昭和37年当時、関東大震災で行方不明になったと思われていた「山姥切国広」がひょっこり出てきたら、刀剣界では戦後(昭和20年以降)最大の朗報だったらしいです(語彙力) 「堀川国広とその弟子」より
現在、東京国立博物館に展示されている堀川国広の高弟:出羽大掾国路の刀が1振展示されています。 寄贈者の伊勢松江氏は「山姥切国広」を所蔵していた伊勢寅彦翁の奥様です。 美濃伝の作風ですが、乱れがやや山型であったり矢筈刃などを交え「山姥切国広」や長義を想わせるものがありました。
南泉一文字は慶長16年(1611)3月28日、京都の二条城において徳川家康と豊臣秀頼の会見のさい、 家康は左文字の刀と鎬藤四郎の脇指を贈り、 秀頼は南泉一文字の刀と太閤左文字の脇指を家康に贈っています。 南泉一文字 一之箱(重要文化財) 太閤左文字 三之箱(国宝)
(左)山姥切国広 (右)本作長義 東京国立博物館で開催された「日本のかたな」展(1997)において 本歌:本作長義と写し:山姥切国広の二振は同時に展示されました。 もう20年以上も前になるのですね。
刀 阿波守藤原在吉 慶長二年九月吉日 刃長 2尺4寸2分(73.3cm) 慶長2年(1597)は山姥切国広が制作された天正17年(1589)より8年後 堀川国広の弟子である阿波守在吉のこの作品がもっとも山姥切国広の作風が近いといわれています。
堀川国広の刀工系図 堀川国広には弟や甥といった一族を含めて数多くの弟子がおり、こちらに記されていない刀工も数名おります。 他に実忠、国長、国昌、広実、国次など。 そのなかでも阿波守在吉はもっとも古参の弟子と目され、慶長2年紀(1597)の刀が現存します。
足利における「山姥切国広」の展示では光源がハロゲンであったので私も映りをよく確認することができませんでした。 先日、私が大変にお世話になっている恩師の一人で、昔に「山姥切国広」を実際に手にとってご覧になられた方にお聞きしたところ、映りは無いとのことでした。 twitter.com/tsuruginoya/st…
「山姥切国広」は実際に手にとってみると意外と思っていたよりも重量は軽く感じられるそうです。 本歌の「本作長義」も元来は南北朝時代の大太刀ですので重ねは薄めでしょうか。 「山姥切国広」も本歌に忠実に重ねは薄めにしてあるのかもしれません。 平肉を落としたり樋を掻くのも軽量化になります。
「京のかたな」展に出品予定の 「刀 銘 日州古屋住国広山伏時作(以下切)」 と表記のある刀は「山伏国広(重文)」とは別のもう1振ある「山伏時代(天正12~13年頃)」のものですね。 「山伏時」と銘を切るのはこの2振のみとなります 刃長:2尺5寸5分弱(77.1cm) 天正12~13年頃の作
堀川国広「山伏打」の梵字 (左)「山伏国広」 ①地蔵菩薩:カ ②金剛界大日如来:バーンク (右)山伏打ちのもう1振 ③釈迦如来:バク ④阿弥陀如来:キリーク ⑤胎蔵界大日如来:アーンク ⑥金剛界大日如来:バーンク ⑦多聞天(毘沙門天):ベイ
「山伏打ち」の2振の刀にある梵字はそれぞれ単独では意味が通じません。 しかし、2振の梵字を組み合わせてみるとあるメッセージが込められています。 梵字に仮名を当てはめてみると 之・末・川・保・呂・保・世 ↓ し・ま・つ・ほ・ろ・ほ・せ ↓ し・ま・づ・ほ・ろ・ぼ・せ ↓ 島津(を)滅ぼせ!
(当たったことの無い) 新刀剣男子予想は「笹貫」に一票 太刀 波平行安 (号:笹貫)(重要文化財) 丸に十字紋金具黒漆太刀拵 ・青海波(せいがいは)→波平(波が平らか) ・縦縞→平行脈→笹の葉 ・肩→竹の花 ・京都国立博物館蔵(←※ここ重要)
三日月宗近 本刀は一千年の歴史を感じさせない、総体健全で無限の働きを見せ、太刀姿の優雅なことは絶品です。歴戦の武勲を物語る切込みの痕が物打ちにあり、それが気品高い姿に一段と力強さを加えています。 (誉れ傷:1ヶ所)
鶴丸国永 古剣書には宗近の流を汲むとありますが、作風はそれを首肯させる古調な一振りで、歴戦の武勲を物語る切こみの痕が棟に三ケ所あり、しかも頗る健全で殆んど原姿が崩れずに完存されており、三条、五条など古い京物中屈指の名作です。 (誉れ傷:3ヶ所)
刀身の棟への切り込みのあるものを「誉れ傷」といいます。 敵の刃を刀で受けたり払ったりして主人を守った武勲なので、美術的な価値は下がりません。 特に刀身の上部の物打ち辺りにあることが多いです。
「三日月宗近」に誉れ傷が1ヶ所あることは知られていますが、 「鶴丸国永」に誉れ傷が3ヶ所もあることは初めて知りました。
五条国永の有銘の現存刀は5振が残されていると近年まで通説でした。 (右より) 鶴丸国永(御物) 剣(重文) 伊勢神宮 伊東巳代治旧蔵(重美) 備前池田家伝来
しかし最近になって押形の存在のみを知られていたもう1振の国永が発見されて有銘の現存作は5振から6振となりました。 (私も先日に拝見させていただきましたが古京物らしい古雅な味わい深いものでした)
五条国永 6振 (右より) 鶴丸国永(御物) 剣(重文) 伊勢神宮 伊東巳代治旧蔵(重美) 備前池田家伝来 6振目 (6振目の国永の銘振りは、剣(重文)・伊勢神宮の2振に近いようです)
御物においても天皇陛下個人で所有なされている刀剣は、天皇家全体として所有の刀剣よりもさらに重要度が高いそうです。 東京国立博物館で天皇陛下の即位を記念し10年毎に開催される「皇室の名宝」展に出品される際にも、天皇陛下の個人蔵の刀剣はなかなか難しいのかもしれません。
三日月宗近の誉れ傷(切り込み) 物打ち付近にあるようです。 (但し、押形では1つではなく、2つあるようにもみえます) 押形に誉れ傷(切り込み)の部分のみをわざわざ採っているので、おそらくこれではないかと思います。 少し斬り込みの線も短いようなので研磨以前の古いものなのかもしれません
誉れ傷(切り込み)のある刀で最も有名であるのが石田三成が所持した「石田正宗」です。 切り込みがあるので別名を「切込正宗」・「石田切込み正宗」ともいい刀号にもなっています。 物打ちと鎺もとの2箇所の現在も大きな誉れ傷が残されており、相当に強い斬撃を受け止めた武勲を今も誇っています。
京都国立博物館で開催される 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」 のパンフレットをいただいてしまいました。 「三日月宗近」と三日月 #京のかたな
一期一振 鍛えは杢目、地沸えついてよく錬れて大肌からむ。刃文は中直ぐ調で小乱れに小五の目まじり、刃ぶち小沸えよくつき、砂流しごころあり、五のめ足働き、裏の物打辺に飛び焼きまじる。鋩子は猪首、直ぐで小丸返り、先沸えづいて掃け深く焼く。
京都国立博物館で開催される 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」 の開会式・特別内覧会のご招待状をいただいてしまいました。 「秋田藤四郎」 黒地の紙に銀色を配していて、短刀の形状や刃文・地鉄の質感が美しいです。 昼と対比する夜をイメージしてるんでしょうか。 #京のかたな