若松 英輔(@yomutokaku)さんの人気ツイート(リツイート順)

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言葉は種子である 語った人が いなくなってから 咲くこともある 祈りと愛の花々の種である
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奇妙に聞こえるかもしれませんが人は、ある「解答」を手に入れたとき、大きく誤ることがあります。探求と探究を止めるからです。そのいっぽうで、真摯に問うとき、生きづらいのですが、大きな誤りからは遠いのではないでしょうか。「答え」は情報を与えてくれます。「問うこと」は叡知へと導きます。
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早く知らねばならないと思い込むから、時間がないと思うし、焦りもする。だが、何かを味わおうと願うのなら、まず、その焦りを鎮めなくてはならない。大切な人と話をしているときに、明日のことを考え始めてしまったら、いつまでも「今」はやってこない。「今」、それが人生の現場だ。
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詩は独り言に似てるから、ひっそりと書くのもよい。詩は願いを込めて書くこともあるから、自分以外には分からない言葉で書いてもかまわない。詩は祈りにも似ているから大いなる者の前で、素の自分をさらけ出してよい。詩は言葉にならないものの書く営みだから、書けなかったことを深く味わうのもよい。
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人間は材料ではない。唯一無二の「いのち」である。材料と同じだと考えなければ「人材」という言葉は出てこない。「優れた人材」もいるだろう。だが「人材」には常に代わりが存在する。「人材」は重用される。だがけっして愛されない。この問題は「いのち」を軽んじる今の日本と無関係ではないのだ。
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『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房)が重版になりました。本を読めなくなるには様々な理由があります。「多く」本を読む生活から「深く」読む日々への転換であることもあります。そして「読めない」と思うのは、「読みたい」と真に望んでいる人だけであることも忘れられがちです。
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第二次大戦中ファシズムと闘った人たちがいました。フランスではレジスタンス、イタリアでは「パルチザン」と呼ばれました。ミラノでパルチザンの列に加わった人たちが戦後、小さな書店を開きます。それが「コルシア書店」です。そこで働いていた日本人が須賀敦子です。須賀さんとはそういう人です。
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文字で記されている本でさえ、言葉を理解するだけでは読み解けないのだから、人生の意味が、頭を使うだけでは理解されないのも当然なのかもしれない。この世界は、言葉の姿をしていない意味であふれている。生きる意味も、ほとんどの場合、目に見えず、口にもできない姿をしているのではあるまいか。
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読書は不思議な営みだ。書かれていることが十分に理解できなくても、行間にある何かがある確かさで感じられる場合ある。文字に表れていない何かを知性とは異なる認識の力が把握するのである。むしろ書かれていることだけを理解する読書の貧しさをこの頃、強く思う。大切な人からの手紙も同じだろう。
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今日は8月9日です。1945年の今日、長崎に原爆が投下されました。爆心地の浦上は、キリスト教徒とゆかりの深い場所です。長崎は殉教者の街でもあります。あの街に行くたびに、この世界を死者たちはどう見ているのかと思わざるを得ません。しかしそれでもなお、長崎は祈れと言っているようにも思います。
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利己的で、いのちに鈍感な者たちが、「偉く」「強い」とされるような世の中は、どう考えてもおかしいと思う。
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大学に勤務していて、つらく感じたのは、あらゆる所で比較と競争が横行していることだった。人は、己れという絶対を発見しながら、他者もまた、絶対的存在である事実を認識するのだろうが、そうしたことが空論に聞こえるほど比較と競争が日常化していた。そして、それがよいことのように行われていた。
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政治家が、ある漢字を読めない。それはいっこうに構わない。誰にでも、思い込みや知らない言葉はある。だが、政治家であってなくても、人を馬鹿にしたような話し方は止めた方がよい。人には誰も、立場や地位とは関係なく、尊厳という守られねばならないものがある。
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人生の 浅いところでは 幸運な人たちの 姿が よく目に映った できれば自分も そうありたいと思ったから でも 少し 深いところに行くと 真摯に 生きている人たちから 目が離せなくなる そこにいるのは 人目も 気にせず 試練に立ち向かう 沈黙の勇者たち 涙も流さず 悲しみを生きる者たち
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人生は短いと人は言うが、違う。人が時間を浪費し、人生をその質において「短く」しているのだ、と書いたのはローマ時代の哲学者セネカだった。確かに人生は様々な理由で短い。大切に思う人たちとの時間は、いっそう限られている。人はいつか逝くのではない。いつも思っているよりも早く逝くのである。
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ニュージーランドの首相、ジェシンダ・アーダーンがこの二年間で実現したことを二分で話す、という試み。「弱い人」からけっして目を離さない。10分あればその分だけ話せただろう。素晴らしい。 twitter.com/benmckenna/sta…
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自分を愛するとは、自分を甘やかすことではない。真に愛してくれる人が、必要なとき厳しくなるのと同じだ。自分を愛し始めると人は、自分と誰かを比べなくなる。他者を比較の視点で見なくなる。それだけで生きるのはそうとう楽になる。自分になるのに、どうして隣の人よりも秀でなくはならないのか。
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多く読むのもよい。しかし、深く読むのにも別の味わいがある。ひと月に10冊読むのもよいだろうが、ひと月を費やして一冊の本と向き合うことができれば、言葉との関係はまったく変わったものになるだろう。本から情報を得るだけではもったいない。私たちはそんな風に人とつきあったりしないではないか。
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考えた事を書くよりも「書く」事によって考えるのです。考えた事を書くとき、働いているのは頭(あたま)です。しかし、「書く」事よって考えるとき「頭」だけでなく手も胸も、心すらも動き始めます。誰もが頭だけでは見通せない出来事があるのを知っている。それならそう生きるのがよいと思います。
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愚者になびこうとするとき、その者もまた、愚者になる。昨今の「専門家」の姿を見ていると、そう感じる。
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多く本を読む人が深く本と交わっているとは限らない。もちろん両方を実現している人はいる。しかし、それはその人に必要だからであって、誰もがそのまねをする必要はない。読書は、その人にあったかたちで、長く行われるのがよい。自分らしい本を選ぶのも大事だが、読み方もまた、自分らしくてよい。
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本当の意味で「成長」したいなら、植物がそうするように、まず深く根を張らねばならない。いたずらに上に向かうよりも、深く下へと進むのだ。人の目に見えるようにではなく、自分にしか分からないように、さらにいえば、自分にすら分からないよう進む。宮沢賢治がいう「透明な軌道」を歩くのである。
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「弱さ」とは、ほとんどの場合、私たちの目には映らない。この事が常識にならなければ、世界は、大きくは変わるまい。私もまた、最も「弱く」あったとき、口癖だったのは「大丈夫」だった。「大丈夫?」と聞かれて「うん、大丈夫」と答える。現実は、いのちの火はもう消えかかえっていたのに、である。
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本は、何を読むかが大切であるのは言うまでもないが、いつ読むのか、さらにいえば、いつ出会えるのかが、最も重要なのではないだろうか。そして、一たび出会ったものとの関係をどのように深めていくかに挑戦がある。多くの本を読むのもよい。しかし、生涯と共にするような一冊に出会えたらなおよい。
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私たちは今、険しい山道を登っています。一人ではなく、皆で。その事を国や地方自治体にも忘れずにいてほしいのです。為政者が「自助」や「自己責任」をあまりに強調する事で、静寂のうちに世に分断が生まれている現状に気がついてほしいのです。そして、苦しんでいる人は、苦しいと言えないことにも。