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詩を読まなくても、もちろん、詩を書かなくても生きていける。生活にも困らない。詩を読み、詩を書いても社会的な立場に変化はない。だが詩は、人生の危機にあるとき、悲しみの底から人を引き上げる。苦しみに心折れそうになるとき、生きる意味を照らし出してくれる。それが私の詩をめぐる経験である。
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立ち上がれないことが弱さなら、そうならないことが強さなのではなく、立ち上がれない人に黙って寄り添うのが真の強さだ。自分もまた、おびえながら立とうとしていると「弱さ」において、人とつながろうとするのが本当「強く」あることだと思う。愚かな、あまりに鈍感な「強がり」はもういらない。
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我慢している人は、いつも平気な顔をしている。我慢するとはそういうことだからだ。我慢強い人ほど自分を追い込む。だから、国も地方自治体、あるいは教育機関も、我慢ができなくなったという声を聞いたら、何かするというのでは後手になる。苦しい人は、苦しいとすら言えないこともあるのだから。
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リーダーシップとは、人々から信頼を得ることだが、いつからか、いかに自分を主張するのかという方法論へと堕落していった。これほど信頼を得ていないリーダーが各所にいる時代は、近年、稀なのではないだろうか。リーダーシップを発揮し、人々を守るべきところで、ひたすら自分の思いを話すのである。
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昨日の東京新聞朝刊に梨木香歩さんの『ほんとうのリーダーのみつけかた』(岩波書店)の書評を書きました。それがネットでも読めるようになりました。小さな本ですが、今、この本が私たちの手元にある意味を感じながら、ゆっくり読んでみたい、そう感じさせる重い一冊です。tokyo-np.co.jp/article/50399
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重い言葉は人目につかず、人の海のなかに沈んでいくだろう。だが、そうした言葉は、何かの理由で人生という海の深みを経験する人に見出される。不思議なことだが人は、海に沈んでいた言葉を胸に抱きながら、もう一度、世に浮かび上がってくるのだ。苦しんでいたのは自分だけではないという確信と共に。
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これからのリーダーに必要な資質として、いつでもその場を後任の人にゆずる、という覚悟を挙げることができるだろう。自分でなくてはならない、そう思ったとき、その人はすでに、その組織、共同体を私物化し始めている。リーダーは、自分の立場を含めて、最適な人をいつも探していなくてはならない。
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常識のように語れてきたが、" win-win" の時代はもう終わりにしよう。勝者になるのはごく一部の人に過ぎず、見えない所で深く傷つく人がいる場合が多いから。これからは「お互い様」がよいのだと思う。助け合うのに理由はいらない。むしろ、利害があったらもうそれは「お互い様」ではありえない。
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今、必要なのは、大胆であることではない。「思慮深く」あることだ。今の日本の政治に、最も欠けているものかもしれない。思慮深くあるためには、過去と今と未来を一つの「時」として認識できるような熟慮と洞察がいる。思慮深くあるために遠ざけるべきもの、短絡的思考といたずらな強がり。
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これまで以上に「言葉」とは何かを真剣に考えなくてはなりません。あまりに言葉が軽視されているのです。食べ物を粗末に扱う人を快く思いません。しかし言葉はどうでしょう。食べ物が身体を養うように、言葉は私たちの精神の糧なのです。滋養のある食物があるように、叡知に満ちた言葉もあるのです。
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「あの人は本物だ」あるいは「あいつは偽物だ」という人がいる。どちらであれ、そう言う本人は自分のことを「本物」だと思っているのは間違えなく、そこに自我肥大の大きな罠がある。誰が「本物」かよりも、自分の未熟さと可能性とが何であるのかを知りたい。いつ人生が終わるか分からないからだ。
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気が付けばもう8月です。1日(月)、100分de名著特別シリーズ「forティーンズ」にトルストイ作『人は何で生きるか』(北御門二郎訳)の指南役として出演致します。ご覧いただけましたら幸いです。いつもながらよき番組スタッフの皆さんとの意味深い仕事でした・加藤シゲアキさんも素晴らしかったです。 twitter.com/100min_Meicho/…
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今週のNHK・Eテレの「こころの時代」は「問われる宗教と“カルト”」の第2回・後編です。土曜日午後1時には第1回の再放送もあります。ダイジェスト版も2本追加されています。今回もそれぞれ10分が2本という異例の展開になっています。
3本目➾youtube.com/watch?v=waqC7Y…
4本目➾youtube.com/watch?v=xOgaeU…
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雨ガッパは、いずれ、「竹やり」と同じような比喩になっていくのだろうな。無知と無謀の隠喩。
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素晴らしい。本の使者。この女性は、本にのせて「いのち」を運べる人です。本当に心を打たれました。 twitter.com/brutjapan/stat…
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今日から、東京でも社会が動き始めた。勤務先、学校へ行くのはよい。だが、行かねばならないと強く強制するのは止めた方がよい。特に学校がそうだ。教室に足を運ばなくてもちゃんと教育を受けられる制度を確立するべきだ。行きたいと思わない人を「落伍者」のように扱う社会はもう終わりでいいだろう。
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「コロナ」後の世界はおそらく、時間と労力をかけて、これまで見過ごしてきたものを取り戻しに行くことになるでしょう。この前向きな旅は、後ろに向かって進むのです。読書も同じです。「古い」、しかし「古くならない」本を読みましょう。「新しい」とは不安定な、未熟なものの呼び名でもあるのです。
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「幅広い視野をもった優秀な人材を育てる」、こうした表現がはびこる場所ではすでに、個々の「人間」は見失われ、有用な「人材」の数だけが数え上げられる。「視座」を変えようとせず「視野」を広げてみたところで「弱い」人の姿は映るまい。声をあげずに苦しむ者の呻きにも気がつくことはないだろう。
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目の前のことができない人ほど、先を語りたがる。 twitter.com/nhk_news/statu…
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悲しみは「哀しみ」だけでなく「愛しみ」と書いても「かなしみ」と読む。悲しみとは、愛していた何かを見失った人間に湧き起る心情にほかならない。悲しみを語る口をふさげば、世界から愛が消えゆくのは当然だ。見失った愛を取り戻す道が見えなくなっても当然だろう。愛はしばしば悲しみの奥にある。
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ばらばらのことをやっていても、皆がそれぞれの在り方で大切にしているものにふれていれば、その組織は強くなる。だが、結束を強めるために同じことをやらせようとした途端、組織への信頼が薄れ、場の力は失われる。個々の存在を重んじることなしに、どうしてその人の潜在的な力が開花するだろう。
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昨晩の「100分de名著」をご覧下さった方からこれまでとは別種の熱い反応を頂きました。こうした時期にトルストイ、そして北御門二郎にふれ、真の意味で愛と平和を再考する機会に携われたことを光栄に思います。大切なのは「解答」めいた言説ではありません。真摯に問い続けることなのです。 twitter.com/nhk_meicho/sta…
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朝起きて、天気が良い日は、今、世界が声にならない苦しみにあふれていることを忘れてしまう。だがしばらくすると、苦しみとは、苦しいとすらいえないことであり、苦しむ人はしばしば、人の目に隠れていることを想い出す。苦しむ人が声を失うことがあるように、悲しむ人は涙を涸らすことがあることも。
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少し寒くなってきました。心身とも準備が必要な季節です。特に今年は。身体の糧はともかく、心の糧となる「言葉の薬箱」や「言葉の備蓄」が必要なのかもしれません。この言葉にふれることができれば、心を流れるものを止めることができ、心の渇きを癒せる、そんな言葉を蓄え、自分の近くに置くのです。
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見えないことと存在しないことは違う。感じられないことと存在しないこともまた。希望が見えなくても、希望は存在する。生きる意味を感じられなくても、意味は確かに存在する。だが自分の目に、苦しみ、悲しむ人の姿が映じなかったとしても、世の中には独りひざを抱えて涙する人たちも、必ず存在する。