真っ只中にいるのではないだろうか。⇒jmedj.co.jp/journal/paper/…
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数年前は今の自分のありようなど予想もできなかった。そう感じている人は少なくないだろう。人の一生は、自分の力で生きるというよりも何かのちからによって生かされている。だから、いかに生きるかだけを考えるだけでは十分ではない。どこからかやってくる人生の風をいつも感じていなくてはならない。
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「書けない」という人は少なくない。だがその多くはまだ、何も真剣に書いていないか、「うまい」文章を書きたいと思っているかのどちらかであることが多い。「書く」のは難しくない。まず、書いてみる。そして、「うまく」書こうなどと思わないことだ。「うまい」文章はいつも、誰かの言葉に似ている。
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8月6日は、作家で詩人でもあった原民喜にとっても運命の日でした。それまで彼は「もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……(「遥かな旅」)という心持ちで生きていました。
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25年前の今日、遠藤周作が亡くなった。あの日私は、20人ほどの仲間と遠藤の親友でもあった井上洋治神父と一緒にいた。遠藤順子夫人から、作家が危篤であるとの電話があり、慌てて通りに出て、タクシーをつかまえ、神父を病院に送りだした。この作家を知らなかったら全く違う人生を生きていたと思う。
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若いときでも、世に生きていくのに必要なものは分かっていた。だから、それを求めてさまざまなことを試みた。しかし、年齢を重ねていくと、世に生きるだけでなく、人は誰も、自分の人生を生きなくてはならないという厳粛な事実を知った。そこでは世の常識とはまったく別種の叡知が必要なことも。
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ヘルニアになって痛感したのは、世の中には平気な顔をして、苦しい日々を生きる人が沢山いることだ。むしろ苦しいときだからこそ、平常を装うことすらある。何もないようにしている方が楽だということもあるのかもしれない。しかし、どこかでは弱音を吐いてよい。それが人間の暮らす世界だと私は思う。
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「勉強」の世界は、よく理解して、それを何らかの様式で表現できなくてはならない。そして、いつでも採点され、優劣がつく。しかし、「学び」の世界は「ことわり」が違う。人は、言葉にできないことに驚き、感動し、ときに苦悶する。しかし、それはいつも、生きることそのものにつながっている。
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大学にいると、あまりに時代に逆行しているのに、自分たちこそ最先端にいるかのような言動が少なくないのに驚く。事業規模や雇用の問題、グローバル化にしても、である。心ある人たちは、小さくても意味のあることを実現するのに躍起になっている。学びにおいて問われているのは規模ではない。深さだ。
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ばらばらのことをやっていても、皆がそれぞれの在り方で大切にしているものにふれていれば、その組織は強くなる。だが、結束を強めるために同じことをやらせようとした途端、組織への信頼が薄れ、場の力は失われる。個々の存在を重んじることなしに、どうしてその人の潜在的な力が開花するだろう。