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大正15年(1926)、東京において「国広会」が開催され堀川国広の名刀が83振並べられました。
なかには、後に重要文化財や重要美術品の指定を受ける名品も多く含まれていました。
「国広会」では出品刀の人気投票が開催されましたが、第1位となったのはどの刀だと思いますか?
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なぜ100cmを超えるようなマグロ包丁に「登録証」が不要で、
6cm以上の短刀から「登録証」が必要であるのか。
長さについては前述の通りに殺傷能力でありますが、
刃物として製造された目的が違います。
刀剣類である日本刀は武器として製造されているのですね。
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「鶴丸国永」が伊達家より明治天皇に献上される伊達家における記録
明治34年7月7日
明治天皇の仙台行幸と陸軍特別大演習の際に、献上する品物を相談する。
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・「本作」の読みと意味
「本作長義~」の「本作」の部分について
○「本作」(ほんさく)、この作(刀)という意味です。
→この刀は長義です。
○「本作」(もとのさく)、または(もとさく)
もと(元)の作(刀)とも解釈できます。
→元の刀は長義です。
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「本作」と「本銘」では意味が大きく違います。
本作(もとの作)
→元は長義の作(刀)であった(と伝えられている)。
(しかし、既に国広が銘を切った時点で磨上げられており)長義の銘が無い。
本銘(もとの銘)
→元は銘があったが現在は大磨上となり長義の銘が無い。
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堀川国広がなぜ「本銘長義」または「古銘長義」と切らずにわざわざ「本作長義」したのか。
→山姥切長義(本作長義)は国広が銘を切った天正14年の時点で既に大磨上無銘となっており長義の銘を失っていたこと。
そして無銘ながら長船長義の作であると伝わっていることを茎に刻んだのだと解されます。
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切った銘字を例えるとすれば、
茎部分の鉄が硬い「山姥切国広」は
硬い鉛筆(Hくらい)やシャープペンシル
茎部分の鉄が軟らかい「山姥切長義」は
毛筆や、滑りの良い万年筆やサインペン
でしょうか。
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「蛍丸」が昭和20年(1945)に行方不明になってしまった時系列
12月4日 阿蘇神社より宮地警察署へ提出
(↓16日後)
21日(または22日) 宮地警察署より熊本進駐軍駐屯地へ、倉庫で保管
(↓2~3日間)
22~23日 倉庫で目撃されている
(↓提出より5日後)
26日 行方不明になる。刀袋と箱のみ残る
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「蛍丸」に一縷の望みがあるとするならば、
昭和20年12月21日に熊本進駐軍駐屯地へ移された際に、旧国宝であったので、他の一般の刀とは分かれて倉庫に保管されていたことです。
持ち去った人物も「蛍丸」の価値を認識していたと推測されます。
やはり何処かで現存しているのではないでしょうか。
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拙僧の愚息は「かずき」という名前なのですが、クラスにもう1名「かずきくん」がいるそうで。
紛らわしいから各々の名字の頭文字を「かずき」の前につけて「みかずき」と「さかずき」と呼ばれてるんだそうです。
かっけーな、オイ
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ちな、うちのは「みかずき」の方です。