つるぎの屋@日本刀買取専門店(@tsuruginoya)さんの人気ツイート(リツイート順)

例えば、再刃された刀でも「骨喰藤四郎」は見事な彫物を誇っており、「鯰尾藤四郎」は再刃とは思えないほどの精美な地鉄を今でもしています。 「宗三左文字」は健全で雄大な姿から往事の迫力を想像させてくれます。
帽子は焼き深く複雑に乱れて覇気が感じられます。 彫物は鏨がよく効いており、特に不動明王は緻密なものとなっています。 (刃紋はハバキ元の彫物周辺は焼きを低くしています。これは彫物を施すことを想定して予め低くしています) 目釘穴は下が生ぶ孔(太刀用) 上は後補(打刀用)のようでした
源清麿のお酒を長野県のお客様からお送りいただきました。 ありがとうございます☺️ 「源清麿」 「一貫斎正行」 と作家の山本兼一先生が揮毫されて、 嘉永2年紀の刀の茎の押形も貼られています。
拙僧の(当たったことの無い)新刀剣男士予想は 剣「国広 興山上人寄進」(高野山蓮華定院蔵)に1票 新刀の剣で重要文化財に指定されるものは堀川国広のこの作1振のみです。 高野山の蓮華定院は真田家の菩提寺で、真田昌幸・幸村父子も逗留しました。
「本作」と「本銘」では意味が大きく違います。 本作(もとの作) →元は長義の作(刀)であった(と伝えられている)。 (しかし、既に国広が銘を切った時点で磨上げられており)長義の銘が無い。 本銘(もとの銘) →元は銘があったが現在は大磨上となり長義の銘が無い。
約1時間の間に「三日月宗近」に目を向けたのは歩きながら通り過ぎた外国人観光客のカップルのみでした。それもおそらく私が眺めていたから。 時代も変わるものですね。今や阿修羅像なみに注目を受けて「三日月宗近」自身が一番に驚いているのではないでしょうか。
「蛍丸」に一縷の望みがあるとするならば、 昭和20年12月21日に熊本進駐軍駐屯地へ移された際に、旧国宝であったので、他の一般の刀とは分かれて倉庫に保管されていたことです。 持ち去った人物も「蛍丸」の価値を認識していたと推測されます。 やはり何処かで現存しているのではないでしょうか。
家や蔵を解体する業者さんから比較的に多いお問い合わせです。 ・刀が発見された場合の所有権は家主さんにあります。 家主が警察は連絡して発見届出済証を発行してもらってください。 ・解体業者さんが家主さんより無登録の刀剣を有償無償を問わずに譲り受けることは銃刀法違反になります。
関東大震災と刀剣界 大正12年(1923)9月1日、関東大震災で被災した刀剣では水戸徳川家の「児手柏」や「燭台切光忠」以外にあまり知られていませんが、膨大な数の刀剣類が甚大な被害を被りました。 川口陟:筆 「刀の研究」大正12年10月より (刀剣界新聞-第54号 T) tsuruginoya.net/guidance/kannt…
幕末の名工:四谷正宗とうたわれた山浦清麿の墓は東京の四谷宗福寺にあります。 嘉永7年11月14日に42歳で亡くなりました。 命日の11月14日には毎年「清麿会」が催されています。
歌仙兼定の鎺 金着二重の時代鎺なのですが珍しい形式の呑込みの無い突掛鎺(つっかけはばき)の仕様となっているようです。 突掛鎺のメリットは呑込み部分が無い(0ゼロ)なので、本来ある呑込みの分だけ刀身を長く伸ばして使用することが可能となります。 一方、デメリットは鎺元の防御が弱くなります
「大般若長光」 大正12年の関東大震災のさい、倉庫がつぶれ、柱の下敷きになったため、曲がってしまいました。 研師:吉川恒次郎の手によって、曲がりはなおされました。 (いつみても、どこを直したのか全く痕跡も分かりません。刀身の中程が曲がったと聞いたことがあります)
古刀では藤四郎吉光(国宝)、 新刀では堀川国広(重要文化財) に剣の作例として唯一の国の指定品がある刀工ということは、 逆説的にいえば、古刀期は藤四郎吉光、新刀期は堀川国広が刀工として最。。。(語彙力)
「日本のかたな」(1997)は小笠原信夫先生が58歳で東京国立博物館を退館される際に開催されました。 しかし、「京のかたな」(2018)は末兼利彦先生が40歳(構想や準備段階では30代)でこれほどの大規模展示会を開催されたのは本当に他に類例のない驚愕に値する内容といえます。
堀川国広の刀工系図 堀川国広には弟や甥といった一族を含めて数多くの弟子がおり、こちらに記されていない刀工も数名おります。 他に実忠、国長、国昌、広実、国次など。 そのなかでも阿波守在吉はもっとも古参の弟子と目され、慶長2年紀(1597)の刀が現存します。
「三日月宗近」について少し 10年くらい前に東京国立博物館の常設で展示されていた時に、私はその優美な太刀姿に目を奪われて小一時間(40~50分)くらいケースの前で独占して眺めていました。 まだ照明もやや暗い時代の刀剣室だったので刀剣に目をとめる人もおらずに歩きながら眺める程度でした。
薫山は語る(14) 伊勢寅彦翁 「山姥切国広」を入手した経緯が記されています (引用) 大素人23号より
「江雪左文字」は刃長2尺5寸8分(78.2cm)、鞘の長さ83.5cmの研出鮫鞘ですが、言われてみればこれほど長い研出鮫鞘はあまり見たことが無いかもしれません。 「江雪左文字」は鞘に巻いた鮫皮まで極上だったのですね。
左:山姥切国広(赤) 右:山姥切長義(青) 青1:打刀(室町時代中~後期、やや古い) 現在の寸法で天正18年頃の当時に使用 青2:天正18年に国広が切付銘を切ったよりも後世の孔 赤1:打刀の位置 青3:現状の寸法より以前に使用された孔、または太刀拵の孔や忍び孔
京都国立博物館の通常展示などで寄贈させていただいた南海太郎朝尊の短刀が多くの方の目に触れていただければ、私も大変に嬉しく思います。 作品番号188 短刀 銘 山城国幡枝寓朝尊
ようになってきます。 しかし、あまりそういった傷欠点よりも刀の良い箇所を見てあげてください。 欠点よりも刀たちの良い点をみてあげた方がきっと愉しめるのではないかと思います。
研ぎ減って疲れてしまったもの、実戦で使用して傷が入ってしまったもの, 物打ちだけ欠けて減ってしまったものなどもあります。 なかには火災で焼けてしまって再刃されてしまったものもあります。 刀剣を数多く鑑賞されていて段々と見方が分かってきたり理解度が深まってくると、傷や欠点なども目につく
三所物 吉岡因幡介 蜂須賀家伝来 思い出しました🤯 蜂須賀虎徹の前所有者様からお譲りいただいた品物の幾つかに蜂須賀家伝来のものがありました。 経緯は不明ですが蜂須賀家伝来の蜂須賀虎徹を含む刀や刀装具の品がまとめて出ていたのかもしれません。 やっと繋がりました🧐 tsuruginoya.com/items/f00021.h…
三日月宗近の誉れ傷(切り込み) 物打ち付近にあるようです。 (但し、押形では1つではなく、2つあるようにもみえます) 押形に誉れ傷(切り込み)の部分のみをわざわざ採っているので、おそらくこれではないかと思います。 少し斬り込みの線も短いようなので研磨以前の古いものなのかもしれません
もちろん、刀をご自身の意志で製作や購入されて、自腹で代金を支払われて入手された方にはいらっしゃらないと思います。 しかし、旧家から出てきた、知人に貰ったなど無償で入手された方の一部にそういった無責任な方がいる場合があるのかもしれません。 刀に対する知識も少ないのでしょうが。