つるぎの屋@日本刀買取専門店(@tsuruginoya)さんの人気ツイート(リツイート順)

その刀職の方も事前に刀の価値をよく説明して、研ぎの他に工作代の方が高くなる可能性は以前の持ち主にも再三、説明したそうです。 ただ、家に伝わった刀で、今後も保管する予定なので値段に関係なく仕上げて欲しい、ということだったのそうですが蓋を開けてみれば。。。
新刀の名工 堀川国広 「山姥切」 (引用) 寒山刀話 佐藤寒山先生:著(昭和48年)
刀剣の保存に適した除湿剤を探していましたが、やっと理想的なものが見つかりました。 竹活性炭で湿度55%付近に調湿されます。 (美術館で使用される刀剣に適したアートソーブも55%のもの) 化学物質ではなく竹炭なので刀剣への影響もないでしょう。
とうとう東京都では銃砲刀剣類登録審査会が新型コロナウィルスの影響で4月の審査会が中止となってしまいました。次回以降の審査会も開催は未定。 刀剣については再開されるまで発見届出済証と刀剣審査の受付案内書とともに保管になりますが、譲渡等は不可。 刀剣にとっても大変な時代になったものです
「蛍丸」 資料-1 熊本日日新聞 昭和35年3月13日 夕刊 刀が宮地署に供出されたころ同署の係であった藤原継雄さんは当時のもようについて「蛍丸」も含め全部の刀を供出するよう何度も進駐軍の命令が県を通してあったので、阿蘇神社にも連絡、供出してもらった。
丹波守吉道(大阪初代、京初代の次男) 陸奥守吉行の師匠:大和守吉道(初代)は丹波守吉道(大阪初代)の次男 切断されてしまった茎 刃長 3.0cm (5.5cm以上は登録証が必要) 正しい銃刀法の知識が無いとこのような悲劇が生まれてしまいます。。。 登録手続きは難しくありませんのでご相談ください
「山姥切国広」 九州日向住国広作 天正十八年庚寅貳月吉日平顕長 2月を「二」ではなく旧字体で「貳」と切っています。 堀川国広が月の数字を旧字体としたのは「山姥切国広」のみのようです。 推測されることは ・改竄の防止。(日付の重要度が高い) ・実際に2月であった
京都国立博物館で開催される 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」 の開会式・特別内覧会のご招待状をいただいてしまいました。 「秋田藤四郎」 黒地の紙に銀色を配していて、短刀の形状や刃文・地鉄の質感が美しいです。 昼と対比する夜をイメージしてるんでしょうか。 #京のかたな
東京五輪・パラリンピック期間中は、危険物持ち込み防止のため、主要駅や新幹線・在来線の列車内で警備が強化されます。 刀剣は、直ちに取り出して使用できないような状態にしておくことが必要です。 鞘におさめて、刀袋にいれ、さらに運搬用の袋・風呂敷やケースなどに入れてください。
「山姥切国広」を伊勢寅彦翁が高橋経美氏より入手した経緯 ・昭和35~37年頃 ・「山姥切国広」(当時は重要文化財に指定されていない無冠)と、 重要美術品の備前鵜飼雲次、長曽弥興正(二代虎徹)を実質的に交換する。
事情が事情なので、刀については私の方で業者交換会(オークション)で手数料無しで売却する予定です。 刀は研ぎ上げで良い状態なので、次は良い持ち主に巡り会って欲しいものです。
プーチン氏贈呈の日本刀公開 16日から「大刀剣市」 sankei.com/world/news/181… @Sankei_newsさんから
御物においても天皇陛下個人で所有なされている刀剣は、天皇家全体として所有の刀剣よりもさらに重要度が高いそうです。 東京国立博物館で天皇陛下の即位を記念し10年毎に開催される「皇室の名宝」展に出品される際にも、天皇陛下の個人蔵の刀剣はなかなか難しいのかもしれません。
延宝四年本阿弥光常代金子十枚折紙 折り紙付き、という言葉があるくらいに刀剣の世界では本阿弥家の折紙(鑑定書)は現在も最も権威を誇っています 江戸時代の折紙が現代の幼児の粘土箱にピッタリのサイズなのは私にも理由は分かりませんが、折紙を折り曲げずに保管できるのでオススメです☺️ #100均
南泉一文字は慶長16年(1611)3月28日、京都の二条城において徳川家康と豊臣秀頼の会見のさい、 家康は左文字の刀と鎬藤四郎の脇指を贈り、 秀頼は南泉一文字の刀と太閤左文字の脇指を家康に贈っています。 南泉一文字 一之箱(重要文化財) 太閤左文字 三之箱(国宝)
国広は(太刀を除いて)あまり目釘孔の上に銘字を切りません。 (赤線)の第1目釘孔の間際まで 表は「本作」 裏は「天正」 と切っています。 これにより、第1目釘孔は国広が切銘した時点では既にあったということと。 そして「山姥切長義」の当時の打刀の目釘孔の位置ということを物語っています。
足利における「山姥切国広」の展示では光源がハロゲンであったので私も映りをよく確認することができませんでした。 先日、私が大変にお世話になっている恩師の一人で、昔に「山姥切国広」を実際に手にとってご覧になられた方にお聞きしたところ、映りは無いとのことでした。 twitter.com/tsuruginoya/st…
刀職の方と鞘についてお話し伺っていたら ・鞘に鮫皮(実際はエイ皮)を巻いた研出鮫鞘というものがありますが、鮫皮自体が長いものに合うのが殆ど無いそうです。 2尺(約60.6cm)くらいまでは少しはあるそうですが、2尺3寸(約69.7cm)になると稀少だとか。
光忠3振 (すべて重要文化財) 「実休光忠」の銘は4種類ほどある光忠の銘うち、比較的に晩年のものになります。 全体がやや大振りとなっています。 おそらく、こちらの3振のような出来だったのでしょうか。 大房を主体とした丁子乱れ、物打ちは長船物らしくやや寂しい小乱れ出来であったという
「京のかたな」展の展示 透明な部分が大きいケースにアクリルの刀掛。 照明はLEDだそうで、位置は少し高め。 刀剣の展示位置も少し高めですが刃紋もよくみえました。 (ただ短刀で、特に身幅が細身のものは倒れて寝てしまっているので視点が、高い位置からでないと見えづらいかもしれません)
一文字則宗の「則宗」銘の現存作品は少なく数振のみ遺されています。 (左より) ・国宝 日枝神社蔵 徳川将軍家伝来 ・御物 浅野家伝来 ・重文 三井記念美術館蔵 土屋家伝来 ・重文 岡山県立博物館蔵 ・島津家伝来 ・重文 「二つ銘則宗」 愛宕神社蔵
切った銘字を例えるとすれば、 茎部分の鉄が硬い「山姥切国広」は 硬い鉛筆(Hくらい)やシャープペンシル 茎部分の鉄が軟らかい「山姥切長義」は 毛筆や、滑りの良い万年筆やサインペン でしょうか。
江は、あらわれる時は突然ですが、まずお客様にご紹介すると直ちに売約いただけます。 江だけは売り物があったときには必ず買っておかねばなりません。
源清麿は刀工名を前期を「正行」、後期を「清麿」と称しました。 「正行」は相州の名工「正宗」と「行光」にあやかったとも。 「清麿」は後援者であった「窪田清音(すがね)」と「斎藤昌麿(まさまろ)」の各々の一字より。 清麿が窪田清音の為に打った1振(重要美術品)が現存します。
ちなちな、その小学校の校長先生のお名前は御留我威都華(オルガ・イツカ)とおっしゃらないとか、口癖は「止まるんじゃねぇ(ry