201
メディアで「コロナ後」の働き方は、と来週あたりからのことを語っているのをみると、本当に不安になる。今、私たちは「コロナ禍」の「ただなか」にいるのではないか。危機の正体が分からないまま、危機の後を先取りするこうした姿勢が、問題を直視しないまま、今の社会不安を作ってきたのではないか。
202
ヘルニアになって痛感したのは、世の中には平気な顔をして、苦しい日々を生きる人が沢山いることだ。むしろ苦しいときだからこそ、平常を装うことすらある。何もないようにしている方が楽だということもあるのかもしれない。しかし、どこかでは弱音を吐いてよい。それが人間の暮らす世界だと私は思う。
203
亡くなったのは
わたしが愛した あの人で
千人の中の
一人ではないのです
もう抱き合えない あの人は
街を歩く 千人を
どんなに探しても
見つかりません
亡くなった人が
多いとか 少ないとか
そうした話の奥に
いつも
一つのいのちを喪った
わたしのような
人間がいるのを
忘れないで下さい
204
「学ぶ」意味は、異なる世界観、価値観を持つ人、共同体、時代とも対話できるようになることであって、好みによって、対象の「よしあし」を断じることではないだろう。何かに優れるとは、虚勢を張ることでなく、優れているゆえに他者と分かち得える何ものかを発見しようとすることでもあるのだろう。
205
街が平穏を取り戻したら、カフェで美味しいコーヒーが飲みたい。そこで、ゆっくり本を読みつつ、何かを書こうかと思いをめぐらせる。書けるかどうか分からないのだが、期待に胸は膨らむ。部屋ではなかなかそうはいかない。カフェは飲み物を飲むだけの場所ではない。まだ見ぬ自分に出会う場所でもある。
206
「勉強」の世界は、よく理解して、それを何らかの様式で表現できなくてはならない。そして、いつでも採点され、優劣がつく。しかし、「学び」の世界は「ことわり」が違う。人は、言葉にできないことに驚き、感動し、ときに苦悶する。しかし、それはいつも、生きることそのものにつながっている。
207
気が向いたので、久しぶりに会見を見たが、自分たちの状況が、いっそう分からなくなった。「今回で必ず押さえる」という発言をこれまで何度聞いただろう。「慣れてはいけない」ともいうが、慣れさせているのが誰なのかという認識がまるでないのにかえって驚いた。
208
「利他」の語源は、19世紀フランスの哲学者オーギュスト・コントにさかのぼる、という情報はネットを調べると随所にある。だがそれは少しおかしい。なぜなら「利他」は日本語で、平安時代、最澄、空海によって用いられた言葉だからだ。1000年もあとの人に由来を求める必要はないのではあるまいか。
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AIは常に最適な答えを提示するのかもしれない。だが、そんな人とは「知り合い」にはなっても親友にはなれないだろう。AIは、おもいを胸に秘めたまま、一緒に苦しんだりはしないだろう。あるいは、見えないところで祈ったりもしないだろう。人間はそもそも「知能」だけで生きているわけではないのだ。
210
ニュージーランドの首相、ジェシンダ・アーダーンがこの二年間で実現したことを二分で話す、という試み。「弱い人」からけっして目を離さない。10分あればその分だけ話せただろう。素晴らしい。 twitter.com/benmckenna/sta…
211
自分を慰めてくれる言葉を見つけられないなら、自分を励ましてくれる言葉を必要としているのなら、自分の、ほんとうの居場所を照らす一語にまだ、出会っていない、そう感じているなら、もうどこかを探すのは止めて、自分で書けばよい。人は誰も自分を救う言葉を、自分のなかに宿しているのである。
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大学人の多くは「優れた人材」は社会でも活躍できると信じている。だが、一週間働いてみれば分かるが、必要なのはその人の優秀さだけでなく、共に働く者とのあいだにある信頼であり、信用であり、また敬意なのである。しかし私の知る限り、こうしたことを大学ではほとんど教えない。考えもしない。
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読書とは、誰かが書いた結果を受け取り、理解するだけではない。言葉が紡がれる道程を追体験することでもある。もしそれを経験できれば、書き手は、理解したものを書くというよりも、書きながら認識を深めていることを身をもって知ることになるだろう。読むとはときに書き手の理解を超えることもある。
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あるときまで私は、誰かに自分を受け容れてほしい、と強く願っていた。そういう人との出会いを求めていた。だが、自分を受け容れるのは、まず自分であることを知って人生が変わった。変わったというよりも、そこから人生が始まったように感じている。真に自分を受けれ得るのは、自分のみなのである。
215
ホームレス支援がやっと動きだしましたが、混乱もあるようです。現場で活動している北畠拓也さんのnoteがとてもよく整理されています。こちら広めていただくのがよいかもしれません。官民、複数の窓口があり、一つがうまくいかなくても次があることを広められたと思います。
⇒note.com/ddsharinnouta/…
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大学にいると、あまりに時代に逆行しているのに、自分たちこそ最先端にいるかのような言動が少なくないのに驚く。事業規模や雇用の問題、グローバル化にしても、である。心ある人たちは、小さくても意味のあることを実現するのに躍起になっている。学びにおいて問われているのは規模ではない。深さだ。
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アルフォンス・デーケン神父が亡くなった。日本における死生学、グリーフケアは彼の存在なくして語れない。第二次大戦中、彼の家族はすでに明確な反ファシズム運動を実践していた。それにもかかわらず、無防備だった祖父を偶発的に連合軍に銃撃される。これが彼にとっての「死」の最初の経験だった。
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自分たちはがんばっている。だからお前たちも頑張れ、というようなリーダーの発言を聞くと本当に嫌気がさす。誰もやらなくても自分がやる。それがリーダーの暗黙の了解のはずだ。リーダーは見えないところで多くの人に守られている。しかし第一線にいる人は皆、独り、あるときは素手で立っているのだ。
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この国は、少なくてもこの20年間、「いのち」とは何かを真剣に考えてこなかった。政治だけでなく、教育の現場においても。だから「いのち」が傷つくということがどういうことかを知ろうともしない。「いのち」の危機とは何かが分からない。そうした者たちが、どうやって「いのち」を守れるというのか。
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【お知らせ】NHK長野制作の「知るしん『モモ』特集」「“本当の豊かさ”とは?~児童文学『モモ』~」が、大変なご好評をいただき、NHK・BS1で全国放送されることになりました。放映日は、12月16日(水)深夜0時~0時25分、すなわち17日(木)深夜です。本当に良い番組でした。ぜひ、ご覧ください。
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何を言うかも大事だが、言葉とは何かを考えなくてはならない。火が何であるかを知らない人に、火を扱わせてはならないように、刃は何のためにあるのかを知らない者に、それで遊ぶことを覚えさせてはならない。言葉をどう用いるか以前に、言葉の本質とは何かを考えること、それが教育の原点だろう。
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8月1日(月)22:25~、100分de名著「for ティーンズ」に出演します。トルストイの民話『人は何で生きるのか』を取り上げます。周知のようにトルストイは、「反戦」というよりも「非戦」を説いた人でした。訳者の北御門二郎も同じです。そして「神は愛なり」という一節が、この作品の核心です。
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エンデの『モモ』(大島かおり訳・岩波少年文庫)をめぐって小さなメッセージを寄せることができました。本当に光栄です。私の部屋にある『モモ』の大判は、度重なる引っ越しのなかで色あせて、でも、とても風格のある本になっています。よろしければお読みください。⇒iwanami.co.jp/news/n35725.ht…
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科学者がここで沈黙したら、今まで何を言ってきたのか分からなくなる。そして、こうした発言自体が、これまで、いかに科学を軽んじていたかを象徴している。 twitter.com/tv_asahi_news/…
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誰かと自分を比べれば、自分の特性が見えにくくなるのは当然だ。私たちはある年齢まで、人よりも秀でることを求められてきた。だが、それだけが人生ではないことに気がつく。そのとき、人生の後半が始まる。年齢は関係がない。ある人は10歳になる前に、一方、人生の晩節になるまで始まらない人もいる。